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2013年4月12日 (金)

震災の遺物、各地に残る震災の石碑、津波を記録した古文書、妖怪による厄災の民話、大津波の痕跡(南海トラフ付近、三陸海岸、関東南部周辺)、とは(2013.4.12)

 東日本大震災大津波による被害をきっかけに、日本の各地に残る津波被害を刻んだ石碑古文書などに注目が集まっています。そして、昔から伝わる震災遺物などを防災に生かそうとする試みが、日本各地の自治体で始まっています。

 日本各地に残る震災の遺物(石碑、古文書など)

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日本の各地に残る震災(大地震による津波被害)の記録(朝日新聞、2012. 2.17.朝刊)

① 大津波記念碑岩手県宮古市 1933年(昭和8年) 昭和三陸地震  住民が「此処より下に家を建てるな」の碑文を守り、東日本大震災で家への津波被害を免れました。

② サイカチの木千葉県館山市 1703年(元禄16年) 元禄地震  人々が登って津波を免れたとの言い伝えがあります。高さは約8mでした。(館山市提供)

③ 安政の大地震鎮めの碑愛知県豊橋市 1854年(安政元年) 安政南海地震  住民が災害防止を願って建立しました。墨の字が薄れたため住民が2008年に碑文を彫りました。(豊橋市提供)

④ 康暦碑(こうりゃくひ、徳島県美波市) 1361年(南朝、正平16年、 北朝、康安元年) 正平南海地震  太平記にも記されている地震です。津波の犠牲者とみられる60人分の人名が刻まれています。(美波町提供)

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広八幡神社(ひろはちまんじんじゃ、広川町有田郡、和歌山県、google画像) 広八幡神社(楼門、舞殿、拝殿、本殿、瀬藤禎祥、古代史街道、紀ノ国編): http://kamnavi.jp/ki/nanki/hiro8man.htm

(解説) 1854年(安政元年)に発生した安政南海地震では、津波により339戸のうち125戸が流失しました。「稲むらの火」のモデル、浜口悟陵(はまぐちごりょう、1820-1885)が築いた広村堤防の南東約1.4キロ、小高い森を背に、楼門、舞殿、拝殿、本殿階段状に並ぶ広八幡神社(ひろはちまんじんじゃ) があります。江戸期の舞殿以外は、いずれも室町時代に作られた国の重文で、中世に1700戸を数えた広荘の総鎮守にふさわしい風格が見られます。

 地元に伝わる「50年から100年ごとに必ず津波がくる」という伝承の通り、何度も津波被害を受け、1707年(宝永4年)に起きた宝永地震による波高14mの津波では、850戸のうち700戸が流出し、その後、1854年(安政元年)、浜口悟陵が遭遇した安政南海地震では、339戸のうち125戸が流出しました。 

 神社境内は昔からの避難場所、勝海舟(かつかいしゅう、1823-1899)が浜口悟陵をたたえたも立っています。300m北西の線路脇には、宝永津波で舟が跳ね上がったという「ハチアガリ坂」があり、15世紀末の津波では波が楼門石段3段目まで来たという。

  また、民俗学の視点から、日本各地に残る伝承の多くは、先祖たちが、身に降り掛かる厄災河童(かっぱ)や天狗(てんぐ)の仕業と受け止め、語り継いできたことをうかがわせます。 これは、自然災害民俗学的見地から捉え直すことの重要性示唆しています。

○ 妖怪(河童、天狗、一つ目小僧など)の民話と災害(水害や飢饉、火事など)

 日本人は古来、自然との関係の中で命や心が育まれ、自然と人間との狭間(はざま)で神や妖怪を考えてきました。そして、私たちは人間と自然をつなぐ神々や妖怪が実在すると考えています。

 昔の震災を民俗学的見地から捉えると、柳田国男(やなぎたくにお、1875-1962)の「遠野物語」「一つ目小僧その他」「妖怪談義」の三つの著書では、河童、天狗、一つ目小僧などの妖怪、水害飢饉、火事などの災害深く結びついているという。

