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2013年12月の7件の記事

2013年12月29日 (日)

弁当と傘の歴史、「弁当忘れても傘忘れるな」との言い伝えの言葉、雪化粧した金沢市街と犀川の風景(2013.12.29)、とは

 弁当は、中国語の便利なもの(便当)とも言われ、のち持ち運ぶ食べものを意味するようになりました。  

 平安時代、貴族の宴(うたげ)では、身分の低い人々に屯食(とんじき)、包飯(つつみいい)などがふるまわれました。これは、強飯(こわめし)を握りかためて卵形にしたもので、握り飯(にぎりめし)のルーツ(起源)となっています。

 強飯(蒸飯、おこわとも)は、もち米を蒸籠(せいろう)で蒸したもので、多くは小豆(あずき)を加え、祝賀に用いる赤飯のことです。 江戸時代、葬礼には白い強飯を用いました。 

 戦国時代、食べものを入れる弁当箱が生まれ、一般庶民が仕事のときに持ち運ぶ弁当箱として、柳行李(やなぎこうり)、曲物(まげもの、ワッパなど)には、米、麦、雑穀、芋(いも)などを詰めました。  

 (かさ)には、唐傘(からかさ)、和傘(わがさ、番傘、蛇の目傘)、洋傘(ようがさ、こうもり傘)などがあります。中国では、古くから、天蓋式(てんがいしき、仏像の上にかざす笠のような飾り)の傘が用いられ、日本にも朝鮮の百済(くだら)を通じて伝わりました。 江戸時代には、紙や竹細工の進歩と共に各種の和傘(番傘、蛇の目傘など)が普及しました。

 西洋では、古代ギリシャから傘が用いられ、18~19世紀頃、イギリスで今日のような、木綿、絹(のちナイロン)などの布と硬鋼を用いた洋傘(こうもり傘)が発達し、1867年(慶応3年)頃、日本でも洋傘をさす人が多くなりました。

  ところで、日本海側北近畿(京都府と兵庫県北部)、山陰地方(島根県、鳥取県)や北陸地方(福井県、石川県、富山県)などの地域では、昔から、「弁当忘れても傘忘れるな」との言い伝えの言葉があります。  

 これは、日本海側の冬場は、一日の間に、曇天、晴れ間雨、一発雷、ベタ雪にと、繰り返し何回も、目まぐるしく天気が変わりやすく、雨の日が多いことを意味しています。 昨日の好天気から、今朝の雪化粧した金沢市街と犀川の風景を眺めながら、このことを実感しました。 

 私は冬場に、この格言をはじめて京都で、のち金沢でよく耳にしましたが、今でも強く印象に残っています。Pc290015_3 

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雪化粧した金沢市街と犀川の風景2013年(平成25年)12月29日、桜田、金沢 

(参考文献) 新村出: 広辞苑(第四版)、p.2323、弁当(べんとう)、岩波書店(1991); 永原慶二監修: 日本史事典(第1刷)、p.1035、弁当、岩波書店(1999);大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編: 図説 民俗探訪事典(1版19刷)、p.55、弁当箱と行器(ほかい、平安時代以来、食物を盛って他所へ運ぶのに用いる容納具)、山川出版社(2005). 

(参考資料) ○ 北陸の冬の雷(一発雷)にまつわる歴史実話、はじめて訪れた金沢での事件、雷おこし(ブリ起こし)、落雷による自衛隊機の墜落、とは(2010.2.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/61.html

 

2013年12月25日 (水)

クリスマス、もとイタリアのローマの農民の間で行われていた冬至の祭り、サンタクロースになった聖ニコラウス司教聖、サンタクロースによる贈物の習慣、クリスマスカードの贈物、クリスマスツリーの習慣、とは(2013.12.25)

 クリスマス(Christmas)は、 Xmas、広辞苑によれば、キリストのギリシャ語Xristosの頭文字、masミサ祭日、すなわち、キリスト降誕祭のことで、12月25日に行います。 

 もと太陽のよみがえる日を祝う冬至キリスト教化されたもので、ギリシア正教会では1月6日に行なう聖誕祭のことです。 

 クリスマス・イブ((Christmas eve)は、クリスマス前夜12月24日に行う宵祭です。今日はクリスマスの日です。そこで、クリスマスの由来、サンタクロースによる贈物の習慣、クリスマスカードの贈物、クリスマスツリーの習慣などについて、改めて調べて見ました。 

〇 クリスマスの由来

 クリスマスは、キリストの誕生を祝う祭りですが、12月25日という日は、のち決められたもので、イタリアのローマ教会では、キリスト誕生後の354年から始まっています。最古の記録は336年のローマの行事を記した、フィロカルスの暦に見えます。

