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2013年6月の7件の記事

2013年6月27日 (木)

方丈記(鴨長明、平安末期から鎌倉初期)、序(ゆく河の流れは絶えずして)、天災(大火、大風、遷都、地震)、人災(政治的変乱、出家遁世)、方丈の住居、とは(2013.6.27)

 方丈記(ほうじょうき)といえば、今から800年前、鴨長明(かものちょうめい)が、はじめに(すみか)の無常を説き、次いで、大火地震など見聞した災害の様子、権威にへつらう人間姿自ら半生を紹介。後半で、出家後方丈(いおり)の間取り生活ぶりを描写した随筆です。 

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長明法師画像鴨長明、伝土佐広周筆、google画像)

(解説) 鴨長明(かものちょうめい、かものながあきらとも、1155年(久寿2年)?~1216年(建保4年)は、鎌倉初期の歌人・文学者です。下鴨神社の禰宜(ねぎ)の家に生まれ、管弦の道にも通じていました。和歌を俊恵(しゅんえ、1113年~ ?)に学び、1201年(建仁1年)和歌所寄人(よりうど)となり精勤しましたが、法然(ほうねん、1133~1212)の弟子のもとで1204年(元久1年)出家し遁世(とんせい)、法名、蓮胤(れんいん)。大原山に隠れ、のち日野の外山(とやま)に方丈の庵を結び著作に専念しました。随筆「方丈記」、仏教説話集「発心集」、歌論集「無名抄」などが有名です。

 方丈記

(序)  ゆく河の流(なが)れは絶(た)えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮(うか)ぶうたかたは、かつ消(き)えかつ結(むす)びて、久(ひさ)しくとどまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

(解説) 川の流れは絶(た)えることなく、いつも流れつづけている。そして、その水はといえば、すでにもと流れていた水ではない。よどみに浮(うか)んでいる水の泡(あわ)も、こちらで消えたかと思えばあちらで浮(う)いていて、決してもとのままではない。世の中の人や、その住居にしてもまったくこれと同じことだ。 ---

方丈記(鴨長明、がんばれ凡人、古典に親しむ): http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/houjouki.htm

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方丈記(ほうじょうき、主な五大災害、安元の大火、元暦の大地震、治承の竜巻、福原遷都、養和の飢饉、朝日新聞:2011年(平成23年)6月20日(月)朝刊)

(解説) 方丈記は、鎌倉初期、1212年(建暦2年)頃の随筆です。人生無常を、仏教的な無常観をもとに、いろいろ実例を挙げて述べ、最後に日野山の方丈の庵に閑居、隠遁するさまを、優れた和漢混交文(漢字交じり片仮名文)で描いています。

 その内容は、(すみか)の無常主題とし、仏教的な無常観をもとに、保元の乱(1156)、平治の乱(1160)、安元の大火(1177)、治承の辻風(1180)、平清盛(たいらのきよもり、1118~1181)の福原遷都(1180)、養和の飢饉(1181)、元暦の大地震(1185)、平家滅亡(1185)のほか、河川氾濫、落雷、疫病流行などを描いています。

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方丈記(ほうじょうき、方丈、朝日新聞:2011年(平成23年)6月20日(月)朝刊)

(解説) 鴨長明は、余生を京の郊外に構えた方丈で過ごし、都を遠く望み、川の流れを見ながら世の中や人生を省察(しょうさつ)しました。

 そして、災厄を生々しく描き、非常時生き方を模索し、無常という思想を引き出し、少欲知足ほどほどの生活を良しとする、生活を実践しました。その無常感は、世をはかなむものではなく、見えない力によって常に変化を強いられる世の中というような意味で、長明はその無常に立ち向かっていく行動の人だったと語られています。 

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 朝日新聞: ことばの旅人、京都・下鴨神社、鴨長明「方丈記」、ゆく河の流れは絶えずして、やっぱりいるぜ こんなやつ、be on Saturday、2004年(平成16年)7月31日(土)朝刊; 世界文化社CULTURE編集部(編)、島尾敏雄、堀田善衛(解説): 徒然草、方丈記世界文化社(2006); 北陸中日新聞: こちら編集委員室、長明に学ぶ「無常」への挑戦、、2011年(平成23年)5月17日(火)朝刊; 朝日新聞:文化の扉、はじめての 方丈記、中世襲った災害的確にルポ、2011年(平成23年)6月20日(月)朝刊.

