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2013年1月の11件の記事

2013年1月28日 (月)

犀川と金沢市内の雪景色(桜田、金沢、2013.1.28)

 石川県内は、連日、強い冬型の気圧配置で、明け方までにまとまった降雪があり、朝起きると、外は真っ白な銀世界でした。マイカーは雪ダルマとなり、雪がふんわりと10cmほどつもっていました。

午前中は時々吹雪でしたが、昼頃になると、晴れ間も見られましたので、近くの犀川周辺と金沢市内の雪景色をデジカメで撮りました。

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犀川と金沢市内の雪景色(桜田、金沢、石川、2013.1.28.撮影)

2013年1月26日 (土)

うどん(饂飩)、うどんの名の由来、讃岐うどん、うどんの腰と伸びはグルテンのS-S結合の生成と切断の性質による、とは(2013.1.26)

 うどん(饂飩)は、(めん)の一種で、小麦粉をうすい塩水でとき、よくこねて紐状(ひもじょう)に切り、多くは熱くして煮て食べるものです。

 その起源は、奈良時代、中国から渡来した小麦粉の皮にあん(肉、糖蜜など)を包み煮た唐菓子、混沌(こんとん)に由来し、その呼び名は、丸めた団子がくるくるしていて、とらえどころがないところから名付けられたという。

 混沌(こんとん)は、平安時代和名抄には、肉を包んで煮た食べ物(餃子ギョウザ!)とあり、文字が食扁の餛飩(こんとん)になったという。また熱いものなので温飩(うんとん)、さらに食扁の饂飩うんとん)となり、つづまって、饂飩うどん)と呼び、江戸時代になっても、うんとんうどん、共に使われたという。

 ということで、平安以降中国の混沌(こんとん)の影響を受け、何も包まない、小麦粉を塩水とこねて薄く打ち伸ばして細く切る、日本独自紐状(ひもじょう)の麺食が生まれ、饂飩(うどん)と呼ばれるようになったと推測されますが、詳細は不明です。

 幅広く切ったものは、きしめんひもかわとも)、ほうとうなど、また細めに切ったものは、冷麦そうめん(索麺)などと呼ばれているものです。

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 讃岐うどんかけうどん、いなり寿司、観音寺市、香川県、google画像) 讃岐うどん(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83%E5%B2%90%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93。 

(解説) 中国では、3000年以上も前、小麦の栽培が始まり、2500年以前の書物にも麺食の字があります。例えば、棊子麺チーズーミエン、日本名はきしめん)の呼び名が隋唐の時代に見られます.。また、さらに古く、餺饂(ホウトウ、日本名はほうとう)があったという。

 日本の麺食については、平安時代空海(弘法大師、774~835)がから饂飩うどん)を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説もあります。

 手打ちうどんには、があり、喉(のど)ごしがよく、透明感のあるものに仕上がります。これは、小麦粉の中に含まれる、イオウ(システイン、メチオニンなどのアミノ酸)を含むタンパク質、グルテンの性質によるものです。

 この麺の腰の強さは、タンパク質の一つ、グルテンのS-S結合(ジスルフィド結合)生成とも関係しています。また、伸びはこのS-S結合の切断とも関係しています。 

 日本では、大阪夜泣きうどん香川讃岐うどん名古屋きしめんなど、西日本にうどんの美味しいところが多いようです。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.848~849、うどんの歴史、三宝出版社(1994); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)、。p.112.饂飩(うどん)、岩波書店(1999).

(参考資料) コムギ(小麦)、各国の小麦粉の加工食品(パン、麺、スパゲティ、菓子類)、小麦のグルテン(タンパク質の混合物、麩質)、麺類のうまさ、まずさ、腰の強さ、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki241.html

2013年1月24日 (木)

梅干(うめぼし)、烏梅(うばい)と梅エキスの薬用効果、日の丸弁当という合理的な食品、とは(2013.1.24)

  (バラ科サクラ属)の原産中国です。日本には、古く、飛鳥、白鳳の頃、遣唐使により、烏梅(うばい)が伝えられました。これは、未熟の梅の実の果皮をいぶし干した生薬です。色が黒く香気があり、はれもの、下痢などの薬用とし、また染料にも使いました。