 これはもと、イタリアのローマの農民の間で行われていた冬至の祭りからきたもので、その祭りは12月21日から31日まで、11日間も続いていました。そのうちの25日クリスマスの日としました。

 冬至は、太陽のよみがえる日であり、農業にとって何よりも大切な太陽を神として崇(あが)めていました。

 というわけで、クリスマスは、キリスト経の祭りではなく、キリスト教徒にとっては、異教徒の祭りでした。それを、キリスト教徒が、その教えを異教徒の間に広めるめに取り入れ、かれらに親しみを覚えさせようとしたものです。

〇 サンタクロースになった聖ニコラウス司教聖

 サンタクロース(Santa Claus)については、西暦4世紀のころ、小アジア(のちトルコ)のミラという地にあったギリシャ協会に、ニコラウス(270~343)というたいへん徳が高く、子供好きの牧師(司教聖)さんがいて、この人がそのモデルであろうと言われています。その名は、オランダ語、Sint Klaesの英語のなまり由来です。

 この聖ニコラウス司教聖は、古くから子供、学生、商人、船乗りの守り神として、広く人々に崇(あが)められています。毎年12月6日(聖ニコラウスの命日)は、聖ニコラウスの日と呼ばれる、大事な祭りの一つとなっています。

〇 サンタクロースによる贈物の習慣

 聖ニコラウスの祝日の12月6日は、当日かその前夜、人々が贈物を持って、よその家を訪問し、お互いの幸福を祝福する習慣がありました。

 これがニューアムステルダム(のちニューヨーク)に移住したオランダ系清教徒によってアメリカに伝えられ、クリスマスプレゼントをする既存の習慣と結びつき、白ひげ、赤服、赤ずきん、長靴の老人として表現されるようになりました。

 それがいつの間にか、12月24日のクリスマスイブの話に結びついてしまった、と言われています。

 また、サンタクロースのおじさんが、トナカイのソリに乗ってやって来るのは、この聖ニコラウスさんが北欧のラップランド人の間で、たいへん崇(あが)められていたので、その風俗が加わったとも、また北欧神話の戦いと知恵の神オーディンが、ソリに乗って人々に贈物を配って歩くという伝説と結びついたとも言われています。

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サンタクロース(ウィキペディア、Google画像): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9.

〇 クリスマスカードの贈物

 クリスマスカードは、クリスマスを祝って親しい人に贈るカードですが、1843年にイギリスのH.コールが考案し、J.C.ホーズリーに描かせたのが最初と言われており、のち世界各国に広まりました。

〇 クリスマスツリーの習慣

 クリスマスツリーは、クリスマスに飾られる木のことですが、モミの若木に蠟燭(ローソク)、金・銀モール、リボン、星、人形などを飾ります。これは、中世の楽園劇由来し、生命の木(創世記1の9)と関連を持っています。最古の記録は、ドイツのシュレットシュタット年代記(1600年ごろ)に見えます。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.737、サンタクロースのモデル、p.741、クリスマスの起こり、三宝出版(1994); 新村出: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).

(参考資料) 〇 冬至、一陽来復(冬が去り春が来る)、冬至節(天壇での皇帝の祭り、中国)、とは(2010.12.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/151.html

 

2013年12月20日 (金)

すし(鮨、鮓、寿司とも)の歴史、なれずし(馴鮨)、いずし(飯鮨)、はやずし(早鮨)、おしずし(押し寿司)、にぎりずし(握り鮨)、まきずし(巻鮨)、ちらしずし(ちらし鮨)、つつみずし(包み鮨)、とは(2013.12.20)

  すし(鮨、鮓、寿司とも)はもと、魚介類を塩漬けし、自然発酵させた保存食でした。漢字は、関東では、関西ではと書き、寿司あて字です。のち、酢と調味料をまぜ合せた飯に魚肉または菜(具)などを加えた、本来のすし(寿し)という食べものになりました。

 古くから、なれずし、いずし、はやずし、おしずし、にぎりずし、まきずし、ちらしずし、つつみずしなど、多くのなじみのすしがあります。そこで、その名の由来と歴史について、改めて調べて見ました。

〇 なれずしいずし

 古くは、すしは魚介類を自然発酵(数か月~1年)させ、酸味を出させた食品でした。魚は、ふな(鮒)、あゆ(鮎)、たい(鯛)、貝は、あわび(鰒)、いがい(貽貝)など多様です。

