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2014年1月の9件の記事

2014年1月25日 (土)

冬の犀川のオギの枯草の風景、街路樹の赤い色の花、サザンカ(山茶花)、道端の黄色い花、セイヨウタンポポ(西洋蒲公英)、道端の花壇で葉の中心部が紫色に染まった牡丹の花のようなハボタン(葉牡丹)、とは(2014.1.25)

 今、冬の寒さが最も厳しい季節で、犀川遊歩道を散策しても、枯草ばかりが目立ちました。が、犀川近くの市街地歩道を散策した時、街路樹の赤い花サザンカ(山茶花)、道端で黄色い花セイヨウタンポポ(西洋蒲公英)、道端の花壇で葉の中心部が紫色に染まった牡丹の花のようなハボタン(葉牡丹)など目にとまり、デジカメで撮影しました。

○ 犀川の風景

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犀川の風景(示野中橋南端から眺めた犀川河川敷のオギの枯草、示野中町、金沢)

○ 街路樹のサザンカ(山茶花)の赤い花

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サザンカ(山茶花、姫椿、茶梅とも、ツバキ科、示野中町、金沢) 

四国、九州の暖地に自生し、日本原産。梅雨期に挿し木して増殖する。種子から油を採り、材は細工物にする。

 道端のセイヨウタンポポ(西洋蒲公英)の黄色の花

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セイヨウタンポポ(西洋蒲公英、キク科、示野町、金沢)  

ヨーロッパ原産の帰化植物で、フランスなどではサラダとして食用。 明治時代、北海道で食用、牧草として輸入。一年中花が咲き、1株だけでも必ず結実し、綿毛を飛ばし、日本各地に増えました。

 道端の花壇のハボタン(葉牡丹)の中心部が紫に染まった葉 

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ハボタン(葉牡丹、オランダ菜、牡丹菜、ハナキャベツとも、アブラナ科、桜田町、金沢) 

ヨーロッパ西部および南部原産。キャベツの一品種で観賞用としたもの。正月の装飾として使います。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991);主婦の友編: 花木&庭木図鑑200、p.66、サザンカ、主婦の友社(2009); 浜田豊: 花ことば 花データ 由来が分かる、花の名前 522種、p.125、サザンカ、日東書院(2011). 

(参考資料) 野草名にまつわる歴史伝承、雑草ということ(草)はない(昭和天皇のお言葉)、タンポポ(キク科)、カラスノエンドウ(マメ科)、シロツメクサ(クローバーとも、マメ科)、とは(2011.5.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/177.html

 

2014年1月22日 (水)

白山山麓(東)からの日の出、白山の主峰と冬の雲(凍雲)、日本海(西)への日の入り、などの風景、とは(2014.1.22)

 冬の季節は曇天の日が多く、いやな気分になるものですが、いっとき太陽が顔を出す晴れ間には、美しい空の色と雲の姿が見られます。

 そこで、白山山麓(東)からの日の出、白山の主峰と冬の雲(凍雲、いてくも)、日本海(西)への日の入り、などの風景をデジカメで撮影しました。

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白山山麓(東)からの日の出、白山の主峰と冬の雲(凍雲)、日本海(西)への日の入り、などの風景(2014年(平成26年)1月、桜田、金沢

(解説)  四季折々の雲の中で、冬の寒い空にじっと動かずにいる雲は、凍雲(いてくも、寒雲、冬雲とも)と呼ばれています。 また、凍空で、寒さが強くて快晴のとき、凍晴(いてばれ)という。

(参考文献) 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.24、冬の雲、三宝出版(1994).

(参考資料) ○ 四季折々の雲の形(春の霞・夏の雲の峰・秋の鰯雲・冬の凍雲など)、飛行機雲、地震雲、とは(2010.10.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/132.html

 

2014年1月20日 (月)

白山山麓の湯涌温泉(金沢市)での竹久夢二の「美人画」と文学碑、辰口温泉(能美市)での泉鏡花の「海の鳴る時」と露天風呂、また、加賀平野南部の山中温泉(加賀市)での松尾芭蕉の「奥の細道」の名句と句碑、とは(2014.1.20)

 白山山麓には、湯涌(ゆわく)、辰口(たつのくち)、また、加賀平野南部には、山中(やまなか)、山代(やましろ)、 粟津(あわづ)、片山津(かたやまづ)のほか、数多くの温泉地が知られています。