 民間療法として、梅干熱灰に埋めて黒焼きしたものを熱湯に入れ、かきまぜて飲むと、せき効果があることが伝えられています。

 胃弱の人や食欲のない人は、食後に一個ずつ梅干しを食べると健胃の効果があるなど、梅干しは解熱痛み止めのほか、防腐、殺菌などに広く用いられてきました。

 薬効、主な成分クエン酸、リンゴ酸、酒石酸などの有機酸を含んでいるからです。今でも果肉の汁を煮詰めてつくった、紀州(和歌山)産の青梅、南高梅などの梅エキス(梅肉エキスとも、民間薬)が市販されています。

 私は、家内(尊子、タカコ)の両親(佐古、徳島)手作りの黒い粘性状の梅エキスを、箸(はし)に付け、オブラートで包み、水で飲んだことがあります。殺菌力が非常に強く、飲むとすぐ下痢が止まって回復したのを覚えています。

 日本では梅は、薬用のほか、食用として用いられ、日の丸弁当というのは、主食は99%が米で、副食は梅干し一つだけの弁当で、栄養学的には、低カロリーです。が、この一粒の梅干アルカリ性食品)は、胃の中に入るとすぐ、99%の酸性食品)の酸性を中和し、食べた米のほとんどが吸収されるので、労働のための理想食となります。

梅干(うめぼし、google画像) 梅干し(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E5%B9%B2%E3%81%97 

(解説) 梅干(うめぼし)は青梅の実を塩漬けにし、取り出して日光にさらした食品で、多くは6月頃、赤紫蘇(あかじそ)の葉を加えて紅色にして漬けます。

 酸性食品は、体内で酸化されて主として酸性の物質を生じ、体液の酸性度を高める、白米やパンなどの穀類、肉類、酒などの食品で、イオウ、塩素、リンなどの非金属元素を多く含むものです。

 アルカリ性食品は、体内で燃焼してアルカリ性の物質を生ずる、野菜、果物、牛乳などの食品で、ナトリウム、カリウム、カルシウムなどの金属元素を多く含むものです。 

 人の体液弱アルカリ性で、酸性食品の摂取については、相当量のアルカリ性食品をとることが望ましく、酸性食品を取りすぎると、そのバランスがくずれ、健康に影響するとされています。

 最近、梅干は塩気が多いと言うことで、低塩梅干も市販されていますが、食べる量を考えて、健康に役立てたいものです。、

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.818~820、梅干し、三宝出版社(1994); 樋口清之: 梅干と日本刀(第7刷)、p.54~58、日の丸弁当は超合理的な食品、祥伝社(2005).

(参考資料) 烏梅(うばい、なんでも梅学): http://minabe.net/gaku/kurashi/ubai.html. 

地方特産の果物、ブドウ(葡萄)、イチゴ(莓)、ウメ(梅)、リンゴ(林檎)、ナシ(梨)、モモ(桃)、クリ(栗)、カキ(柿)、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki236.html

 

2013年1月21日 (月)

兵庫(神戸)県名の由来、兵庫の名は、武庫川の武庫に由来する! とは(2013.1.21)

 兵庫(ひょうご)とは、広辞苑によれば、兵器を納めておくくら。武庫(ぶこ、むことも)。へいこ。また、兵庫寮(ひょうごりょう)は、古代、律令時代、兵庫の兵器および儀仗(ぎじょう、太刀、弓など)の出納(すいとう、出し入れの意)、修理、検閲等をつかさどった役所でした。

 兵庫は、近畿地方の北西部の県で、その昔、但馬(たじま)・播磨(はりま)・淡路(あわじ)三国、摂津(せっつ)国の西半分、丹波(たんば)国の一部を管轄(かんかつ)していました。そこで、改めて、兵庫(ひょうご)と県庁所在地の神戸(こうべ)の由来を調べてみました。

○ 兵庫(神戸)県名の由来

 兵庫(ひょうご)のは、中世に見えて来るが、吉田東伍(よしだとうご、1864~1918、歴史地理学者)は、阪神地方の古称、武庫(むこ)に由来するといい、古事記、播磨風土記等により古代から開けたことが知られています。

