« 二十四節気(にじゅうしせっき)、1年間の季節を表す言葉(太陽の通り道を基準とする、太陽暦!)、農耕(種まきから収穫まで、農作業の目安!)に活用、とは(2012.6.23) | トップページ | 阿波和三盆糖の里(徳島)の歴史伝承、熊野神社、丸山古墳、サトウキビと糖源公園(丸山徳弥彰徳碑、生田花世歌碑)、引野天神跡、共同墓地、本浄姓のルーツ、松島神社、土地制度、名字(苗字)、新制学校校歌、生田花世と瀬戸内寂聴、松岡康毅、中川虎之助(代議士)、砂糖の歴史、葬儀のしきたり、ふるさとの家、新制教育制度(2009.8.31) »

2013年3月 1日 (金)

阿波藍(徳島)と樽廻船(大阪と江戸を結ぶ貨物船、南海路)にまつわる歴史秘話、藍草と藍染め、藍玉の取引(德島城下~吉野川~撫養~大阪~太平洋岸~江戸)、とは(2009.8.16)

  古代、阿波国は、律令制のもと、中郡の名方(なかた)、板野(いたの)、阿波(あわ)及び下郡の麻植(おえ)、美馬(みま)、勝浦(かつら)、那賀(なか)の7郡に分かれ、国府(こくふ)は名方(のち名東(みょうどう)、名西(みょうざい)、現国府町、徳島)に置かれていました。

 1784年(天明4年)頃、阿波藍生産地の中心は、吉野川中・下流域の北方5郡(名東、名西、麻植、板野、阿波)、特に吉野川下流の板野郡の地域でした。この地域は、吉野川が毎年氾濫し(1800年代で16回)、上流から土砂が流出し、肥沃な平野を形成していました。

 地名のことですが、(いた)は、傷む(いたむ)の語幹、物が損なわれるの意味であり、河川などによる川岸の崩壊に由来するので、板野(いたの)は吉野川の氾濫によりできた平野を意味していると思います。俗説では、徳島藩が吉野川流域に堤防を築かなかったのは、流域の藍作を持続したいためとのことですが、史実は、藩には吉野川の完璧な治水工事を行う財源もなければ、労働力の確保も出来なかったのだと言われています。

Img_ainoyakata1_2

藍の館旧奥村家、藍住町歴史館、藍住、板野、徳島)

藍の館(藍住歴史館、藍住、板野、徳島):  http://www.town.aizumi.tokushima.jp/ainoyakata/index.html

1001d1

三好昭一郎(郷土史家)、ふるさとの宝物、奥村家の住宅(2002.10.1): http://www.jrt.co.jp/tv/ohayo/furusato/021001.htm

 板野地域には、昔から藍を栽培していたと思われる、藍がついた町名、藍園(あいぞの、のち住吉と合併、藍住、あいずみ)、名西地域の藍畑(あいはた、のち浦庄、高原、高川原と合併、石井)などがあります。

 古くは、鎌倉時代、1247年(宝治元年)、美馬郡岩倉(脇町)の宝珠寺(ほうじゅじ)境内に翠桂和尚(住僧)が、唐から入手した藍の種をまいて栽培し、その染葉で僧衣を染めたことが見性寺記録に見られますが、これが阿波における藍作の始まりと言われています。

 なお、平安時代の初期に、荒妙(あらたえ)という布地(麻!)を織っていた阿波忌部(いんべ)氏が栽培したのが起源だという伝承もあります。

Images1_8

藍草と藍染め(あいぐさとあいぞめ、草木染め、染料植物図鑑)

(解説) 藍草(タデ科、一年草)は、インドシナ(南部)原産と言われ、日本には飛鳥時代中国から渡来し、広く栽培され、染色または薬用(生葉の汁を毒虫の刺傷、腫れ毒に外用、解毒、解熱などの漢方薬)として使用されました。 

 は、毎年同じ土地に栽培すると、収量も減るし品質も落ちる(連作できない)のですが、吉野川流域の藍の生産地は、毎年の大洪水により、広い畑に新しい肥沃な土が堆積するので、毎年葉藍を収穫することができました。藍は、早春の2月頃に苗床に種をまき、4月中頃に畑に移植し、7~8月頃の暑い盛りの刈り取りまで120日間手掛けました。9月頃、葉藍を作る藍こなし作業、黒色の塊状の蒅(すくも)を作る発酵作業(約75日)後、これを藍臼(あいうす)に入れてつき固めたものが藍玉(あいだま)です。