(参考資料) 下鴨神社(世界遺産、ホ-ムページ、下鴨泉川町、左京区、京都): http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

2013年6月23日 (日)

湧水、神子清水(動画)、神子清水集落(白山市)の近くで目にしたユリに似た艶やかな花、アルストロメリア(ユリ科、ユリズイセン、百合水仙とも)の風景(2013.6.23)

◎ 神子清水(白山市、動画. 2013.10.27): 「MOL00A.3gp」

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湧水、神子清水(みこしみず、神子清水集落、白山市,2013.6.23)

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アルストロメリアユリ科ユリズイセン百合水仙とも、神子清水集落、白山市)

湧水、神子清水(みこしみず)の近くで目にしたユリに似た艶やかな花、アルストロメリア(ユリ科、ユリズイセン、百合水仙とも)の風景、神子清水町、白山市、石川県、2013年.6月23日)

○ アルストロメリア(ユリ科、ユリズイセン、百合水仙とも) 球根植物 多年草 南アメリカ原産 半耐寒性

○ 白山(石川)のふもとに湧き出る名水、弘法池の水(釜清水)、白山霊水(白山比咩神社)、杉森地蔵水(杉森集落)と湧水の水質(ヘキサダイヤグラム)、とは(2010.7.6);http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/96.html.

2013年6月20日 (木)

平和を祈る歌(沖縄・沖縄本島)、サトウキビ畑(米国占領下で生まれた平和を祈る歌、寺島尚彦、作詞作曲)、とは(2013.6.20)

平和を祈る歌  ○ サトウキビ畑 作詞作曲 寺島尚彦

 沖縄中部読谷村(よみたんそん)は、1945年(昭和20年)4月1日、沖縄戦で米軍が最初に上陸した沖縄本島の地でした。そこには、背丈ほどに伸びたサトウキビ畑があり、吹き抜ける風の音の中に、その土の下で眠る戦没者の声が聴こえたという。

 森山良子さん(1948~ )のさとうきび畑の歌は、「ざわわ ざわわ」と、前奏なしで始まり、11節、10分を超える長い曲ですが、繰り返しが多く、転調しない。

 この歌との出合いは、フォークソング歌手として活躍していた20歳のころ、近所に住んでいた寺島尚彦さん(1930~2004)から、「うたってみないか」と直接声をかけられた単純なものだったという。また、うたいきれずに苦しんでいたころ、森山さんから「肩ひじはらず、笑うようにうたえばいいんだよ」と諭され、今もうたうたび、その言葉を思い出すという。

○ 森山良子サトウキビ畑YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM

*ざわわ ざわわ ざわわ 広いさとうきび畑は  ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ* 今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽(ひ)ざしの中で

*繰り返し むかし海の向こうから いくさがやってきた 夏の陽ざしの中で 

*繰り返し あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった 夏の陽ざしの中で

*繰り返し そして私の生まれた日に いくさの終わりがきた 夏の陽ざしの中で

*繰り返し 風の音にとぎれて消える 母の子守の歌 夏の陽ざしの中で

*繰り返し 知らないはずの父の手に だかれた夢を見た 夏の陽ざしの中で

*繰り返し 父の声をさがしながら たどる畑の道 夏の陽ざしの中で

*繰り返し お父さんて呼んでみたい お父さんどこにいるの このまま緑の波に おぼれてしまいそう 夏の陽ざしの中で

 ざわわ ざわわ ざわわ けれどさとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が通りぬけるだけ 今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽ざしの中で

(後略) ざわわが66回繰り返される。

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サトウキビ畑(真夏の日差しを浴びたサトウキビが、吹き抜ける風に音を立てて、揺れていた、八重瀬町、沖縄県)

(解説) 作詞作曲家の寺島直彦さん(1930~2004)は栃木県生まれで、東京芸大音楽学部卒、1956年(昭和31年)にシャンソンバンドを結成、シャンソン歌手石井好子さん(1922~2010)の伴奏公演旅行に多忙を極めていました。