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武庫川(むこがわ、上流の宝塚市街から大阪平野に向かって流出している、google画像)。 武庫川(ウィキペディア): 、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%BA%AB%E5%B7%9D

(解説) 武庫地方というのは、大阪湾の北岸一帯をの地方を指し、古代の中心は武庫川の河口付近でした。しかし、奈良時代以後、その中心は、むしろ今の兵庫地方で、これを務古(むこ)の水門(すいもん)、武庫(むこ)の(とまり)、大輪田(おおわだ)の(とまり)等と呼びました。

 ということで、武庫地方の中心が武庫川の河口から、今の神戸市兵庫の地に移動したために、そこが武庫の湊(みなと)となり、転じて兵庫の湊(みなと)となった、という。

 神戸(こうべ)のは古く、大輪田(おおわだのとまり)と呼び、畿内の西の要衝(ようしょう)であったため、源平、南北朝などの争乱の地となりました。

 神戸(こうべ)の名については、和名抄諸国郡鄕考によれば、八田部郡生田の近境の鄕名神戸(かんべ)があり、神社に所属してその経済を支えた封戸(ふこ)のことでした。延喜式に生田神部をして造酒させたことがのっており、これは灘酒起こりであって由緒は正しいという。

 江戸時代(1603~1868)、兵庫(県)は姫路藩以下大小19藩、天領(てんりょう)などに分かれていました。1871年(明治4年)、兵庫、姫路、豊岡、名東4県となり、1876年(明治9年)、兵庫県統一されました。

 私は、郷里にマイカー(マツダ、サバンナ、のちファミリア)で帰るとき、1976年(昭和51年)~1982年(昭和57年)まで、平和町(金沢市、石川)ー北陸自動車道(金沢西IC~敦賀IC)ー国道8号(山越え、峠茶屋休息、彦根へ)ー名神高速道路(彦根IC~西宮IC)ー国道43号ー阪神フェリー(青木(おおぎ)、東灘区、兵庫~末広(すえひろ)、南福島、のち沖州地区、徳島)ー県道ー自宅(上板町、板野郡、徳島)のコースで帰省していました。

 1983年(昭和58年)からは、北陸自動車道(金沢西IC~米原JCT)-名神高速道路(米原JCT~西宮IC)ー阪神高速道路(西宮IC~若宮)ー国道2号線(若宮~明石)ー明石フェリー(明石~岩屋)ー淡路島(国道28号線、四国連絡道路、うずしおライン)ー淡路フェリー(阿那賀、淡路~亀浦、鳴門)ー県道ー上板町(板野郡、徳島)のコース(片道約500km)て帰省していました。

 その後、1985年(昭和60年)には、大鳴門橋(淡路島南IC~鳴門北IC、全長1.6km)、また、1998年(平成10年)には、明石海峡大橋(垂水JCT, IC~淡路IC,SA、世界一の吊橋、全長3.9km)が開通、神戸淡路自動車道(垂水JCT, IC~鳴門IC)ー高松自動車道(鳴門IC~板野IC~高松中央 IC)とつながり、まさに夢の架け橋が実現し、高速料金が少し高いのですが、直通で帰省できるようになり、現在に至っています。

 なお、運転免許証は、1975年(昭和50年)4月9日、アリゾナ大学(化学科、H. Freiser 教授、米国)に博士研究員(溶媒抽出、イオン選択性電極関連の研究)として留学中(1975年1月~12月)に取得した国際免許証(帰国後、書き換え手続きで日本でも通用するもの!)でした。 免許試験は、まず交通法規に関するマークシートの筆記試験があり、合格後に実技試験に移り、自動車学校の教官(警察官OB!)よりオートマティック車で1週間の路上教習を受けた後、試験場のまわりを一周し、駐車場に見立てた所定の4本のポール位置に車を入れるというものでした。