 そこには、作家や歌人、芸術家の創作意欲をかき立てる、独特の風情の老舗旅館もあり、竹久夢二や泉鏡花、松尾芭蕉の心を打つ文学作品が残されています。 

湯涌温泉竹久夢二(たけひさゆめじ、1884~1934、画家、詩人、岡山県、本庄生れ)

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湯涌温泉(ゆわくおんせん、竹久夢二美人画と文学碑、湯涌町、金沢市)

湯涌温泉(ゆわくおんせん、やました旅館、ホームページ、夢二が恋人の彦乃と逗留、金沢市):http://oyado-yamasita.com/yumeji.html

(解説) 湯涌温泉やました旅館に逗留(とうりゅう)中、竹久夢二彦乃との愛を歌った、「湯涌なる 山ふところの 小春日に 眼閉ぢ死なむと きみのいふなり」と刻まれた自然石の文学碑があります。                                        

 辰口温泉泉鏡花(いずみきょうか、1873~1939、小説家、石川県、金沢生れ)

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辰口温泉(たつのくちおんせん、まつさき旅館露天風呂、辰口町、能美市)

辰口温泉(たつのくちおんせん、まつさき旅館、鏡花が愛した古湯、ゆこゆこネット): http://www.yukoyuko.net/onsen/0251/rekishi まつさき(ホームページ、歩み、泉鏡花の海の鳴る時):http://www.matsusaki.co.jp/annai/histry.html.

(解説) 泉鏡花は、老舗旅館「まつさき」は、短編小説「海の鳴る時」では、温泉宿「松屋」として登場し、お絹という女性を描いています。そして、名湯があふれる露天風呂(ろてんぶろ)は、鏡花の作風にも影響を与えたと言われています。

 鏡花は、熱燗(あつかん)が好きで、煮物は小鍋で煮直して熱々(あつあつ)を出したという逸話が残っています。幼くして母を亡くし、辰口に住む叔母に引き取られ、18歳の時に読んだ尾崎紅葉(おざきこうよう、1868~1903、小説家、東京都、江戸生れ)に影響を受け、作家を目指したと言われています。  

○ 山中温泉松尾芭蕉(まつおばしょう、1644~1694、俳人、三重県、伊賀上野生れ)

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山中温泉(やまなかおんせん、松尾芭蕉の名句と句碑、山中町、加賀市)

山中温泉(山中温泉観光協会、ホームページ、泉屋旅館芭蕉が愛した温泉、加賀市): http://www.yamanaka-spa.or.jp/welcome/bashou.html

(解説) 1689年(元禄2年)7月27日(新暦9月10日)から8月5日まで、松尾芭蕉は「奥の細道」の旅の途中、山中温泉の出湯、泉屋旅館に杖をとどめました。

 
 この9日間に、芭蕉は薬師堂を詣(もう)で、温泉につかり、風光明媚(ふうこうめいび)な景色を心から楽しみ、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ(山中の湯の香をかげば、菊を手折ってその露を飲むまでもない)」」の一句を詠みました。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 北陸中日新聞: 文人の愛した温泉、なぜ文人は温泉い惹(ひ)かれるのか、サンデー版+テレビ、2011年(平成23年)12月25日(日).

(参考資料) ○ 医王山(石川)のふもとに湧き出る湯涌温泉と霊験あらたかな医王山の水、医王石(石英閃緑ひ岩)、とは(2010.7.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/97.html

 泉鏡花(金沢出身の作家)にまつわる歴史物語、高野聖、四国の辺地を通る僧(今昔物語)、とは(2009.7.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/koya.html

○ 松尾芭蕉(奥の細道、那谷寺)にまつわる歴史紀行、石山の石より白し秋の風、この句の中の石は那谷寺(加賀)の石、それとも石山寺(近江)の石なのか、とは(2009.9.7):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/ma.html

2014年1月17日 (金)

雑節(ざつせつ)、冬の土用の入り(2014年1月17日)から18日後(2月4日)に立春となる、土用は1年に4回あり、土気(つちけ)が働いて四季が始まり、立春・立夏・立秋・立冬になるという、とは(2014.1.17)

 土用(どよう)は1年に4回あり、立春・立夏・立秋・立冬の前の各18日間をいい、その初めの日を「土用の入り」と呼んでいます。 

 今日、2014年(平成26年)1月17日は、雑節(ざつせつ)、「冬の土用の入り)」に当たり、18日後2月4日立春となります。 立春の前日が節分、旧暦では一年の始まり(正月節)、八十八夜、二百十日、二百二十日などはこの日から起算します。

 土用とは、「土気(つちけ、土くさい様子、湿り気や土くささ)の働き」という意で、土の気が働いて四季が始まり、順に立春・立夏・立秋・立冬になるという。 

 普通に土用といえば、土用のことで、今年は陽暦、7月20日に当たり、その18日後の8月7日立秋となります。夏の土用のとき、土用干しをしたり、土用餅をつくります。また、土用の丑(うし)の日にウナギを食べると暑気に当てられないという。    

 土用(どよう、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%A8

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二十四節気(にじゅうしせっき、節分基準、太陽暦、Google画像) 

 二十四節気(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E7%AF%80%E6%B0%97.