 1964年(昭和39年)6月、石井さんの伴奏のため、米国占領下の沖縄を初めて訪問しました。公演後、寺島さんは地元の人の案内で南部戦跡を歩きました。ひめゆりの塔から摩文仁(まぶに)の丘へ、途中のサトウキビ畑で案内者に言われた。「この土の下に戦没者が埋まったままになっています」。その「天のような言葉」を聞いたときの衝撃をこう書き残しています。

 一瞬にして美しく広がっていた青空、太陽、緑の波打つサトウキビすべてがモノクロームと化し、私は立ちすくんだ。轟然(ごうぜん)と吹き抜ける風の音だけが耳を圧倒し、その中に戦没者たちの怒号(どごう)と嗚咽(おえつ)を私は確かに聴いた。それから摩文仁の丘の頂上に立つまで、どこをどう歩いたのか、私の記憶は途絶えたままである。(寺島直彦ほか「さとうきび畑 ざわわ 通りぬける風」から)

 住民を否応(いやおう)なく地上戦にまきこんだ沖縄戦を伝えるため、音楽家として作品を残す、と思い至った。しかし、受けた衝撃を言葉や曲に表現するまで3年近い時間がかかったという。

 寺島さんの話によると、「サトウキビの葉がすれる音は、さわさわでもなく、ざわざわでもない。終わってみれば簡単なようですが、ざわわざわわと表現するのに時間がかかりました。メロディーを覚えてほしいから、あえて転調をしなかった」とのことです。

(参考文献) 朝日新聞: うたの旅人、song, be on Saturday, 森山良子「さとうきび畑」、テーマの重さにおそれ、米国占領下で生まれたさとうきび畑」、平和を祈るざわわのリフレイン、2009年(平成21年)8月8日(土)朝刊.

(参考資料) ○ バンド「The Boom」のボーカリスト宮沢和史さん(1966~ )は、1990年(平成2年)に初めて沖縄を訪れました。宮沢さん作詞作曲の「島唄(しまうた)」は、沖縄方言でサトウキビを意味するウージ下の防空壕(ぼうくうごう)で自決した人々を描きました。

○ The Boom島唄

 この唄は、サトウキビ畑で出会った友人同士が、戦争のため、その下の防空壕で別れを告げ合う悲しみを描いた唄です。1992年(平成4年)に沖縄限定で発売され反響を呼び、日本全国、さらに世界的なヒットとなりました。(北陸中日新聞:サトウキビ、The Boom島唄」(沖縄県)、2006年(平成18年)11月12日(日)朝刊) YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=1DMrM3VWJx0

○ ケ・サラなるようにしかならない、なんとかなるだろうの意、ケ・セラともスペイン語日本では平和と自由を願う、反戦・革命の歌、もとイタリア南部の活気に乏しい村を出てゆく若者の歌、スマイル・ストップ・ザいじめ: http://net-news-jp.jugem.jp/?eid=36 うたごえサークル、おけら、演奏http://bunbun.boo.jp/okera/kako/kesara.htm. )

○ ケ・サラ(ケ・セラともYouTube):http://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%B1%E3%82%B5%E3%83%A9&oq=%E3%82%B1%E3%82%B5%E3%83%A9&gs_l=youtube.12..0l10.3483.6762.0.13477.7.7.0.0.0.0.90.597.7.7.0...0.0...1ac.1j4.11.youtube.dECrbuZ1CME

2013年6月18日 (火)

ヒットソング余話、愛燦燦(あいさんさん、もと味の素のCMソング、小椋佳作詞作曲)、王将(おうしょう、将棋を全く知らない人がつくった歌、西條八十作詞、船村徹作曲)、とは(2013.6.18)

ヒットソング1  ○ 愛燦燦(あいさんさん) 作詞作曲 小椋佳

 美空ひばり(みそらひばり、1937~1989)さんの歌手生活四十周年の記念アルバム(12曲)の一つ、愛燦燦(あいさんさん)は、1986年(昭和61年)頃のヒットソングですが、小椋佳(おぐらけい、1944~ )さん作詞作曲、もと味の素のCMソングでした。発売3年後、ひばりさんが亡くなって再び売れ出したという。

○ 美空ひばり愛燦燦(あいさんさん、YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=uMVQ5LpT5Ik小椋佳(YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=hEt8sWZhKwc