 16世紀末ごろ(安土桃山時代)は、魚に温かい飯を加えて、こうじカビによる発酵を促し(1週間ほど)、酸味の出たところで、飯を払い落としていました。

 このような飯に魚を漬けて発酵させるなれずし(馴鮨)は、東南アジアから東アジアに広く分布しています。滋賀県のふなずし(鮒鮨)はその姿をよく残すもので、飯を食べずに魚を食べます。

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ふなずし(鮒ずし、琵琶湖、滋賀県、日本自然保護協会、Ggoogle画像):http://www.nacsj.or.jp/project/kurashi/report08.html. 温かいご飯に鮒ずしをのせて食べます。お茶漬け、またワイン、酒の肴(さかな)にもよく合います。

ふなずし(鮒寿司、鮒鮨とも、滋賀県、Google画像検索):https://www.google.co.jp/search?q=%E9%AE%92%E5%AF%BF%E5%8F%B8(%E9%AE%92%E5%AF%BF%E5%8F%B8)&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=pcmzUtDCLsaKlAWv_IHwBg&ved=0CEsQsAQ&biw=1366&bih=588.

 延喜式(927)には、伊勢、美濃、丹波、播磨、紀伊の鮨年魚(すしあゆ)、大宰府の鮒鮨(ふなずし)、越中の鮭鮨(さけずし)、三河のいがい鮨(貽貝鮨)などを酒宴に使ったとあります。

 北陸地方では、富山のます寿し、石川のかぶら寿し、福井県のさばのへしこなどの郷土料理が、なれずしの流れの食文化を伝える食べ物と思われます。これらは酒の肴(さかな)になりますが、生化学的には、乳酸発酵と共に、酒精発酵が少し見られ、適当に生成したうま味のアミノ酸とよく調和して美味しくなっています。

日本の食文化郷土料理百選、北陸の郷土料理): http://www.maff.go.jp/hokuriku/safe/shokuiku/pdf/111028_3.pdfhttp://www.rdpc.or.jp/kyoudoryouri100/recipe/area/3.

 室町時代になると、あゆ(鮎)やさば(鯖)などの魚と飯をいっしょに食べる、いずし(飯鮨、生ま馴鮨とも)など、今日も残る形が生まれました。そして、すしの漢字として、の字が使われ始め、味も酸味のから甘味の方に変わっていきました。 

〇 はやずしおしずし 

 しかし、なれずしを作るのに5、6日もかかるので、17世紀(江戸時代)ごろから(す)を混ぜて、一晩でできるはやずし(早鮨)が起こりました。

 江戸にはやずしが伝わったのは、延宝年間(1673~1681)でした。一方、京阪地方では、こけらずし(柿鮨)のようなおしずし(押し鮨、箱鮨とも)がもてはやされ、現在も大阪ずしとして知られています。 

 にぎりずし  

 19世紀初期(江戸時代)、江戸では新鮮な魚介をすし種(だね、ねたとも)にした、にぎりずし(握り鮨)が始まりました。寛政(1789~1800)ころ、二代目華屋与兵衛(1799~1858)が今日の形のにぎりずしを発明しました。これは深川安宅(あたけ)の松のすしと共に、江戸前ずしの代表となりました。

〇 まきずし

 まきずし(巻鮨)では、のり巻鉄火巻伊達(だて)巻鮨などがあります。江戸時代、江戸前の浅草、芝、品川などで、のり(海苔)の養殖がおこなわれ、これが浅草で盛んであった紙漉き(かみすき)の技術と出合い、いたのり(板海苔、浅草のり!)が作られました。そして、のり巻は、江戸時代中期、18世紀には誕生したと言われています。

 単に、のり巻というと、カンピョウ巻のことです。他には、マグロの鉄火巻、キュウリのカッパ巻ナットウ巻などがあります。

〇 ちらしずし

 ちらしずし(ちらし鮨)は、すし飯に具を混ぜ合わせたもので、祭礼などの行事のおりに、ごちそうとして、はじめは一般家庭で作られたものです。

〇 つつみずし

 つつみずし(包み鮨)として、いなりずし(稲荷鮨)、ちゃきんずし(茶巾鮨、薄焼きの卵で包む)、笹の葉に巻いたささまきずし笹巻鮨、毛抜鮨とも)などがあります。

〇 その他 

 具と飯を合わせた、まぜずし(混ぜ鮨)、ごもくずし(五目鮨)、ばらずし(ばら鮨)、温めるむしずし(蒸し鮨、ぬく鮨とも)、具を上に飾りのせる、ちらしずし(ちらし鮨)などがあります。

 また、材料によって、はたはた鮨、ます鮨、かに鮨、いか鮨、あゆ鮨など地方名物も多く、材料の形をくずさずに作る姿鮨も多い。

 現在、世界の無形文化遺産の和食と共に、すし文化も大きな展開を見せ、日本の独創的な食べものとして、外国人にも多くの愛好者が増えています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、p.735、鮨(すし)、平凡社(1973); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.810~811、寿司(すし)、三宝出版(1994); 石川化学教育研究会編: 科学風土記ー加賀・能登のサイエンス(第1版)、p.78~80、小原康二、かぶら寿司、大根寿司、裳華房(1997); 永原慶二監修: 日本史事典(第1刷)、p.124~125、鮨・鮓(すし)、岩波書店(1999).

