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2012年12月15日 (土)

北陸の冬の雷(一発雷)にまつわる歴史実話、はじめて訪れた金沢での事件(1969年)、雷おこし(ブリ起こし)、落雷による自衛隊機の墜落、金沢大学定年退職(2006年)、とは(2010.2.22)

  1969年(昭和44年)2月8日(土)午前11時59分ごろ、小松航空自衛隊のF104ジェット戦闘爆撃機が、市内の民家(泉、金沢)近くの路上に墜落、炎上しました。 

 当時の金沢市内の上空は、雷もようでした。 これは、魔の雷雲、雪おこし(一発雷、いっぱつかみなりによるもので、市内全域が一時停電しました。はじめて金沢を訪れた時の忘れがたいショッキングな事件でした。 金沢市(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%B8%82

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金沢市内の地図左端 JR金沢駅、 中央 旧金沢大学城内キャンパス(金沢城公園)、 中央左下 泉(自衛隊機墜落)、 右端 新金沢大学角間キャンパス(角間)、google画像)

 私は、1969年(昭和44年)4月1日に金沢大学理学部助手として赴任しました。お城の中の大学といわれていた金沢大学木羽敏泰教授の研究室へ就職のことで、その2ヶ月ほど前の1969年(昭和44年)2月8日(土)のお昼ごろ、生まれてはじめて京都大学重松恒信教授付き添いで金沢を訪れました。

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木羽敏泰(きばとしやす、1913~ ) (教員プロフィール): http://www.kanazawa-it.ac.jp/kyouinroku/m/kiba_toshiyasu.htm

 

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重松恒信(しげまつつねのぶ、1916~2003) 

 金沢駅の地下街の食堂で重松教授と昼食をとっていたとき、しばらくの間ですが、食堂が停電で真っ暗になったことを覚えています。この時、お城からそれほど遠くない金沢市泉の民家の密集地に自衛隊機が落雷により墜落するという衝撃的な事件に出くわしました。これは後に冬場の北陸特有の雪おこしとか鰤(ぶり)おこしと呼ばれる自然現象(一発雷)の仕業であることを知りました。

 金沢駅からタクシーでお城の大学を訪れ教授部屋で木羽教授と赤座郁子助手との面談を受け、木羽教授が化学教室を案内して下さいました。その頃は大学紛争の激しいときでしたが、その余波はまだ金沢大学には見られず、ここは学問をするには静かで最もよいところであるとの木羽教授のお話を承りました。

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雪おこし一発雷、ブリおこし、金沢、石川、北陸地方、google画像)

(解説) 雪おこし(一発雷)については、冬になるとシベリア大陸から吹いてくる冷たい季節風(シベリア寒気団)と南方からの日本海沿岸を流れる温かい海流(対馬暖流)との温度差による激しい上昇気流により低空で(100mから数100m)豊富な水蒸気を含む雷雲が発生し、突然の稲光と落雷の後に平野部から山間部にかけての広い範囲に、水分の多い雪(ベタ雪)を降らせます。金沢で住むようになってから、冬場の雷は夏場と違って何の前触れもなく突然稲光と雷鳴をともなう激しいことに驚きました。

 気象の専門家は、これを一発雷と呼んでいます。冬季に雷が発生する地域では、大しけの日本海から静かな富山湾に逃げ込む小魚を追って鰤が回遊し、沿岸に張った定置網に鰤が獲れることから、 北陸特有のこの冬の雷は、また鰤おこしとも呼ばれています。

 自衛隊機の落雷による墜落事故については、 当時の北国新聞と北陸中日新聞(夕刊)には、次のように報道されています。

 1969年(昭和44年)2月8日(土)午前11時59分ごろ,金沢市泉2丁目,農業角村源治さん(44)宅前の路上に小松航空自衛隊のF104ジェット戦闘爆撃機が墜落、炎上しました。墜落した当時の金沢市内の上空は、雷もようでした。魔の雷雲、雪おこしによる雷の音とともにバーン、バーンという爆音がなり、市内全域が一時停電しました。

 また付近は民家の密集地だったため、たちまち火災が拡がり、 まわりの民家14戸が全焼,半焼2戸、30戸が爆風でこわれました。さらに道路や民家にエンジンや機体金属破片が散乱するなどものすごい惨状をみせました。住民4人死亡、19人以上重軽傷という金沢市はじまって以来の大惨事で、まるで戦場のようなあわただしさでした。

 なおパイロットの経(たて)三輝二尉(30)はパラシュートで脱出、金沢市間明町の米丸保育所の建設工事現場の岡組飯場で、石川県警の調べを受けているが、顔に軽傷を負っただけで元気でした。 原因については石川県警本部、金沢中署、金沢市消防本部で調べているが、ジェット機が落雷に当たったのではないかとみています。

 金沢市泉2の住宅密集地に1969年(昭和44年)、航空自衛隊小松基地のF104Jジェット戦闘機が墜落、炎上した事故から8日で40年になる。住み慣れた家は燃え上がり、焼け跡から変わり果てた肉親が―。そろそろ忘れます。もう思い出したくない。当時を知る住民の心(トラウマ)は癒えていない。(雷おこし(一発雷)による自衛隊機の墜落から40年、北陸中日新聞、朝刊、2009年(平成21年)2月8日)

