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2012年12月18日 (火)

碁の名手(安井算哲)にまつわる歴史実話、初手天元(碁打ち、二世安井算哲)、のち貞享暦(太陰太陽暦とも、天文歴学者、渋川春海)、安井算哲の殿堂入り、とは(2010.11.15)

 江戸時代、1612年(慶長17年)2月13日、徳川家康(1543~1616)は、碁打衆将棋衆(8名)を集めて年俸を定めました。このとき年俸を決められた碁衆の4人は、それ後およそ230年間、それぞれの碁の家元(本因坊、井上、安井、林)となり、上手(7段)以上の棋士によって、五百数十局の御城碁が打たれました。

 本因坊家(50石)は一世本因坊算砂(日海上人、1559~1623)、井上家(50石)は算砂の弟子で、のち名人碁所となった中村道碩(1582~1630)を祖としました。そして、道碩以来、本因坊家と特別に深いつながりがありました。林家(50石)の祖は林門入斎(1583~1667)です。

 一方、安井家(30石)は、後々囲碁の世界で本因坊家と対立し、しのぎを削る厳しい闘いを展開しています。安井家の一世は安井算哲(古算哲とも、1590~1652)です。のち、長子の二世安井算哲(のち渋川春海、1639~1715)が碁方を離れて天文方に転じたので、弟子の算知を養子として跡目にし、のち二世安井算知(1617~1703)となりました。当時、一般に力碁で、モリモリ打つ手法を安井流と言ったそうで、本因坊算砂、中村道碩の軽い手筋でサバク手法とは両極的な存在でした。

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渋川春海(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%B5%B7

 渋川春海(しぶかわはるみ、しゅんかいとも、二世安井(保井)算哲、のち渋川と改姓、1639~1715)は、江戸前期の暦学者、幕府天文方です。碁所(ごどころ)家元、安井算哲の子で、では上手七段)となり、お城碁にも出仕しています。彼は渋川助左右衛門春海として、1000年の間、唐代の「宣明暦」を一歩も出なかったわが国で、渾天儀(こんてんぎ)を作って天体を観測、天球儀、地球儀も作り、「宣明暦」に誤りが多いのを痛感し、1684年(貞享元年)、「宣明暦」を改めて「貞享暦」を作ったことで有名です。日本人の手になる最初の暦です。同時に七曜暦を復興しました。この年に新設された天文方に任ぜられ(以降渋川家が世襲)、天文、暦学の研究に専念しました。

○ 天元の局

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天元の局(てんげんのきょく、先番 安井算哲 ― 九目勝 先相先の白番 本因坊道策、朝日新聞: 囲碁史に残る初手天元、時代小説「天地明察」 棋士も注目、2010年(平成22年)6月25日(金)、朝刊より)

(解説) 1670年(寛文10年)10月17日、二世安井算哲(八段、のち渋川春海、1639~1715)、32才は、将軍らの御前で対局する御城碁(おしろご)に出仕し、本因坊道策(七段、三世の跡目、のち四世、1645~1702)、26才と対局したとき、第一着を碁盤の中央に打ちました。これは、囲碁史に残る有名な「天元の局」です。

 この碁、白はどこといって特に妙着を打っているわけではないようですが、常に天元の効果をけずることを念頭において全局のバランスを考慮しつつ、巧みに黒の気勢をはずして、いたる処に実利を確かめ、100手目のころには、すでに細碁、それも白に有利を思わせます。全局的に黒の打方が当を得なかったのが敗因であって、つまりは力量の差とというほかないでしょう。(青木新平著: 碁石の微笑、p.93~95、天元の局、六月社(1956)より)

 囲碁は、盤上の石を打つ場所が19路×19路(391路)で、1年の日数に近く、暦学と関係が深いという。坐隠談叢によると、算哲は、天文その他の学問から割り出し、こう考えました。「天文の理(ことわり)を囲碁に応用し、局面第一着の石は、盤面中央の一石にありとの断案を下し、名けて大極、又は天元の一目と称し、以(もっ)て天下敵なしとせり(黒をもって天元に第一着を打てば必勝なり!)」。結果は、算哲の志ともちがって、道策に9目負けを喫しました。敗れた算哲は「益々碁道の玄妙さは、はかりしれない」と嘆き、以来、天元は打たなかったと伝えられています。ただ、敗因は天元そのものにはなく、その後の打ち方、さらに「棋聖」とうたわれることになる道策との実力差にある、という見方が一般的です。

 これが囲碁の「天元」という言葉のはじめとされ、現在はタイトル戦の名称にもなっています。「天元」とは、万物生育のもとです(広辞苑)。算哲が通じていた算術には、算木(さんぎ)を用いて高次方程式を解く中国の「天元術(てんげんじゅつ)」があり、これは関孝和(1642~1708)らの和算につながっています。この天元術が命名の由来とも考えられています。