 例えば、濃尾平野に残る「やろか水」の伝承は教訓的です。これは、上流から聞こえる”やろか”という怪異な声を軽んじた人が死んでしまうという妖怪譚(ようかいたん、妖怪の話)です。やろか水(やろかみず、妖怪、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AD%E3%82%AB%E6%B0%B4

 東日本大震災後、高台移転や防波堤の建設を通じ、人間と土地の結び付きが課題として浮上しましたが、日本人は妖怪譚を通じてこの関係を理解してきたのではないかという。

(参考文献) 朝日新聞: 新防災力、先人に学べ、国が提言、歴史学者も調査参加、石碑や古文書 被害想定作りに活用、「この下家建てるな」警鐘、津波重なった所に地蔵、2012年(平成24年)2月17日(金)朝刊; 朝日新聞: こころ、祈りに出あう おとなの遠足、広八幡神社、「必ずくる津波」に備えて、2011年(平成23年)4月26日(火)朝刊; 北陸中日新聞: 畑中、災害に民俗学の視点、妖怪が記憶継ぐ、「災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異」(亜紀書房); 北陸中日新聞: 石井正己、津波と高台移転、ある民俗学者の視点、山口弥一郎(1902~2000)による津波調査、津浪と村(発行、1943)、津波常習地三陸海岸地域における集落の移動(学位、1960)、2012年(平成24年)10月夕刊.

(追加説明) ○ 地震津波に関する古文書(明応、慶長、安政の津波)

 1605年(慶長9年)2月の暮れ、南海トラフ動き大津波日本を襲ったのですが、伊豆半島の仁科の里(現・静岡県西伊豆町役場付近)も地震と津波に襲われ、近くの佐波神社(さわじんじゃ)も被害を受け、年明けに再建されたのですが、その再建記念の「棟札」に願栄という僧侶日本防災史上に残る文章を書いたのが残っています。

「戌午(1498)年の津波は寺川の大堰まで。またその後99年にして甲辰年12月16日(1605年)には垣ノ内の横縄手まで(津波が)入った。末世にその心得がありますように」

 この文章の調査、研究により、仁科という「地形津波計」で計った津波の大きさは、明応津波1498年、仁科の里を2キロ内陸まで浸水、津波は10mを超える高さ)>慶長津波1605年、海から1.4キロの地点まで浸水、標高約7.5m)>安政津波1854年、1キロ程度内陸まで浸水、標高4.5m)の順番であることを読み解くことできるという。

磯田道史(いそだみちふみ、1970~、歴史学者):備える歴史学、100年前の僧侶が残す、500年後に一度の津波へ警告、朝日新聞、2013年(平成25年)4月13日、朝刊)

○ 南海トラフ付近の大津波の痕跡 (6000年に15回、300~400年に1回

 国内最大級、江戸時代の宝永地震(1707年、M8.6)と同規模以上の巨大地震による大津波が、過去6000年で15回以上起きていた可能性があることが、岡村真特任教授(高知大学、地震地質学)の研究チームの調査で分かりました。

 研究チームは、自然にできた高さ6mの堤防に守られた蟹ケ池(かにがいけ、土佐市、高知県)で過去の堆積物を測定し、約2000年前から300~700年間程度の間隔で、東海、東南海、南海地震が連動した宝永地震を含む、5層の津波の痕跡を確認していました。

 その後さらに、池の底から約6mの深さまでパイプを突き刺し、堆積物を採取、放射性炭素(C14)を計り、最深部で6300~6390年のものと判明しました。津波で大量の海砂が流れ込み、平時の泥と積み重なってできる特有のしま模様が見つかりました。

 蟹が池には単独で発生した安政南海地震(1854年、M.8.4)、昭和南海地震(1946年、M8.0)の痕跡はほとんどないので、この池に残る津波の痕跡は、宝永地震と同じ連動型の巨大地震によるものと考えられる、とのことです。