1.雨 潸々(さんさん)と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 

 人は悲しい 悲しいものですね それでも過去たちは 優しく睫毛に憩う 

 人生って 不思議なものですね

2.風 散々(さんざん)と この身に荒れて 思い通りにならない夢を 失くしたりして 

 人はか弱い か弱いものですね それでも未来たちは 人待ち顔をして微笑む 

 人生って 嬉しいものですね

3.愛 燦々(さんさん)と この身に降って 心密かなうれしい涙を 流したりして 

 人はかわいい かわいいものですね ああ 過去たちは 優しく睫毛に憩う 

 人生って 不思議なものですね

 ああ 未来たちは 人待ち顔をして微笑む 

 人生って 嬉しいものですね

(解説) 小椋さんの記憶では、はじめはハワイで撮影したフイルムを見てイメージした歌を作れ、という仕事であったという。短いフイルムを見ると、サトウキビ畑で収穫した20人くらいの大家族が馬車で家路を急いでいました。母親に抱かれた少女は眠っている。突然の夕立。雨宿り。雨が上がり、真っ赤な太陽が母親たちを照らしだす。最後のシーンで燦燦(さんさん)という言葉が浮かんだという。

 愛燦燦(あいさんさん)は小椋さんの造語で、燦燦(さんさん)から、が降るさまを 雨 潸々(さんさん)、が吹くのは、  散々(さんざん)と韻を踏んで、一つの人生を描こうとした、という。

ヒットソング2  王将(おうしょう) 作詞 西條八十 作曲 船村徹

 村田英雄(むらたひでお、1929~2002)さんのヒットソング王将は、1961年(昭和36年)に発売され、ミリオンセラーとなり、1962年(昭和37年)、第4回日本レコード大賞特別賞を受賞となりました。船村徹(ふなむらとおる、1932~ )さんにとっては、西條八十(さいじょうやそ、1892~1970)先生と初めてご一緒した仕事でした。

○ 村田英雄王将(おうしょう)   YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=HiPaaY5W4gM; https://www.youtube.com/watch?v=1mhyy-6ZWxg

1.吹けば飛ぶよな 将棋の駒に  賭けた命を 笑わば笑え 

 うまれ浪花の 八百八橋  月も知ってる 俺らの意気地

2.あの手この手の 思案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた 

 愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしい

3.明日は東京に 出て行くからは  なにがなんでも 勝たねばならぬ 

 空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が また燃える

(解説) 船村さんの記憶では、大ヒットした王将を作詞された文学者、母校の早大で仏文学の教鞭をとり、また流行歌の作家としてコロンビア専属で活躍しておられた西條八十先生は、将棋を全く知らない先生でした。船村さんも当時、飛車と角の区別がつかないほど将棋が弱かったという。

 その西條先生が思案に暮れた。共感を与える棋士の生きざまねーーー。先生はとっても愛妻家だったようだ。ところが、その3年ほど前、奥様の晴子さんを亡くされ、妻のイメージを棋士・阪田三吉(さかたさんきち、1870~1946)の女房・小春に重ね合わせて作詞されたという。

 --- 愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔が いじらしいーーー 船村さんはこの詞を手にした時、先生の気持ちがよく分かり、栃木の古里にいる当時70歳だった母を思ったという。

 メロディーについては、快調に浮かんだが、勝負事を一切やらない船村さんには、名棋士の波乱に満ちた人生の迫力がどうしても表現できない。名案が浮かばない。

 そこで、作曲途中に気晴らしに宇都宮の競輪場に出掛けてみた。初めて競輪を目の当たりにした。ジャン! の鐘とともに迫力あるレースがスタートする。これだ!。船村さんが考えたのが、イントロに鐘の音を取り入れて曲が完成したという。

(参考文献) 北陸中日新聞; この道 歌創り40余年 小椋佳 ㊽ 美空ひばり、2013年(平成25年)5月30日(木)夕刊; 北陸中日新聞: この道 船村徹 ㉝ 王将余話、2012年(平成24年)9月20日(木)夕刊. 