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金沢大学城内キャンパス上 中央 旧城内キャンパスの航空写真(金沢城公園)、 石川門(旧大学正門)、google画像)

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前田利長まえだとしなが、1562~1614)加賀藩2代藩主(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%88%A9%E9%95%B7

 江戸時代、加賀藩2代藩主、前田利長(1562~1614)の頃、金沢城の本丸に15年間ほど建っていた天守閣が、1602年(慶長7年)の冬場にこの一発雷に襲われ、焼失しています。それ以後は、 金沢城の天守閣は再建されず、代わりに三階の櫓を造ったのですが、落雷を恐れたのか、不便なのか何かの理由で、その後の歴代藩主は平屋の二の丸御殿で過ごしています。以前に本丸跡の高木が落雷を受け、まっ二つに割れて上半分が立ち枯れているのを見かけたことがあります。

 

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本浄高治(ほんじょうたかはる、1940~ )

 私は、1969年(昭和44年)4月に金沢大学(理学部化学教室、就職)に赴任しました。その後、37年間(金沢城のキャンパスで24年, 角間の里のキャンパスに移転してから13年)、分析化学と環境化学に関する教育研究にたずさわりました。

 おかげさまで、恩師, 先輩,同僚,教職員, 学生さんをはじめ皆様方のご指導とご支援により、2006年(平成18年)3月、無事定年退職まで勤め終えることができました。

 現在は、趣味の囲碁、インターネット、歴史散歩、石川県生涯学習(県民大学校大学院)のボランテイア、ブログのサイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題など、徒然なるままに、紹介しています。

(参考文献) 本浄高治編: 本浄高治先生 最終講義と退職記念記録本浄高治先生定年退職記念事業会 (2006).

(参考資料) 気象庁(12月気象、冬の雷、平成21年11月号):http://www.jma.go.jp/jma/kishou/jma-magazine/0911/index.html

北陸の雷: http://wave.ap.teacup.com/noisynight/56.html

石川県立生涯学習センター(金沢、石川):  http://www.pref.ishikawa.lg.jp/shakyo-c/

金沢大学(ホームページ): http://www.kanazawa-u.ac.jp/  

(追加説明) ○ 学園紛争  1965年(昭和40年)1月28日 慶応大生、学費値上げ反対で全学スト、2月5日解決、学園紛争の始まりとなる。

1968年(昭和43年)1月29日、東京大学医学部学生自治会がインターン制廃止に伴う登録医制度に反対して無期限ストに突入、主役のリーダー(無党派・ノンポリ学生を集めた全学共闘会議、全共闘)17人が処分されました。全共闘は党派や学部を超えたものとして組織されました。この年全国116大学で学園紛争(東大闘争が発端)、学生たちは6月、安田講堂を占拠、機動隊に排除されたものの7月再占拠。

 同年6月2日、米軍板付基地のF4Cファントム機が九州大学構内に墜落(6月2日)。教授・学生ら5000人が抗議デモ。

 1969年(昭和44年)1月18日、東大闘争で大学側が警官8500人を導入。19日機動隊が安田講堂の封鎖解除、ろう城学生631人全員を検挙。

 同年1月20日、坂田道太文相が東京大の入学試験中止を加藤一郎学長代行に要望。東京大当局はこれを受け入れ、開学以来はじめて大学入試中止。

朝日新聞社、戦後史年表1926(昭和元年)~2006(平成18年)、2007年(平成19年)3月31日発行、より

〇 木羽敏泰

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木羽敏泰先生(教員プロフィール): http://www.kanazawa-it.ac.jp/kyouinroku/m/kiba_toshiyasu.htm

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 2013年(平成25年)11月1日、金沢大学名誉教授、木羽敏泰先生(理学部、化学教室、分析化学研究室)は、お元気で、めでたく、100歳を迎えられました。

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 百寿のお祝いのとき、次のような漢詩送杜少府之任蜀川 王勃(おうぼつ、649~676、初唐)(五言律詩、五言と8句の中の5句、6句)の墨書をいただきました。

海内存知己  海内(かいだい)に  知己(ちき)を存(そん)すれば

天涯若比隣  天涯(てんがい)も  比隣(ひりん)の若(ごと)し

 この句の意味は、「この世の中で、自分を理解してくれている友がいるかぎり、世界のはても、隣り近所のようなもの」とのことです。語の「四海皆兄弟」のをうたう、優れた対句として名高いものです。 

送杜少府之任蜀川 王勃(詩詞世界、碇豊長):http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/pbt_shi00.htm.

 コメント  ガメラ (crs1219@hotmail.c m,  2010/02/23): 因みに、あの事故機が空自 第6航空団 第205飛行隊のF-104J  #691 (76-8691)でした。

〇 ご教示ありがとうございました。 本浄高治

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○ コメント  ガメラ (crs1219@hotmail.c m, 2010/02/23): 因みに、あの事故機が空自 第6航空団 第205飛行隊のF-104J  #691 (76-8691)でした。

〇 ご教示ありがとうございました。 本浄高治

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