(参考資料) すしの歴史(全国すし商生活衛生同業組合連合会、東京、ホームページ):http://www.sushi-all-japan.or.jp/index_b2_1.html

(追加説明) 回転寿司は、1958年(昭和33年)、立ち食い寿司店主が近鉄布施駅前(大阪府東大阪市)に開いた「元禄寿司がはじまりです。ビール工場のベルトコンベヤーをヒントに考案されました。 

 この「コンベヤ旋廻食事台」を製造したのは、石野製作所(金沢市増泉)で、「自動寿司にぎり機」ができると、本格的な回転寿司産業が到来しました。 石川県の回転寿司システムの製造は、現在100%のシェアを誇っています。(北陸中日新聞: 小林忠雄(北陸大学教授)、金沢らしさ、機械メーカー王国、きらりと光る製品開発、2012年(平成24年)12月8日(土)、朝刊)

2013年12月18日 (水)

無形文化遺産、和食(わしょく)、一汁三菜(もと鎌倉時代、禅寺の献立)、味の分類(西洋四味、中国五味、日本六味)、日本特有のうま味、アスペルギルス・オリゼ(日本こうじカビ)と調味料(しょうゆ、みそ、みりん)、日本の郷土料理、四條流包丁儀式、とは(2013.12.18)

 日本和食(わしょく)が、2013年(平成25年)12月4日ユネスコ国連教育科学文化機関)により、「和食;日本人の伝統的な食文化」として、無形文化遺産登録されました。 

 この時の要件は、(1) 多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重、(2) 栄養バランスに優れた健康的な食生活、(3) 自然の美しさや季節の移ろいの表現、(4) 年中行事との密接な関わりの4点とされています。

 これは、日本の和食が世界に誇れるものであることを示しています。そこで、日本の伝統的な和食について、改めて調べて見ました。

〇 一汁三菜(もと鎌倉時代、禅寺の献立

 一汁三菜(いちじゅうさんさい)という言葉は、鎌倉時代、禅寺における質素倹約を重視した食事の献立の構成の一つで、主食(白飯)、汁物(味噌汁)1品とおかず(惣菜、主菜1品、副菜2品)3品、漬物(香の物)の4種類をセットにしたものです。三菜(おかずとも、菜3品)は、(なます)、煮物焼き物のことです。

 懐石料理(かいせきりょうり)は、日本古来の一汁三菜の食法を基本とし、通常は茶の湯の席でお茶をいただく前に出される料理のことです。

一汁三菜(いちじゅうさんさい、健康な食生活の基本、日本うま味調味料協会、東京):http://www.umamikyo.gr.jp/recipe/category_01_2.html

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一汁三菜(いちじゅうさんさい、TOKYO GAS、Google画像): http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/jiten/562.html

一汁三菜(いちじゅうさんさい、Google画像検索):https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%80%E6%B1%81%E4%B8%89%E8%8F%9C&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=YAmwUryQBcqhkwWBhIDICQ&ved=0CAkQ_AUoAQ&biw=1366&bih=588

〇 味の分類西洋四味、中国五味、日本六味

 古来、味の分類には、西洋四味、中国五味、日本六味という言葉があります。これは、西洋人は味を、甘い(甘味)、すっぱい(酸味)、塩辛い(塩味)、ぴりっと辛い(辛味)、の四味に分ける。中国人はこれに、苦い(苦味)を加えて、五味に分ける。中国では、五味の調和、というのが調理の基本となっています。 日本人はさらに、うまい(うま味)を加えて、六味としました。

  このうま味の主な成分は、昆布(こんぶ)ではグルタミン酸(グルタミン酸ナトリウムとも、アミノ酸、味の素!)、鰹節(かつをぶし)ではイノシン酸(イノシン酸ナトリウムとも、核酸)、シイタケではグアニル酸(グアニル酸ナトリウムとも、核酸)、シジミ、アサリなど貝類ではコハク酸(コハク酸ナトリウムとも、カルボン酸)と呼ばれる有機化合物です。

