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2013年2月の9件の記事

2013年2月27日 (水)

ブログ、@niftyココログ入会(2012.12.7)、TypePad、日本語サービス終了につき退会申請(2013.2.24)、ブログのタイトル変更(2014.4.1)、Facebookに参加(2013.1)

 ブログ、TypePadが3月末で日本語サービス終了ということで、2月24日(日)に退会申請しました。現在、私が投稿していたTypePadのブログ、サイエンス(科学)から眺める歴史散歩の話題(Kanazawa.typepad.jp)は、Googleでアクセスすると次のように表示されます。

エラー:  このリンクは無効です。

ヒント:

2013年2月25日 (月)

Famous Red Ear Game between Genan and Shusaku, 幻庵と秀策との間の有名な耳赤の碁(2013.2.25)

     Honinbo Shusaku (1829-1862) was born in what is now Hiroshima Prefecture, and his real name was Kuwahara Torajiro. At the age of eight, he was already able to play Ito  Showa in a 9-stone game at Onomichi. At nine, he came up to the capital to become a pupil of Honinbo Jowa.

     By 1840, he was shodan and by 1846 4-dan. In that year, he played Genan Inseki in Osaka, scoring three wins and leaving one game unfinished, including the famous Red Ear Game. Genan was amazed at the boy's strength. He was apponited Shuwa's heir  1848, and was promoted to 6-dan, and married Jowa's daughter, Hana.

     In the following year, he made his first appearance at the Shogun's Palace. In the 13-year period up to 1861, he played 19 castle games and won the lot.

     He died of cholera at the early age of 34 in the Edo (Tokyo) home of the Honinbos, without actually succeeding to the title of head of the family. Nevertheless, he is still honoured as a Honinbo.

     Shusaku was only 7-dan when he died, yet he is regarded as a go sage, a title accorded only to the very greatest go players.

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Appreciating Famous Games (Shuzo Ohira 9-Dan,  translated by John Fairbairn, The Ishi Press, Tokyo, Japan,  1977)

(Reference)  碁の名手(本因坊秀策)の耳赤の一手にまつわる歴史対局、耳赤の碁、秀策流、御城碁19連勝、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/37.html.

2013年2月21日 (木)

ブログ、国内ブログの総数、ブログを開いた動機(総務省調査、2008)、とは(2013.2.21)

 ブログ(blog)は、ウェブサイト(world wide web、世界的なネットワーク)を記録(log)するという意味で、普通、個人が多く、また数人のグループ、組織などで運営され、日々更新される日記のようなウェブサイトの総称です。 webは、蜘蛛(くも)の巣状のもので、networkの比喩(ひゆ)です。

 その歴史は、1993年(平成5年)6月頃、アメリカで誕生、1997年(平成9年)12月頃、ウェブログ(weblog)と名付けられ、1999年(平成11年)4月か5月頃、略されてブログ(blog)と呼ばれるようになりました。 日本には、2000年(平成12年)2月頃、はじめて紹介されました。

  総務省の情報通信政策研究所の調査によれば、国内のブログは、2008年(平成20年)1月末現在、約1690万件、記事総数は約13億5000万件と単行本約2700万冊のデータ量に相当することが分かりました。 

 ブログの総数は2004年(平成16年)以降急激に増え、2006年(平成18年)1月に1000万件を突破、その中で1ヵ月に1回以上更新されるブログは約300万件で全体の2割弱で、毎月50万件のブログが新設されていました。

 ブログを開いた動機については、① 日々の出来事を伝えたい「自己表現型」、30.9%、② 情報のやりとりを重視する「コミュニティー型」、25・7%、③ 趣味に関する情報を整理した「アーカイブ型」、25%、 ④ 現金収入を得たい「収益目的型」、10.1%、⑤ 知識を発信する「社会貢献型」、8.4% とのことでした。調査は、ネット上の情報を自動収集するシステムとアンケートでデータを集めて推計してあります。

 私のブログ活動は、生涯学習の一環ですが、その内容の多くは、ーーーとは形式の歴史散歩の話題の紹介であり、主に知識を発信する社会貢献型となっています。また、 趣味の囲碁については、関連した情報を整理したアーカイブ型となっています。

(参考資料) ブログ(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0

ブログの歴史(閾ペディアことのは、松永英明): http://www.kotono8.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 国内のブログ(2008年2月、総務省調査): http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/07/03/20148.html

朝日新聞(木村和則): 国内ブログ 単行本2700万冊分、総務省調べ、2008年(平成20年)7月10日(木)朝刊。

2013年2月17日 (日)

Iwama Sinter Cone (at the foot of Mt. Hakusan, Ishikawa), 岩間噴泉塔(白山麓、石川)(2013.2.17)

     Iwama Sinter Cone with hot springs is located at the foot of Mt.Hakusan, now a dormant volcano, in Ishikawa prefecture. The towers of tufa with spa  are designated as a natural monument  in 1957.