 沖方丁(うぶかたとう、1977~ )著、時代小説、「天地明察」(角川書店)において、主人公で天文暦学者の渋川春海は、江戸時代に実在した碁打ち安井算哲のことで、日本に改暦を残す一方、碁盤中央の星を「天元」と呼んだ最初の人物ともいわれ、囲碁棋士たちの間で話題になっているという。

(参考文献) 安永一: 囲碁名勝負物語、時事通信社(1972); 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973);安藤如意(原著)、渡邊英夫(改補): 坐隠談叢、新樹社(1983); 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 中山典之: 囲碁の世界、岩波新書(1988); 水口藤雄: 囲碁の文化誌、起源伝説からヒカルの碁まで、日本棋院(2002); 日本棋院編: 日本棋院創立80周年記念、囲碁雑学手帳、月刊碁ワールド1月号第2付録、日本棋院(2005); 朝日新聞: 時代小説「天地明察」、棋士も注目、囲碁史に残る初手天元、2010年(平成22年)6月25日(金)、朝刊より.

(参考資料) 第一着天元(1670年(寛文10年)10月17日、本因坊道策ー安井算哲(のち渋川春海)、古今著名局集、木石庵): http://mignon.ddo.jp/assembly/mignon/go_meikyoku.html

渋川春海の天元の局天地明察、たかお日記、高尾紳路九段、オフィシャルブログ): http://blog.goo.ne.jp/s-takao-san/e/487e3f209a53ae6ef32e880010bc859f

渋川春海と貞享の改暦(ホームページ、富山市科学博物館、富山): http://www.tsm.toyama.toyama.jp/_ex/curators/aroom/edo/re-jokyo.htm

渋川春海(もと二世安井算哲、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%B8%8B%E5%B7%9D%E6%98%A5%E6%B5%B7&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=-K_TTKPuNJP0cezjzfkE&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=3&ved=0CDUQsAQwAg&biw=1004&bih=552

(追加説明) ○ 太陽暦の採用については、明治新政府は、1872年(明治5年)11月9日、旧来の太陰太陽暦法(月を中心とし、1年を12ケ月か13ケ月とする)による天保暦を廃し、新しく太陽暦の採用を決定し、同年陰暦12月3日を1873年(明治6年)1月1日としました。

 太陽暦は太陽の運行を基準とした暦法で、365日を1年と定め、4年ごとにうるう日をおき、100年ごとにうるう年をはぶき、400年ごとにうるう日をはぶくことをやめる。現行のものは16世紀以来のグレゴリオ暦です。(樋口清之、生活歳時記、太陽暦を採用(明5)、p.647、三宝出版(1994)より) 

○ 天元戦は、1975年(昭和50年)以来、新聞三社連合、日本棋院、関西棋院など主催、囲碁のタイトル戦となっています。 天元戦(囲碁のポータルサイド、日本棋院): http://www.nihonkiin.or.jp/match/tengen/. 

○ 二百十日とは、立春から数えて210日目の日をいう。陽暦で9月1、2日頃。稲(中稲)の開花時期に当たり、台風の襲来時期であるので、農家の厄日として警戒されている。 

 徳川幕府の暦編纂係保井(渋川)春海が、品川の一老漁師から教えられたものという。春海は釣好きで、この日も品川の沖へ舟を乗り出そうとした。その時、老漁師が海上の一点を指さして、今日は立春から数えて210日目に当たるが、50年来の体験によると、このような時は午後から大荒れになるから、釣りに出るのはやめなさいといった。果たしてその日は大暴風雨になったという。 後に春海が「貞享暦(太陰太陽暦とも)」を編んだ際、このことを暦の中に掲げ、人の口にのぼるようになった。

 二百二十日とは、立春から220日目の日。210日の10日後の日。9月11日頃に当たる。この前後は台風のくることが多く、210日につぐ、第2の厄日として農家に恐れられている。統計的にも210日以降、9月下旬に台風が集中しているので、むしろ210日前後が警戒を要する。(樋口清之監修:生活歳時記、p.507、二百十日、p.525、二百二十日、三宝出版(1994)、より)

○ 安井算哲ら殿堂入り 日本棋院は6月22日、江戸時代に活躍した安井算哲(やすいさんてつ、2世、渋川春海とも、1639~1715)と、中国の政治家で囲碁を通じ日中交流に貢献した故陳毅(ちんき、1901~1972)氏の囲碁殿堂入り(第9回囲碁殿堂表彰)を発表しました。(2012年(平成24年)6月23日(土)、北陸中日新聞朝刊より) 日本棋院囲碁殿堂入り第9回囲碁殿堂表彰): http://www.nihonkiin.or.jp/news/2012/06/9_10.html.

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