 これらのうま味成分は、食品中に適度に混在するとうま味がぐっと増す、ことが知られています。これをうま味相乗効果と呼んでいます。

〇 アスペルギルス・オリゼ日本こうじカビ)と調味料(しょうゆ、みそ、みりん)

 和食を支える調味料として、しょうゆ(醤油)やみそ(味噌)、みりん(味醂)などを作るには、日本にしか存在しない、アスペルギルス・オリゼ日本こうじカビ)が不可欠です。自然界にある何億種ものカビの中から抽出方法が発見されたのは約1000年前です。

 このオリゼ日本こうじカビ)菌は、もとフラブス菌の培養で毒性を抑えたカビを選び出し、日本独自に家畜化したものという。両者のDNAは全く同じであるが、フラブスの単細胞中には核が1個あるのに対し、オリゼには4個ほどあり、生命力が強いという。

 平安時代蒸したコメ(米)にツバキ(椿)のオリゼこうじカビ)をふりかけ、オリゼの作った糖分を微生物の酵母(イースト)に食べさせ(発酵と熟成!)、みりん(混成酒)を作っていました。このとき、ツバキの灰をご飯にふりかけると、表面がアルカリ性となり、雑菌は生えず、こうじカビのみ生えるという。(延喜式、927年(延長5年)より)

 これは樹木の中でもツバキの灰は、アルカリ性が強く、殺菌力がある、という。また、一般にツバキ科の植物は、葉に多くのアルミニウムを蓄積する性質があるので、ツバキの灰の中のアルミニウム成分も何らかの働きをしていると思われます。

 室町時代大豆オリゼを働かせ、 しょうゆ(醤油)やみそ(味噌)が作られ、お盆には、四季折々の食材、コンブとシイタケのダシなどを使った精進料理が作られました。

  このように、調味料しょうゆ(醤油)やみそ(味噌)、みりん(味醂)などは、カビ(こうじカビ)と酵母(イースト)と細菌類などの3つの作用を受け製造されます。

NHKスペシャル 和食 千年の味のミステリー: http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1215/

〇 日本の食文化(郷土料理百選、北陸の郷土料理)

 日本では、米を中心とした約1,500種類に及ぶ食材の料理や、出汁(だし)などのうま味を活用した料理、また、保存性、栄養価の高い発酵食品が作られてきました。

 
 また、地方特有の郷土料理行事食、自然の恵みに感謝する心、おもてなし、食事の作法など、日本独特の食文化を形成してきました。

 農林水産省では、2007年(平成19年)12月、全国各地の農山漁村で脈々と受け継がれ、かつ「食べてみたい!食べさせたい!ふるさとの味」として、国民的に支持されうる郷土料理を「郷土料理百選」として選定しました。 

 北陸地方では、富山県では、「ます寿し、ぶり大根」、石川県では、「じぶ煮、かぶら寿し」、福井県では、「越前おろしそば、さばのへしこ」、などの郷土料理が選ばれました。

 なお、じぶ煮の食材のカモ(鴨)は、今も、加賀市片野町のラムサール条約登録湿地、片野鴨池周辺では、江戸時代から伝わるカモ猟坂網猟(さかあみりょう)により捕獲しています。

 この方法は、夕暮れの時、池の周辺の高台に潜み、カモの群れが上空を通る瞬間に、長さ3.5mほどのY字形の網を投げ上げ捕まえます。(2014年11月16日(日)、北陸中日新聞朝刊より)

日本の食文化郷土料理百選、北陸の郷土料理): http://www.maff.go.jp/hokuriku/safe/shokuiku/pdf/111028_3.pdfhttp://www.rdpc.or.jp/kyoudoryouri100/recipe/area/3.

 和食健康食であり、見た目にも美しいことから、今や海外の多くの国で一般的に知られ人気のある料理となっています。これを機会に、和食標準化が行われ、政府や和食を提供する関係者が、広報普及活動に一段と力を入れることが予想されます。

(参考文献) 樋口清之: 梅干しと日本刀(第7刷)、p.63~65、味の分類は、西洋四味、中国五味、日本六味、祥伝社(2005); 太田次郎、山崎和夫編: 高等学校 理科総合A(改訂版)、物質とエネルギー、p.88~89、啓林館(2005); NHK 夜9.15: NHKスペシャル、和食、千年の味のミステリー、2013年12月15日(日)放送; 奥村彪生(伝承料理研究家): 特別企画、和の食文化入門、p.48~54、PHP(No.788)、2014年、1月号(2013). 