     The rocks made from calcium carbonate consist of  calcite and aragonite.  The flora of thermal algae as blue-green algae is found on  the surface of tufa along with hot springs.

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Iwama Sinter Cone (at the foot of Mt. Hakusan, Ishikawa),岩間噴泉塔(白山麓、石川)

(Reference)  白山の麓の岩間の谷底から噴き上がる熱水(岩間噴泉塔)、噴泉塔の表面を色どる藍藻の温泉水浄化、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/hakusann.html.

2013年2月13日 (水)

Sasazushi(Ishikawa), 笹寿司(石川)(2013.2.13)

  Sasazusi is made of vinegared fish, such as sea bream and trout , and rice, both of which are wrapped with bamboo leaf. It is well known that the bamboo leaf has sterilizing power, and gives an antiseptic effect. The component of a sweet smell in the leaf is said to be coumarin.

Sasazushi( trout, Ishikawa, 笹寿司、鱒、石川)

(Reference)  Sasazushi (Ishikawa、笹寿司、石川Wikipedia) : http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%B9%E5%AF%BF%E5%8F%B8.   

2013年2月11日 (月)

Ame(Candy, Tawaraya, Kanazawa) , 飴(俵屋、金沢)(2013.2.11)

 Ame is a sticky honey-like candy. The products are made of starch of glutinous or nonglutinous rices and barley malt with diastatic  enzyme, amylase, with neither sugar nor preservatives. 

 Its sweetness comes naturally from malt sugar, maltose, making it a traditional health food for a sick person. It is also used in cooking and makes a good sweetner of coffee and black tea.

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Jiro Ame(じろ あめ、Tawaraya, Kanazawa) Jiro Ame is a well known sweet in thick syrup that has been traditinonally eaten by new mothers as a source of nuturition after giving birth. It is said that Tawaraya Ame Shop starts at 1830, the Edo period.

(Reference)  金沢の水飴(俵屋)にまつわる歴史伝承、水飴のじろあめ、粟あめ、おこしあめ、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/99.html

2013年2月 4日 (月)

立春、節分の翌日!(2013.2.4.)

 立春(りっしゅん)は、節分の翌日の2013年2月4日(月)、暦の上でようやく春になった、ということです。 まだ寒さは厳しいのですが、日足は次第に長くなり、野山には草木の芽吹が見られ、春立つともいう。

 この日を年越しと考える風習があり、正月節、歳正月などともいう。八十八夜、二百十日、二百二十日などはこの日から起算します。立春の前夜または当日、社寺で行われる祭儀は、節分祭と言われています。

立春、節分(2月3日、旧正月)と豆まき、追儺(ついな)の鬼、太陰暦(旧暦)と太陽暦(新暦)、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/160.html

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生活歳時記(樋口清之監修、三宝出版、1994)

春立つや 昼の灯くらき 山社        子規

春立ちて 三日嵐に 鉄を鋳る      草田男

寝ご々ろや いづちともなく 春は来ぬ   蕪村

(参考文献) 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.72 立春、三宝出版(1994).

2013年2月 3日 (日)

日本刀、鍛える(熱い鉄を叩く!)焼きを入れる(熱い鉄を水に投入!)日本固有の技術、日本刀の起源、砂鉄(磁鉄鉱)、とは(2013.2.3)

 日本には、木炭という低温燃料しかなく、(ふいご)で風を送っても、得られる最高温度1200℃ほどなので、融点1535℃を熔解することは不可能でした。

 が、日本刀の製作には、西洋科学には見られない、鍛えて焼きを入れる! という、日本独特の優れた鉄の技術が考え出されました。 一方、西洋(ヨーロッパ)では早くから、コークス(石炭を蒸し焼きした燃料)があり、鉄を熔解し鋳型で形を整えるだけでした。

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梅干と日本刀(樋口清之著、祥伝社、2005)

○ 木炭で得られる熱量は、鞴(ふいご)を使っても、最高温度は1200℃である!