 これらの作業はいづれも重労働であり、その労苦をしのばせる多くの作業唄(さぎょううた)が残っています。阿波の北方(きたがた)おきあがり小法師(こぼし)、寝たと思たらはや起きた、二度とくまいぞ藍こなしだけにゃ、芋と麦めしで目がくらむ、嫁にやるまい板野の里へ、夏の土用に水踏車、藍の種まき生えたら間引き、植えりゃ水取り土用刈り

 藍草は白藍(インジカン)を含み、加水分解によってインドキシルとなり、空気中で酸化して青藍(インジゴ)となります。蒅(すくも)を藍甕(あいがめ、大谷焼)に入れて、灰汁とふすまと石灰で藍建して染色します。水色から藍色、紺色までの青色の全てを染めることができます。

  染色は、産地による品質の違いが大きく、阿波産のものが染色に一番良かった言われています。阿波産の藍には色素(インジゴ)含量が多く、何回も染液に布を浸けなくても良く染まったそうです。これは、肥料の3要素(窒素、リン酸、カリ)の中でも、肥沃な土には窒素成分の多い腐葉土が豊富に含まれていたと考えられます。

 また、川の氾濫による生産には限界もあり、後になって、北前船(きたまえぶね、西廻り航路、大阪~日本海岸~北海道)を通じ、腐葉土の代わりに北海道産の魚肥(いわし)を干したもの、干鰯(ほしか)、ニシンを干したものなどを買い付け、有機肥料として使うようになりました。この理由として、藍の色素のインジゴの1分子には2個の窒素原子が含まれており、藍のよい色素を生成するには、多くの有機窒素肥料が必要なものと推測されます。

1_6

蜂須賀家政(1558~1639、徳島藩祖、阿波、徳島)

(解説) 阿波藍の名が全国に知られるようになったのは、1625年(寛永2年)、阿波、徳島藩祖、蜂須賀家政が、藩にはじめて藍方を置き、これを保護奨励し、専売制を確立したからです。阿波藍については、徳島藩25万石(阿波18万石。淡路7万石含む)、藍50万石とも言われ、徳島藩の最大の収入源でした。そのため、藍の商品、藍玉の取引については、大阪と江戸を結ぶ南海路(大阪~太平洋岸~江戸)の樽廻船(たるかいせん)、菱垣廻船(ひがきかいせん)交易、問屋取引の主導権争いには、第4代徳島藩主蜂須賀 綱矩(はちすか つなのり)はじめ歴代藩主の支援がありました。1694年(元禄7年)、綱矩公の時、藍商江戸十組問屋が定められています。 

041_011

樽廻船 (たるかいせん、Google画像検索)

(解説) 樽廻船が上荷を菱垣廻船と奪い合うようになり、洩積(もれずみ、樽廻船が菱垣廻船の荷物を低運賃で引き受けること)が激しくなっていきます。そこで1770(明和7)年酒問屋と十組中の他の九組の間で、米・糠・阿波藍玉・灘目素麺・酢・溜り(醤油)・阿波蝋燭(ろうそく)の7品目に限り樽廻船への積合いを認める協定を結びます。この7品目は、酒と同様に送り荷物であり、生産者(荷主と同じ)が輸送から販売までを行う委託販売方式を取っていたので選ばれたと思われます。 

 特に、江戸時代の中頃は、全国的に綿花が大量に栽培され、木綿が庶民の衣類として普及してから、藍玉は藍商によって市場で取引され、全国の紺屋に渡り、阿波商人の足跡は全国に及びました。徳島藩の村々で産出される葉藍、藍玉は、平田船(ひらたふね、小型の帆船)により、吉野川を利用して阿波の玄関口の撫養(むや、岡崎)、徳島城下(藍場浜、船場、藍場、徳島) などに積み降ろされました。