2013年6月15日 (土)

変わった姿の花、ビヨウヤナギ(未央柳、美女柳、美容柳、ヒペリカムとも)、ラベンダー(lavender)、シモツケ(下野)など、個性的な優美な花木の光景(2013.6.15)

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ビヨウヤナギ(ヒペリカムとも)

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ラベンダー

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シモツケ

(解説) 最近目にした、変わった姿の花ま、ビヨウヤナギ未央柳、美女柳、美容柳、ヒペリカムとも、金沢市民病院正面玄関南沿い、平和町、また、金沢市立泉野図書館前泉が丘おあしす広場、泉野町)、ラベンダーlavender, クスリのアオキ桜田店駐車場東沿い、桜田町)、シモツケ下野、イオンタウン金沢示野店駐車場南北周辺、示野町)など、個性的な優美な花木の光景(金沢、石川、2013.6.15)

○ ビヨウヤナギ未央柳オトギリソウ科、ヒペリカムとも) 別名: ビジョヤナギ美女柳、美容柳とも) 耐寒性半常緑低木 中国原産

○ ラベンダーlavender, シソ科) 常緑小低木 地中海沿岸地方原産

○ シモツケ下野バラ科) 別名: キシモツケ木下野)、コゴメザクラ小米桜) 耐寒性落葉低木 日本原産

2013年6月 8日 (土)

青葉の季節、 道の駅 こまつ木場潟、自然の姿を残す水郷公園 木場潟公園の景観(2013.6.7)

○ 道の駅 こまつ木場潟( 国道8号線近く、石川県小松市蓮代寺町ケ2番2、2012年(平成22年)3月1日登録)

 道の駅とは、国土交通省に登録された、道路利用者のための休憩、情報発信、地域の連携という3つの機能を併せ持つ道路施設です。(道の駅 こまつ木場潟、パンフレットより)

 道の駅 こまつ木場潟(ホームページ、小松市、石川県): http://michinoeki-kibagata.com/

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  • ○ 自然の姿を残す水郷公園 木場潟公園(小松市木場町、島町、符津町、矢崎町、今江町、蓮代寺町、三谷町、1982年(昭和57年)10月17日開設)

    木場潟公園(ホームページ、木場潟公園協会、小松市、石川県): http://park18.wakwak.com/~kibagata/

     木場潟は、ほぼ自然の姿で残された石川県内唯一の潟であり、周囲を取り巻く水田と一体となった貴重な水郷景観を色濃く残しています。この自然豊かな木場潟を取り込み、併せて潟の周辺環境に配慮しながら、広く県・市民が自然に親しみ、利用できる都市公園として整備されています。(木場潟公園~自然の姿を残す水郷公園~ 、パンフレットより)

       なお、2015年(平成27年)春石川県で開催される第66回全国植樹祭式典会場に、小松市木場潟公園が、2013年(平成25年)2月15日、正式に決定されました。この年は、北陸新幹線が金沢に開業する年でもあります。

    全国植樹祭(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E6%A4%8D%E6%A8%B9%E7%A5%AD.

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    道の駅 こまつ木場潟、 自然の姿を残す水郷公園 木場潟公園の景観(2013年.6.月7日撮影)

    2013年6月 1日 (土)

    梅雨入りの季節、わが家近くの幹線道路、歩道沿いの花木のヤマボウシ(山法師)、サツキ(皐月)、野草のコバンソウ(小判草、タワラムギ、俵麦とも)の風景(2013.6.1)

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    ヤマボウシ


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    サツキ

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    コバンソウ

    (解説) 梅雨入りの季節、わが家近く歩道沿い、花木のヤマボウシ(山法師)、サツキ(皐月)、野草のコバンソウ(小判草、タワラムギ、俵麦とも)の風景、桜田、金沢、2013年(平成25年)6月1日)

     わが家(桜田、金沢)近くの街路樹、美しい白い花のような苞(ほう、苞葉とも)が開いたヤマボウシ(山法師、ミズキ科)、小さな球形の果実をつけた新緑のケヤキ(欅、ニレ科)、とは(2011.5.30): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/180.html.

    (追加説明) ヤマボウシ(山法師、ミズキ科) 別名:ヤマクワ(山桑) 耐寒性落葉高木 日本原産

    サツキ(皐月、ツツジ科) 別名:サツキツツジ(皐月躑躅) 耐寒性常緑低木 日本原産

    コバンソウ(小判草、イネ科コバンソウ属) 別名:タワラムギ(俵麦) 1年草 欧州原産

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