土呂久鉱山(高千穂、宮崎)、鉱石(硫砒鉄鉱)を焼いて亜ヒ酸を製造、慢性砒素中毒を発症、はじめ亜ヒ酸はアメリカ南部の綿花畑の農薬として輸出、綿花は主にイギリスに輸出、とは(2013.11.1)
土呂久鉱山(とろくこうざん)は、高千穂町(宮崎県)にある鉱山です。16世紀中頃から銀・銅・錫(スズ)などを産出し、また、明治中期から亜ヒ酸の鉱石(硫砒鉄鉱)の採掘と製錬が行われていました。
大正中期から(1920~1941)、アメリカ南部の綿花畑にまく殺虫剤として亜ヒ酸の需要が高まり、製造が始められ、輸出されていました。それには、アメリカ南部から綿花の輸出先として、イギリスの綿花需要がありました。
イギリスの産業革命による綿布と綿織物の原料の綿花の需要が増え、1800年初頭には、イギリスで消費される綿花の80%をアメリカ南部の綿花栽培が供給し、その労働力を支えたのが黒人奴隷でした。
昭和終戦後も(1955~1962)、露天で鉱石を焼いて亜ヒ酸を精製し、猛毒のヒ素を含む煙をふりまき、慢性砒素中毒で死者や患者が続出し、環境汚染も著しく、土呂久砒素中毒症は公害病として認定されました。
慢性中毒では、食欲不振、嘔吐(おうと)、下痢、発疹(ほっしん)、角質増殖(爪の成長異常)、色素沈着(皮膚の色素異常)、神経症状をきたし、その治療には酸化マグネシウム(緩下剤) などが投与されました。
1971年(昭和46年)、地元の小学校教師(岩戸小学校、斎藤正健教諭)が告発し、それまでの50余年間、病死した住民101人のうち、享年のわかる92人は、平均39歳の短命でした。
1962年(昭和37年)に土呂久鉱山は閉山し、1975年(昭和50年)、鉱業権を買った住友金属鉱山に対して裁判が始まり、その15年後に和解しました。
(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 渡邉泉: 重金属のはなし、中公新書(2012); 朝日新聞: ひと、土呂久ヒ素公害を研究する米ロードアイランド大教授、ティモシー・S・ジョージさん(58)、2013年(平成25年)10月11日(金)朝刊より).
(参考資料) 土呂久ヒ素公害の歴史
○ 土呂久(トロク)の地名の由来(碇 てんつく、川崎市、神奈川);http://www.geocities.jp/jihyoutei/k050301-1.htm.
○ 土呂久公害語り継ぐー宮崎 高千穂町ー(全国各地のニュース、動画、2009年(平成21年)6月11日):http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?movie=j_miyazaki_20090611_1789.
○ 土呂久ヒ素公害(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%91%82%E4%B9%85%E7%A0%92%E7%B4%A0%E5%85%AC%E5%AE%B3.
○ 硫砒鉄鉱(りゅうひてっこう、FeAsS、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E7%A0%92%E9%89%84%E9%89%B1.
○ 亜ヒ酸(あひさん、As(OH)3、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%9C%E3%83%92%E9%85%B8.
○ 酸化マグネシウム(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%B8%E5%8C%96%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0 .
○ アメリカ南部の綿花栽培(奴隷制プランテーション)、週刊スモールトーク(第92話): http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-92.htm.
(追加説明) 土呂久鉱山は、森田三弥(豊後、大分)が発見し、江戸時代には銀を中心に採掘されていました。
なお、地名の土呂久(トロク、川の小盆地)は、瀞(トロ、川の流れが緩やかな所)の縄文語由来と言われています。
その後、明治、大正と経営者がかわり、大正年間から副産物である亜ヒ酸の生産が主となり、昭和の戦時中には錫(スズ)の生産も伴って町も繁盛しましたが、1962年(昭和37年)には閉山しました。
(宮崎県高等学校社会研究会歴史部会編: 宮崎県の歴史散歩(1版4刷)、p.50、土呂久鉱山跡、山川出版社(2000)より)
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