 私は、その5年ほど前、1969年(昭和44年)4月から金沢大学理学部(化学科、分析化学研究室、分析化学、環境化学関連の研究)に勤務しはじめ、木羽敏泰教授(金沢大学)及びH. Freiser 教授(アリゾナ大学)のもとに留学された松井正和助教授(のち教授、京都大学)のご推薦もあり留学することができました。

 ということで、それまでの郷里への帰省は、主にJR北陸線(金沢~湖西、京都~大阪)ーJR山陽線(大阪~宇野、岡山)ー宇高連絡航路(宇野~高松)ーJR高徳線(高松~板野、徳島)ー国鉄鍛冶屋原線(板野~鍛冶屋原、1972年(昭和47年)1月廃止、県道へ)-自宅(天神前、引野、上板町、板野郡、徳島)のコースで、まる1日かかり、遠い道のりを実感しました。  

(参考文献) 吉崎正松: 都道府県名と国名の起源、古今書院(第1刷)(1972); 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 兵庫県高等学校教育研究会歴史部会(兵庫県歴史学会)編: 兵庫県の歴史散歩(1版、5刷)、上 下、山川出版(1998).

2013年1月14日 (月)

神子清水(動画)、白山麓の湧水(2013,1,13)

 金沢から約20km、白山麓の鳥越村(とりごえむら、のち白山市)周辺には、釜清水(かましみず)の弘法池(こうぼうのいけ)、杉森地蔵水(すぎのもりのじぞうすい)、神子清水(みこしみず)、柳原湧水(やなぎはらのわきみず)など、よく知られた湧水があります。

 人々は、古くから、これらの水には神が宿っていると信じ、霊水と呼び、命の水として、また、生活のための大事な水として、感謝と祈りを捧げて大切に守り、使ってきました。

 神子清水(白山市、動画): mol001.3gp

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神子清水(鳥越、白山市、石川県、2013.1.13撮影)

(参考文献)  白山(石川)のふもとに湧き出る名水、弘法池の水(釜清水)、白山霊水(白山比咩神社)、杉森地蔵水(杉森集落)と湧水の水質(ヘキサダイヤグラム)、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/96.html

2013年1月11日 (金)

The Master of Go, 名人(2013.1.11)

     Master of Go, Shusai Honninbo (1874-1940), twenty first in the Honninbo succession, played his final match (Intai Go)  with Minoru Kitani (1909-1975) of the Seventh Rank .

     The match began in Tokyo on June 26, 1938, at the Koyokan Restaurant in Shiba Park, and  ended  on December 4, in Ito, at the Dankoen Inn. A single game took almost half a year.  The last play was Black 237, by the Master's appointment. His defeat by five points made quite clear.

A Novel, The Master of Go, 小説、名人、川端康成著

(Literature cited)  The Master of Go: a novel by Yasunari Kawabata; Translated from the Japanese by Edward G. Seidensticker, ALFRED A.  KNOPF,  INC.(1972). 名人、川端康成著、英訳.

The final match of Shusai Honninbo, Master of Go、本因坊秀哉名人の引退碁: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/43.html

Science Topology (Science of Kaga and Noto),科学風土記(加賀・能登のサイエンス)(2013.1.11)

     Contents in the book of  Science Topology (Science of Kaga and  Noto), surveys scientific topics of 102 items concerning traditional  arts and crafts (24 items, Kutani ware, Ohi ware, Kaga Yuzen Zome, Bamboo work, Gold foil work etc.), foods (17 items, Amaebi(shrimp), Zuwaigani(crab), Baigai(shelfish), Hotaruika(cuttlefish), Turuarame(seaweeds) etc.), natural features (35 items,

Lead tile of Kanazawa Castle, Lead tile and Athyrium Yokoscense(fern), Kinjo Reitaku(sacred well), Cherry of Kenrokuen, Sakin(gold dust) etc.), the scientific greats (19 items, Joji Sakurai, Jokichi Takamine, Yukichi Osaka, Hisashi Kimura et al.), and cultural inheritance (7 items, Kanazawa Castle, Myoryuji(Ninjadera), Nodayama Graveyard etc.), on the basis of local materials in Kaga and Noto district in Ishikawa Prefecture.