(参考資料) 微生物の利用、微生物と呼ばれるもの、細菌・酵母・カビなどによる発酵食品、医薬品などの生産、微生物電池、水素づくりへの応用、とは(2013.7.12)http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki374.html 

(追加説明、話題)

〇 四條流包丁儀式

 魚に手を触れずにさばく「四條流包丁儀式」が2017年6月4日、金沢市の尾山神社であった。厳かな雰囲気の中、華麗な包丁さばきが披露された。

 四條流は平安時代に始まったとされる宮中の料理様式。四條流門人会金沢柏綱社中が主催。「金沢百万石まつり」の関連行事として行われた。

 代表の清水綱雄さんが包丁人を務めた。右手に長包丁、左手に細長い箸をかまえ、まな板の上のタイを素早く切り分けた。神社拝殿には包丁の音が響き、訪れた見学者は迫力ある技巧にじっくりと見入っていた。

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見事な包丁さばきが披露された儀式、金沢市の尾山神社で、2017.6.4

(北陸中日新聞(横井武昭): 漂う 気品と歴史、四條流包丁儀式、金沢柏綱社中、2017年6月5日(月)より)

 

2013年12月12日 (木)

雪吊り(ゆきづり)、庭木のマツなどのりんご吊り、街路樹のヒラドツツジなどの竹又吊りと竹ばさみ、とは(2013.12.12)

 北陸の雪は水分を多く含むべた雪なので、樹木の葉の上に積もりやすく、枝折れの害を起こしやすい。そのため、冬の樹木の枝に雪を積もらせないよう、樹木の枝を支柱を使って縄で吊り上げます。

 この雪吊り(ゆきづり)には、りんご吊り(真竹などを芯柱として立て、樹木を囲むように縄を張る)、幹吊り(樹木の幹から縄を張る)、竹又吊り(三つ叉、四つ又吊りとも、竹を立てて縄を張る)、しぼり(低木の枝を全て上に集め、縄で下から巻き上げて結ぶ)、竹ばさみなどがあります。

 雪吊(ゆきづり、ゆきつりウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%AA%E5%90%8A

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マツなどのりんご吊り(民家、庭木、示野中町1丁目、金沢、石川)

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ヒラドツツジなどの竹又吊りと竹ばさみ(アトム運輸本社の周辺、街路樹、桜田町1丁目、金沢、石川)

(参考資料) 〇 冬を迎える風物詩、兼六園の雪吊り(ゆきづり)、武家屋敷の土塀の薦掛け(こもかけ)、とは(2010.12.6): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/148.html

 雪は天から送られた手紙である、という言葉の生みの親、中谷宇吉郎(雪氷科学者、随筆家)、とは(2010.6.14): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/86.html

2013年12月 8日 (日)

注連縄(しめなわ)、注連縄は悪神の侵入を禁ずる印、名の由来のしりくめ縄(古事記)、端出之縄(日本書紀)、2匹の蛇が絡み合っている形、とは(2013.12.8)

  お正月は、古くはお盆と並んで、先祖の魂を迎えて祭るものでした。が、仏教の力が大きくなると、お盆先祖の供養など仏教的行事の意味合いが濃くなり、お正月神祭としての意味を強くしていきました。一年の農事と祭事の事始め2月8日の地方では、事納め12月8日となっています。

 お正月には、神社家屋敷の入り口、特に玄関床の間神棚などに注連縄(しめなわ)を張って飾ります。そこで、改めて注連飾りの民俗的文化について調べて見ました。 

 注連縄(しめなわ、標縄七五三縄とも、シメは占めるの意)は、禍神(まがかみ、災いをなす神邪神悪神とも)の侵入を禁ずる印として張る縄のことですす。

 一般に、注連縄左捻り(より、ひねりとも)を定式とし、三筋、五筋、七筋と、一定間隔で藁(わら)の茎を垂れ、その間々に紙垂(かみしで)を下げます。輪じめ(輪飾り)は、これを結んだ形です。左捻りは、神聖視する旧来のしきたりで、根元の方を神前に向かってに張るのが普通です。

 注連縄には様々の型(前垂(まえだれ)注連縄、大根(おおね、だいこんとも)注連縄、牛蒡(ごぼう)注連縄、鼓胴(こどう)注連縄、輪飾)があり、一般的なものはどこの神社でも見られる前垂注連縄(横の縄の太さが同じもの)で、現在では七五三縄を見ることが少なくなっています。

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白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ、鼓胴(こどう)型注連縄、白山市、石川):http://www.shirayama.or.jp/pray/visit.html