 岡村氏のチームは、約2000年前の巨大地震による津波堆積物を、尾鷲市(三重県)、阿南市(徳島県)、須崎市(高知県)、佐伯市(大分県)などの池でも発見しており、現在、宝永地震から300年以上たち、次の南海地震が連動型の巨大地震になる可能性が高いと警笛を鳴らしています。

(大津波 6000年で15回、高知大、地質調査で可能性確認、朝日新聞、2013年(平成25年)1月30日、朝刊)

○ 三陸海岸の巨大津波の痕跡(6000年に6回、1000年に1回)

 巨大津波が約1000年に1回、三陸海岸を繰り返し襲っていた可能性を示す砂や石の堆積物を平川一臣特任教授(北海道大学)が見つけました。

 平川さんは、気仙沼市(宮城県)で、海岸付近の高さ1~5mほどの切り立った崖に津波で運ばれた6層の砂石の地層を発見、また、宮古市(岩手県)では、東日本大震災(2011年)の津波が32mまで達した地点の近くでも複数の地層を見つけました。

 切り立った崖の上に痕跡が残っていたことから、巨大津波と考えられ、地層に含まれる火山灰や土器から、6000年間で6回の津波が押し寄せたと推定しました。平安時代、869年の貞観津波を起こした地震は、仙台や石巻平野の堆積物の調査からM8.4と推定され、発見した地層の一部が該当するとみています。

(三陸 巨大津波 6000年で6回、北大教授発見、崖の上地層に跡、朝日新聞、2011年(平成23年)8月22日、朝刊)

○ 関東南部周辺の大津波の痕跡(2000年に5回、400年に1回)

 関東南部周辺を震源とするM8級の巨大地震「関東地震」が約2000~4000年に少なくとも5回起こっていることを示す津波堆積物を筑波大と東京大などのチームが、神奈川県の三浦半島で発見しました。震源は相模湾から延びる相模トラフ沿いと考えられています。

 チームは、三浦半島の南側にある江奈湾で、干拓や湿地から地層を採取、長さ3m前後の柱状の地層試料に、海から運ばれて堆積したとみられる砂や珪藻の化石などを含む厚さ約5~20cmの地層を計6層見つけました。

 一番上の層は関東大震災の津波で、残りの5層は約2000~4000年前に起きた地震の津波で運ばれたと推定されました。

 一般に、津波堆積物は、巨大地震による津波で残ることが多く、新しいほど浅いのですが、そこでは、2000年前より新しい地層はきれいに残っておらず、1923年の関東大震災以外のものは見つかりませんでした。

 ほかの場所で過去に見つかった地盤隆起の跡や、地震の繰り返す性質を合わせると、関東地震は、数百年おきに発生したと考えられるという。

(関東地震 2000年間に5回、東大・筑波大チーム、M8級 津波堆積物を発見、北陸中日新聞、2012年(平成24年)9月24日、朝刊)

○ その他、7世紀にも東海地震 として、静岡県磐田市の太田川河口から約2.5キロの元島遺跡、さらに500m上流の河川改修工事現場でも、最古の南海地震「白鳳地震」(648年)と同じころ、記録にはない東海地震が発生したことを示す津波堆積物を、藤原治主任研究員(産業技術研究所、つくば市、茨城県)らが確認しています。(北陸中日新聞、2012.8.21、朝刊)

 また、琵琶湖平安期に津波か として、平安時代末期の1185(元暦2)年8月、滋賀や京都に甚大な被害をもたらしたM7超の大地震で、琵琶湖に津波が起きた可能性があることが分かりました。考古学の調査員が琵琶湖北端の滋賀県長浜市にある塩津港遺跡の神社跡発掘調査から、地震による津波が神社を襲ったと分析しました。(北陸中日新聞、2012.12.24、朝刊)

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