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Science Topology(Topography), 科学風土記

この著書は、1997年(平成9年)度後期、金沢大学公開講座、また1998年(平成10年)度、金沢大学短期留学プログラム(KUSEP)のテキストとして使われました。

(Literature cited)  Ishikawa Chemical Education(The Ishikawa Society for the Study of Chemical Education) edited.: Science Topology (Science of Kaga and Noto District in Ishikawa Prefecture), Shokabo, Tokyo(1997),  石川化学教育研究会編: 科学風土記(加賀・能登のサイエンス)、裳華房、東京(1997).Ishikawa Chemical Education(石川化学教育研究会、ホームページ): http://ice-ishikawa.w3.kanazawa-u.ac.jp/

The Origin of the Names, Ishikawa (Kaga, Noto, Kanazawa) Prefecture, 石川(加賀、能登、金沢)県名の由来: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/294.html

2013年1月 9日 (水)

Kinjo Reitaku (Sacred Well)、金城霊沢(2013.1.9)

    The name of Kanazawa (Marsh of Gold) is taken from this well. According to a legend, once there was an honest farmer, Imohori Togoro. When he washed his mountain potatoes in this well, where it was a natural marsh then, he found gold in the mud, and shared it with his neighbors, and they lived happily ever after.

     Unfortunately, there is no gold to be found in the well now. However, some gold like a gold dust has in fact been found in the near Sai river, so this story may not be as dubious as it sounds. The dark cave contains a stone tablet written by the fhirteenth Lord , Maeda Nariyasu ( 1811-1884), explaining the story of the well.

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Kinjo Reitaku (Sacred Well)、金城霊沢

(Reference)  Sacred Well Water in Kenrokuen, Kinjo Reitaku、兼六園の中の名水、金城霊沢: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-b450.html

2013年1月 7日 (月)

School of Kaga Feudal Clan,加賀の藩校(2013.1.7)

      After the Meiji Restoration, three schools of Kaga Feudal Clan were opened in Kenrokuen Garden, that is, the School of Physics, Chemistry and Pharmacy in the ruin of Shiguretei(in front of Fountain, the epitome of a Japanese tea house), the Mining School in Seisonkaku Villa(beside Yamazaki Hill, the retirement residence built in 1863 by the 13th lord for his mother), and the Middle East School(English and French Western School) in the middle point between Seisonkaku Villa and Kanazawa Shrine.

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Kaga Feudal Medical School, 加賀藩の医学校

(Reference) Kenrokuen and School of Kaga Feudal Clan, 兼六園と加賀の藩校http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4dbe.html. 

2013年1月 4日 (金)

Snow hanging in Kenrokuen Garden, 兼六園の雪吊り(2013.1.4)

     Kenrokuen Garden lies in the center of Kanazawa City like a precious green jewel. As a symbol of Kanazawa, it  attracts 1 million people yearly.

     It was completed in 1676 as an outer garden of Kanazawa Castle for the fifth feudal lord, Maeda Tsunanori (1643-1724). Master craftsmen labored over 150 years to perfect the garden.

     For years it was opened exclusively to the Maeda family. But after the Meiji Restoration, it was opened to the public.

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Kanazawa Castle and Kenrokuen, 金沢城と兼六園

     Kenrokuen, a designated national landmark, still maintains all the characteristics of an Edo Period stroll garden and is considered to be one of three famaous gardens in japan, the other two being Mito's Kairakuen and Okayama's Korakuen.

     It received its name because of its six(roku) superior qualities. These are extensiveness(spaciousness), quiet seclusion, artificiality(technology), antiquity, abundant water(flowing water), and wide prospect(extensive views). The garden covers 100,741 square meters(10.1 hectare site) and offers a unique experience of nature in any season.

     In winter, snow hanging(yuki tsuri) is carried out to protect branches of trees under the weight of heavy snow.

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Snow hanging in Kenrokuen Garden, 兼六園の雪吊り

(Reference) Snow hanging in Kenrokuen Garden, 兼六園の雪吊り: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/148.html

2013年1月 1日 (火)

the New Year's greetings, 年賀(2013.1.1)

A Happy New Year !

2013

新年おめでとうございます

2013年 元旦

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