注連縄(しめなわ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84

 なお、注連縄(しめなわ) 名は、飛鳥時代、日本最古の記紀、 古事記尻久米縄(しりくめなわ)、日本書紀端出之縄(しりくへなわ)に由来しています。 この神話の注連縄は、神の結界占地(けっかいせんち、神域)を標示するものとなっています。

 また、  吉野裕子(1916~2008、民俗学者)によれば、注連縄は、2匹の蛇が絡み合っている形で、交尾象るであり、縄文時代のヘビがモチーフの土器や土偶より蛇信仰の存在が指摘されています。   

 十二支では、2013年(平成25年) は巳(み)年ですが、ヘビは古くはヘミと呼ばれていたことから来ているという説があります。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 吉野裕子: 蛇 日本の蛇信仰、講談社学術文庫(1979); 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之(監修):生活歳時記、三宝出版(1994); 樋口清之: 日本の風俗起源を知る楽しみ、大和書房(2002); 北陸中日新聞: 2013年巳年 ヘビ、2013年(平成25年)1月13日(日)朝刊.

(参考資料) 〇 注連飾り(しめかざり)、お正月(五穀を守る年神のお祭り)、門松(年神が降臨する場)、注連縄(禍神の侵入を禁ずる印)、どんど焼き(年神を送り返すお祭り)、私の初詣、とは(2010.12.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki152.html

〇 注連縄 種類(google画像検索): https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B3%A8%E9%80%A3%E7%B8%84+%E7%A8%AE%E9%A1%9E&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=_8ujUrqoJMq8kQXvzIGoBA&ved=0CCsQsAQ&biw=1366&bih=588

〇 注連飾り(google画像検索):https://www.google.co.jp/search?q=%E6%B3%A8%E9%80%A3%E9%A3%BE%E3%82%8A&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=LcijUofxJZGukgXfuYFQ&ved=0CCsQsAQ&biw=1366&bih=588

(追加説明) 

〇 金沢城公園の橋爪一の門のしめ飾りは、横幅5.4m、重さ15kgで、わらの両端が弓なりに切り上がった「数の子飾り」と呼ばれるものです。

〇 米を主食とする日本人にとって、大切な稲の藁(わら)は、古来より神聖な場所を表すために用いられ、また、めでためでたが三つ重ねるように願いが込められ、三重になっています。しめ縄で家の中を清浄にし、めでたさを三重にして、邪神が内に入らないようにと、門口(玄関)に飾ります。

2013年12月 1日 (日)

世界文化遺産、富士山(山梨、静岡)、諺 一富士二鷹三茄子、唱歌 ふじの山 富士は日本一の山、浮世絵風景画 富嶽三十六景  赤富士、山岳信仰 日本三名山の富士山、とは(2013.12.1) 

 富士山(山梨、静岡両県)が、2013年(平成25年)6月22日、ユネスコの世界遺産委員会により、「信仰の対象と芸術の源泉」と評価され、世界文化遺産として登録されることになりました。

 そこで、改めて、富士山にまつわる歴史伝承など、思いつくまま、調べて見ました。

 諺 一富士二鷹三茄子

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一富士二鷹三茄子(初夢、チューさんの今昔ばなし、Google画像);http://www.h6.dion.ne.jp/~chusan55/kobore1/43nasubi.htm

 言葉、一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)は、江戸時代の諺で、初夢に見ると、縁起のよいとされているものを順に挙げた句という。 さらに、四扇五煙草六座頭(しせんごたばころくざとう)と続きます。

 富士は日本一の山、は百鳥の王、茄子は名を成す(縁起語呂合わせ説)、は小道具、煙草は嗜好品、座頭は盲目の琵琶法師などの他、諸説(徳川家康説、駿河名物説、三大仇討ち説など)があります。 

初夢一富士二鷹三茄子、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2.

文献(四扇五煙草六座頭、山梨県立図書館):http://www.lib.pref.yamanashi.jp/cgi-bin/refjirei/refs.cgi?c=common&n=10.

〇 唱歌 ふじの山

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ふじの山(世界文化遺産登録と文部省唱歌、Google画像)

1.あたまを雲の 上に出し  四方の山を 見おろして   かみなりさまを 下にきく        ふじは日本一の山

2.青ぞら高く そびえたち   からだに雪の きものきて   かすみのすそを とおくひく
ふじは日本一の山

 この曲は、作詞 巖谷小波(いわやさざなみ、1870~1933) 作曲 不詳ですが、1910年(明治43年)に尋常小学読本唱歌に入れられました。

 この歌では、ふじ(富士)は日本一の山となっています。が、1895年(明治28年)~1945年(昭和20年)、日本台湾を植民地として統治していた時には、台湾には富士山3776m)より高い玉山(ぎょくざん、3952m)があり、明治天皇によって新高山(にいたかやま)の名付けられ、日本最高峰として知られていました。

ふじの山、YouTube(tk152008): http://www.youtube.com/watch?v=g1Ehepc4nU8.