 普通、を沸かす木炭800℃ほどです。また、を焼く備長炭(びんちょうたん)は600℃ほどの低温で、長時間に燃焼します。これはウバメガシ科の樹木からつくった、叩くとカンカンと金属音がする硬質の炭です。火持ちがよいので、煮物焼物をつくるのに使います。この炭は江戸時代、元禄(1688~1704)頃、和歌山県田辺市の近くで、備中屋長衛門(生没未詳)がつくったという。

 それ以前には佐倉炭(さくらたん)が多く、さらに古くは松炭でした。松炭消し炭のことで、短時間に燃焼する木炭のことです。温度は、松炭が一番高く1200℃ほどでした。

○ 鉄の融点は1535℃ですが、木炭で得られる最高温度は1200℃ほどなので、半熔解、アメ状の鉄しか得られません。日本刀の場合、鉄は不完全熔解なので、叩いて均質にする技術の創案は優れた科学的な知恵と言えます !

 鋼鉄(こうてつ)は、砂鉄を原料にして製錬すると得られます。まず、砂鉄粉石英粉木炭粉を交互に重ねて、蹈鞴(たたら)を使う熔鉱炉の中に入れrます。熔鉱炉の下に火口があり、火をつけて3昼夜ほど熱すると、どろどろのアメ状の鉄が得られます。

 この鉄の塊(かたまり)には、不純物が多く含まれているので、上のカスを取り除き、鋳型に流し込み固めると銑鉄(せんてつ)が出来ます。

 それを叩いて細かくし、もう一度、石英粉と木炭粉を重ね、空気を吹き込む蹈鞴(たたら、ふいごとも)で処理すると、今度は、炭素が多く含まれた鋼鉄の元ができます。それは玉鋼(たまこがね)と呼ばれるものです。

 玉鋼は、炭素分が多く固いがもろい。そこで、これに柔軟性を与えるために、もう一度、木炭の中で半熔解に熱して鍛えます(叩く!)。このとき、火花という形で玉鋼の中の炭素を放出し、いつも同じ力で均質になるように叩く必要があり、熟練を要する技術でした。

 村の鍛冶屋という歌にある、飛び散る火花というのは、鉄粉から出る火花のほか、多くは中に入っている木炭の粉末が火花となって放出されるのを歌ったものです。村の鍛冶屋の歌(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E3%81%AE%E9%8D%9B%E5%86%B6%E5%B1%8B

○ 日本刀の切れ味は、鉄の焼き入れの水加減に秘密がある。焼き入れで硬軟あわせ持つ特異な刃物が出来るという着想は、驚嘆に値する!

  鉄を鍛える鋼鉄の鉄分の純度は髙くなります。が、炭素を出しきってしまうと、グニャグニャのバネになってしまう。そこで、ある一定の限度で叩くことを止め、日本刀の芯の主体をつくります。そのままでは刃物としては弱いので、さらにその表面を一層硬度の高い鋼鉄層に捲りまくり、鍛え!)、よく熱して打ち固め、刀身の主体部を仕上げます。

 その次の段階では、刃の部分に焼きを入れて、この部分だけ最も硬度の高いものとし、薄く研(と)いだとき、よく切れるようにします。

 それには、全体に粘土を塗って、刃のところだけ粘土を落として、火の中で焼く。そして、焼けたものを、生ぬるい水の中につける。刃の部分だけ薄くなって、粘土をつけてないので、そこだけ密度が高くなります。すると、刃のところだけが非常に硬質の刃物となり、粘土に包まれた刀身全体は、まだ柔軟性のある柔らかさを持っています。

 この鉄を収縮させるための水の温度は大切で、冷たすぎる水につけると、刃自体にヒビが入ってしまうし、温度が高いと、硬度が得られないので、適切な温度は7~13℃と言われるが、刀鍛冶はこの水加減を秘伝としました。

 このように、刃のところだけに焼きを入れるために、全体を泥で包んで保護し、刃のところだけ泥を落として焼くと、全身に同じ温度がかかっても、ぬるま湯につけたときの冷却の仕方が異なることになります。

○ 剃刀(かみそり)の鋭利さを持つので日本刀は折れない。日本刀は曲がっても元に戻して使え、固い刃は折れないという、極めて矛盾した性質を備えている!

 日本刀は後ろに反らしてあります。この反りの理由は、直刀で直角に物を切ると、刀身の断面角度は3度くらいあって鋭利さに欠けるからです。刀身を反らして斜めに引き切ると、円運動になります。すると3度の刃が物を切っていくときには、0.1~0.08ぐらいの角度になり、これは安全剃刀の刃ぐらいの鋭利さです。

 日本刀には、丈夫さとして、3度の角度分だけの厚み、加えて重量があります。そして、鋭利さが安全剃刀ぐらいの刃、力が加わると折れずに曲がる柔らかさを持ち、固い物も切れる硬質さを持つという、完璧な刃物となっています。