  徳島での最盛期は、1908年(明治36年)頃で、県内の藍草の作付面積は約23%でしたが、1880年(明治13年)、ドイツでの藍の色素(インジゴ)の化学構造の決定とその人工合成(純度94%)の成功、また1897年(明治30年)代では、インド藍(青藍成分、インジゴ含量、60%、阿波藍の数倍)の輸入と共に、阿波藍は生産性とコストで太刀打ちできなくなり、次第に衰退して行きました。近年、洗うほど色の冴える正藍染めなど、人気も高く、その良さが見直されてきています。

 私は、2007年(平成19年)8月中旬、松島中学(のち上板中学、上板、板野、徳島)の恩師、三好昭一郎先生(郷土史家)には、久しぶりの同窓会で、ふるさとの歴史を、11月下旬、第59回全国人権、同和教育研究大会(石川)でご来沢の時には、喜寿記念日本史論集、第22回国民文化祭(おどる国文祭、徳島)の阿波藍に関する資料などいただき、また、郷土の興味あるお話など、いろいろご教示いただきました。  

(参考文献) 山崎青樹: 草木染、染料植物図鑑、美術出版社(1985); 児島光一: 和三盆唐、藍、歴史と製法の概要、教育出版センター(1989); 三木産業(株)技術室編: ポピュラー サイエンス 藍染めの歴史と科学、裳華房(1992); 湯浅良幸(徳島史学会)編: 徳島県の歴史散歩、山川出版社(1995); (財)とくしま地域政策研究所編: 四国のいのちー吉野川辞典ー自然/歴史/文化ー、三好昭一郎、阿波藍、農文協(.1999);永原慶二監修、石上英一ほか8名編: 岩波日本史事典、岩波書店(1999).

(参考資料) ○ 藍染め(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%8D%E6%9F%93%E3%82%81. 

○ 樽廻船: http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%A8%BD%E5%BB%BB%E8%88%B9&um=1&ie=UTF-8&ei=c26GSpLtEYeBkQWgsvXCBw&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=4. 

(追加説明)  (あい)と貝紫(かいむらさき)の色素の分子構造について の色素はインジゴ貝紫の色素は6,6’ージブロモインジゴであることが確認されています。 このことは、また、貝紫に光(紫外線)が当たると、次第に2個の臭素(ブロム)が外れ、空気(酸素)酸化により、インジゴに変換することも確かめられています。

 海中の巻貝の色素の貝紫に2つのBr(臭素)が含まれていますが、これが外れると、陸上のタデ科植物の色素のインジゴと全く同じ分子構造となり、これらの成分には、神経麻痺作用、殺菌作用なども認められているので、何か自然に秘めらた謎を感じる次第です。 

インディゴインジゴとも、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B4貝紫色(かいむらさきいろ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9D%E7%B4%AB%E8%89%B2

 

« 二十四節気(にじゅうしせっき)、1年間の季節を表す言葉(太陽の通り道を基準とする、太陽暦!)、農耕(種まきから収穫まで、農作業の目安!)に活用、とは(2012.6.23) | トップページ | 阿波和三盆糖の里(徳島)の歴史伝承、熊野神社、丸山古墳、サトウキビと糖源公園(丸山徳弥彰徳碑、生田花世歌碑)、引野天神跡、共同墓地、本浄姓のルーツ、松島神社、土地制度、名字(苗字)、新制学校校歌、生田花世と瀬戸内寂聴、松岡康毅、中川虎之助(代議士)、砂糖の歴史、葬儀のしきたり、ふるさとの家、新制教育制度(2009.8.31) »

● ふるさと(阿讃山麓、和三盆糖、阿波藍、撫養塩田、阿波踊り、上板町、板野郡、徳島県)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 二十四節気(にじゅうしせっき)、1年間の季節を表す言葉(太陽の通り道を基準とする、太陽暦!)、農耕(種まきから収穫まで、農作業の目安!)に活用、とは(2012.6.23) | トップページ | 阿波和三盆糖の里(徳島)の歴史伝承、熊野神社、丸山古墳、サトウキビと糖源公園(丸山徳弥彰徳碑、生田花世歌碑)、引野天神跡、共同墓地、本浄姓のルーツ、松島神社、土地制度、名字(苗字)、新制学校校歌、生田花世と瀬戸内寂聴、松岡康毅、中川虎之助(代議士)、砂糖の歴史、葬儀のしきたり、ふるさとの家、新制教育制度(2009.8.31) »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