ふじの山(日本の童謡、唱歌): http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/fuji.htm

玉山(ぎょくざん、Google画像検索):https://www.google.co.jp/search?q=%E7%8E%89%E5%B1%B1&sa=N&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=T3WWUtWYDIP-iAfhmIGQCA&ved=0CCgQsAQ4Cg&biw=1366&bih=588

〇 浮世絵風景画 富嶽三十六景  

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冨嶽三十六景 凱風快晴赤富士浮世絵風景画葛飾北斎、Google画像

 富嶽三十六景冨嶽三十六景ともふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎(1760~1849)の作成した代表的な浮世絵風景画で、1823(文政6年)~1835年(天保4年)頃にかけて刊行されています。山肌に木目が浮かぶ貴重な初期の摺(す)りという。

富嶽三十六景(Google画像検索): https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AF%8C%E5%B6%BD%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%85%AD%E6%99%AF&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=EumVUuPYHsL1kQXaw4DwBw&ved=0CDgQsAQ&biw=1366&bih=588

 山岳信仰 日本三名山の富士山

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浅間大社(せんげんたいしゃ、富士山本宮、富士宮市、静岡、Google画像)

 古くから、日本三名山とか、三霊山と呼ばれるのは、伝統的に山岳信仰の対象となってきた富士山(ふじさん、3776m、静岡)、立山(たてやま、3015m、富山)、白山(はくさん、2702m、石川、福井、岐阜、富山)です。

 山頂上に、富士山には浅間大社(せんげんたいしゃ)、立山には雄山神社(おやまじんじゃ)、白山には白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)があります。

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%AE%AE%E6%B5%85%E9%96%93%E5%A4%A7%E7%A4%BE

富士山本宮浅間神社(ホームページ、富士宮市、静岡): http://fuji-hongu.or.jp/sengen/hongu/index.html

 私はマイカーで、1982年(昭和57年)8月11日、白糸の滝(富士宮市)を見学した後、富士スバルラインをドライブし、雨まじりの富士山の五合目(標高2305m)を訪れたことがあります。

(参考文献) 村田了阿偏: 俚言集覧上巻、名著刊行会(1965); 朝日新聞: うたの旅人、唱歌ふじ山」、望郷の思い託して、be on Saturday, song, 2010年(平成22年)7月31日(土)朝刊; 朝日新聞&北陸中日新聞: 富士山 世界遺産に登録 三保松原も一転含める、ユネスコ世界遺産委員会決定、2013年(平成25年)6月23日(日)朝刊.

(参考資料) 〇 富士山世界文化遺産(2013年(平成25年)6月22日登録、山梨県事務局、静岡県事務局): http://www.fujisan-3776.jp/

 白山にまつわる伝説と説話、わらじ伝説(富士山と背比べ)、日本最高峰(50年間、新高山、玉山とも、台湾)、泰澄(白山開山)弟子、臥行者の飛鉢の法力(信貴山縁起と類似)、富士山世界文化遺産、とは(2010.8.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/kagakufudoki118.html

(追加説明) 初夢

○ 七福神宝船と回文歌

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七福神宝船絵初夢用、江戸東京博物館蔵、東京、google画像)

(解説) 宝船(たからぶね)は、正月の初夢を見るために枕の下に敷いた縁起物です。御宝(おたから)でもあり、多くは、米俵、宝貨を積んだ帆掛船、宝船の絵に七福神を描き、回文歌(かいぶんうた)、「ながきよの とをのねぶりの みな めざめ なみ のりぶねのおと のよきかな(長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の良きかな)」などを書き添えました。この歌の出典は、室町時代、運歩色葉集(うんぽいろはしゅう、著者未詳)、1548年(天文17年)成立、という。

〇 世界遺産は、1978年(昭和53年)、国連教育科学文化機関(ウネスコ)により、世界の文化や自然を保護する目的で始まりました。

 そのきっかけは、エジプトのアブ・シンベル神殿などの遺跡をダム工事から守るためでした。 2013年(平成25年)6月までに、世界中で981件が登録されています。

 世界遺産は、自然(自然遺産)や建物、遺跡(文化遺産)など形のあるものが中心ですが、2006年(平成18年)、ユネスコは、伝統文化(無形文化遺産)などを登録し始めました。

 

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