 のち、鑑賞用になり、焼きを入れるときの刃紋の乱れにおいと呼び、楽しむようになります。これは遊びという芸術性の要求です。が、には本来、においなど問題ではなく、やはり、切れることが第一でした。

○ 日本刀の起源

 日本刀起源として、古墳から出土した刀を顕微鏡で調べ、まくり鍛えは少し異なるが、1500~1600年前のものと分かりました。なお、鉄器は、弥生時代、水稲耕作の技術と同じ頃、中国、朝鮮を経由して日本にもたらされ、武器として用いられました。また、青銅器は、鉄器にやや遅れて日本に伝わり、おもに祭器として利用されました。

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関孫六の銘刀(せきのまごろく、生没未詳、室町後期美濃の刀工、関市、岐阜県、google画像) 関鍛冶伝承館(日本珍スポット百景、関市、岐阜):http://b-spot.seesaa.net/article/58556538.html

(解説) 平安時代には、日本刀は、はっきりと全身まくり(鍛え!)になり、刃に焼きを入れる技術が完成しました。なお、江戸時代、慶長(1596~1615)以前のものを古刀以後のものを新刀と呼びます。 

 昔の刀鍛冶(刀を鍛える工匠、刀工、刀匠とも)が、斎戒沐浴(さいかいもくよく、飲食や行動を慎み、水を浴びて心身を清めること)し、仕事場には注連縄(しめなわ)を張るというふうに、その仕事を神聖化したのは、鍛える刀剣へのい(入魂!)もあったと推測されます。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之: 梅干と日本刀、日本人の知恵と独創の歴史(第7刷)、p.38~47、ゾリンゲンのナイフに応用された日本刀の技術、日本刀の切れ味は、焼入れの水加減に秘密がある、剃刀の鋭利さを持つから折れない日本刀、祥伝社(2005);桶谷繁雄: 金属と日本人の歴史(第1刷)、p.54~57、日本刀製作の苦心はどこにあったか、講談社(2006).

(参考資料) 宮本武蔵(二天一流)にまつわる歴史伝承、五輪書(霊巖洞)、巌流島の決闘(二天記)、花鳥水墨画(剣禅一如)、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-f226.html

(追加説明) ○ 砂鉄

 砂鉄(さてつ)は、岩石中に存在する磁鉄鉱(四三酸化鉄、黒色、磁性が強い)が、岩石の風化分解によって流され、河床または海岸、海底に堆積したものです。

 私は、子供の頃、自宅の砂に棒磁石を近づけたところ、小粒の黒色の砂がたくさん付着したのを覚えています。

 日本の砂鉄の産地として出雲(島根)が有名です。そこの砂鉄の成分は、鉄 67.46%、酸化ケイ素 2.74%、酸化アルミニウム 0.42%、酸化マグネシウム 0.67%、 硫黄 0.033%、 リン 0.005%、 銅 0.058%、酸化チタン 1.63%など、その特徴としてリン、硫黄及び銅などの不純物が極めて少ないことです。

 砂鉄(青森県三沢、北海道中ノ沢産など)には、鉄鉱山の鉱石(岩手県の釜石、北海道倶知安産など)に比べ、鋼鉄の製錬の妨害となる、リン、硫黄及び銅が著しく少なく、特に少なかった出雲の砂鉄が、日本における鉄鋼原料として有名な理由が分かります。

 釜石鉄鉱石の成分は、鉄 56.84%、酸化ケイ素 8.64%、酸化アルミニウム 1.78%、酸化カルシウム 5.82%、 酸化マグネシウム 1.33%、 硫黄 0.227%、 リン 0.034%、 銅 0.114%、マンガン 0.159%などです。砂鉄(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E9%89%84

 また、日本刀の成分を調べ、砂鉄には極微量モリブデンが含まれていることが確認されています。これが、鋼鉄の硬さの一つの要因になっているという。日本刀(Tech-On):http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090811/174070/?P=3. 

 八岐大蛇(やまたのおろち)伝説については、出雲地方の水害を象徴したもの、また、朝鮮渡来の金屋集団による砂鉄と木炭による製鉄と大国主命の伝説とが結びついたものとも言われています。八岐大蛇(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81. 

2013年2月 1日 (金)

快晴の青空の下、白山の雪景色を遠望,(桜田、金沢、2013.2.1.)

 今朝、2月1日の空は、雲一つない快晴の青空でした。早速、犀川(金沢)近くのわが家(サーパス桜田町一番館、10階)のベランダから、雪に覆われた白山(2702m、東南の方向)を遠望、オリンパスのデジカメでその姿を撮影しました。

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快晴の青空の下、白山の雪景色を遠望(桜田、金沢、石川、2013.2.1.撮影)

 

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