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2012年12月12日 (水)

松尾芭蕉(奥の細道、那谷寺)にまつわる歴史紀行、石山の石より白し秋の風、この句の中の石は那谷寺(加賀)の石、それとも石山寺(近江)の石なのか、とは(2009.9.7)

  那谷寺(なたでら、泰澄(たいちょう)開創、真言宗、那谷町、小松)の寺号は、西国三十三ヶ所、霊場1番のの紀伊(和歌山)那智山のと、最終33番の美濃(岐阜)谷汲(たにぐみ)山のを合わせて名づけられたと言われています。 松尾芭蕉は、1689年(元禄2年)46才の時、那谷寺を訪れ、奥の細道の中の有名な一句、石山の石より白し秋の風、を作っています。

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松尾芭蕉(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

 松尾芭蕉(まつおばしょう、1644年(寛永21年、正保元年)~1694年(元禄7年)、俳人、江戸)は、伊賀上野の無足人の家に生まれ、津藩(三重)の藤堂良忠(俳号蝉吟)に仕えて北村季吟門の俳諧を学びました。その後、蕉風(しょうふう、侘び(わび)、寂び(さび)など)を開眼(かいげん)、1689年(元禄2年)より河合曽良(かわいそら、1649年(慶安2年)~1710年(宝栄7年)、俳人、神道家)を伴って奥州、北陸を行脚し、歌枕(うたまくら)、史跡を訪ね、奥の細道を著し(1702年(元禄15年)刊行)、不易流行(ふえきりゅうこう)を達観(たっかん)、さらにかるみを唱えて上方に赴き、1694年(元禄7年)10月、51才で客死、近江の義仲寺に葬られています。

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那谷寺奇岩遊仙境、2009年(平成21年)9月、小松、石川)

 ところで、石山の石より白し秋の風の意味のことですが、石の対象を那谷寺(加賀)とするのか、石山寺(近江)とするのか、そのとらえ方で意味が大きく異なると思います。一般に、近江の石と解釈するのが定説となっていますが、異論も多く、芭蕉に聞いてみたいところです。

 近江の石山をとると、その意味は、「那谷寺の石は、近江の石山寺の石山よりも白いと言われているが、今吹いている秋風は、那谷寺の石山よりも白く感じられる(秋の風を白と言う、白秋、中国)」となり、一方、加賀の石山をとると、「那谷寺の石山の石は、とても白く、吹きわたる秋風は、それよりももっと白く感じられる」という意味になります。

 那谷寺の石は、白色の凝灰岩(ぎょうかいがん)ですが、石山寺の石は灰白色の珪灰石(けいかいせき)です。

 私は、定説に近い体験をしました。1967年(昭和42年)4月、その頃は京都(村井良治様方、北白川、下別当町、左京区)で下宿していましたが、桜のいい季節でしたので、石山寺を訪ねました。まさに、奇岩、奇石が目に焼き付き、今も懐かしく思い出されます。

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石山寺(1967年(昭和42年)4月、滋賀)

 また、ご縁があって、1969年(昭和44年)4月に金沢に来て、11月より武家屋敷のある長町(岩岸様方)に下宿していました、その年の秋に、知人から紅葉の美しいところとして、那谷寺の紹介を受け、金沢からバスでそこを訪ねました。

 美しい紅葉の中、こじんまりとした奇岩に入り込む御堂に参拝し、その後、芭蕉がここを訪ねて、石山の石より白し秋の風の句を詠んだことを知った時、ふと、近江の石山寺の荒々しくでっかい奇岩を思い出しました。芭蕉は、かの有名な石山寺の石を、句の中に詠み込むことによって、那谷寺の奇岩の上の小堂にも敬意を表し、誉め讃えていると思いました。

 この時の奥の細道の紀行文は、山中(やまなか)の温泉(いでゆ)に行ほど、白根が嶽、跡にみなしてあゆむ。左の山際に観音堂あり。花山(くわさん)の法皇三十三所の巡礼とげさせ給ひて後、大慈大悲の像を安置し給ひて、那谷(なた)と名付給ふと也。那智・谷汲(たにぐみ)の二字をわかち侍りしとぞ。奇石さまざまに、古松(こしょう)植ならべて、萱ぶきの小堂、岩の上に造りかけて、殊勝の土地也。

 この少し前に、金沢を訪れ、この句以外にも、あかあかと日はつれなくも秋の風、塚も動け我が泣く声は秋の風など、秋の風を含む2句が、奥の細道に載っています。

 松尾芭蕉は、近江の月見亭の隣の芭蕉庵を、たびたび仮住まいとし、多くの句(石山の石にたばしるあられかな)を残しています。 近江は芭蕉が亡くなった地であり、石山寺の近く、芭蕉の墓地のある義仲寺の無名庵、また、長期滞在した幻住庵、岩間寺などが現存しています。芭蕉、51才、辞世の句は、「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」でした。

(参考文献) 石川県の歴史散歩研究会編: 新版石川県の歴史散歩、山川出版社(1993); 永原慶二監、石上英一ほか8名編: 岩波日本史事典、岩波書店(1999).

(参考資料) 松尾芭蕉(google画像): http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

石川県観光素材集(那谷寺): http://www.natadera.com/; 奥の細道(道祖神の旅-9): http://www.h6.dion.ne.jp/~yukineko/okunohosomiti9.html  : 芭蕉の年譜: http://www.intweb.co.jp/basyou/basyou_nenpu.htm ; 石山寺観光ガイド: http://www.ishiyamadera.or.jp/ishiyamadera/culture.htmll

松尾芭蕉(北陸紀行、旅しよう北陸):http://e-teltel.jp/column/bashou/index.html; 奥の細道(北陸路の旅程): http://www.ishikawa-c.ed.jp/basyou/ryotei/ryotei.htm.

(追加説明) ○ 自然な区切りである、四分法(しぶんほう)に従えば、季節の移り変わりは、春、夏、秋、冬、と表しますが、人生の四つの節目は、中国では、青春(せいしゅん)、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)、また、古代インドでは、学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき)、となり、それぞれの生き方を示唆(しさ)する興味深い思想です。(五木寛之、林住期、幻冬舎(2007)より)

○ 松尾芭蕉は、1644年(正保元年)伊賀上野の城下赤坂町で生まれました。父は与左衛門といい、手習師匠をしていました。子供のうちから藤堂家の若君の側に使えていましたが、1666年(寛文6年)に若君が逝去したので脱藩し、1673年(寛文12年)には江戸に出ています。

 芭蕉の生涯は旅から旅の連続でした。 生まれた伊賀上野は、忍者の里であり、後の芭蕉の俳諧の旅が隠密の旅との噂がありました。1694年(元禄7年)5月、江戸を出て長崎に向かっていたが、大阪に入って発病し、門人の看病にもかかわらず、ついに同年10月12日51才で一生を閉じました。(樋口清之監修、生活歳時記、p.589、俳聖・芭蕉、より)

○ 芭蕉(ばしょう)という植物は、約2mほど大きく、みずみずしい青葉を広げる。しかし、この葉は、傷つきやすく、秋風の頃になると葉脈に沿って裂けはじめ、風雨に破れ裂けた芭蕉の葉は痛ましい。松尾芭蕉は、「その性 風雨に傷みやすきを愛す」といってこの植物を好んだ。(樋口清之監修、生活歳時記、p.520、芭蕉、より)

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