 雑節(ざつせつ)は、1年間の季節の移り変わりをつかむため、二十四節気、五節句のほかに、補助的な意味の特別な暦日を設けたものです。

○ 雑節(ざつせつ、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E7%AF%80

 雑節(ざつせつ)には、節分初午(はつうま、稲荷社の祭り)、土用盂蘭盆会(うらぼんえ)、彼岸社日(しゃにち、土の神の祭り)、八十八夜入梅半夏生(はんげしょう)、三伏(さんぷく、全てによくない日)、中元二百十日二百二十日酉の日(とりのひ、おおとり明神の祭り)、大祓(おおはらえ)などがあります。 

 これは、主として生産生活や自然生活に照らし合わせてつくられており、特に農事と深い関係を持っています。そして、古くから庶民の生活に溶け込んで、年中行事、民俗行事となっているものも多いようです。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、p.1869、どよう(土用)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.35、土用入り、三宝出版(1994). 

(参考資料) ○ 二十四節気(にじゅうしせっき)、1年間の季節を表す言葉(太陽の通り道を基準とする、太陽暦!)、農耕(種まきから収穫まで、農作業の目安!)に活用、とは(2012.6.23): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-d179.html

2014年1月16日 (木)

白山さん(白山比咩神社)で左義長祭、小正月(正月15日)の火祭り、左義長の歴史と名の由来、火を神聖視する信仰、とは(2014.1.15)

 ○ 白山さん(白山比咩神社)で左義長祭

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左義長祭(さぎちょうさい、白山比咩神社、2014年1月15日、三宮町、白山市) 参拝者が200人以上見守る中、激しく燃え上がるどんど焼き  (2014年(平成26年)1月16日(木)、北陸中日新聞)

(解説)  白山比咩神社(三宮町、白山市)で15日、左義長祭があり、竹やむしろを組んだ巨大などんど(直径10m、高さ10mの円すい形)で、200人を超える参拝者が持ち込んだ、正月飾りや書初めなどを焚(た)き上げ、無病息災を願いました。

 火は、地元を代表して、市内の北辰(ほくしん)、鶴来(つるぎ)の両中学生(6名)が、「ろくろきり」とよばれる昔ながらの道具を使って、神前でおこした清浄な火で点火しました。

 神社によると、左義長は民間の風習として、田んぼで行われたが、野焼きが規制されたため、神社が営む神札や神棚の焚き上げに組み込まれるようになったという。

○ 左義長の歴史

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左義長(さぎちょう、三毬杖とも、広辞苑)

 (解説) 左義長(さぎちょう、三毬杖とも)は、小正月の火祭りの行事のことです。その語源には諸説ありますが、最も一般的なのは、三つの竹あるいは木を組んで結び、三脚にして立てたことによるものという。

 広辞苑によれば、もと毬打(ぎっちょう)を三つ立てたことに由来し、 毬打(ぎっちょう、毬杖とも)は、正月行事の童子の遊戯に使用する、毬(まり)を打つ長柄(ながえ)の槌(つち)のことです。

 宮中では、正月15日および18日に、清涼殿の東庭で、青竹を束ね立て、毬打(ぎっちょう)3個を結び、これに扇子・短冊・吉書(きつしょ)などを添え、謡いはやしつつ焼きました。

 民間では、正月14日または15日(九州では6~7日)、長い竹数本を円錐形などに組立、正月飾りの門松・注連飾り(しめかざり、七五三飾とも)・書初めなどを持ち寄って焼きました。

 その火に体を当てると若返る、体が丈夫になる、餅や団子を火で焼いてを食べると病気をしない、火に書初めをかざしてそれが高く舞うと書が上手になるなど、火を神聖視する信仰が見られます。 

 この行事は、左義長のほか、、どんど焼き、さんくろう焼き、さいと焼き、さえのかみ、ほっけんぎょう、ほちょじ、おにび、三毬打など、多くの名で呼ばれています。

(参考資料) 新村出: 広辞苑(第四版)、p.1016、さぎちょう左義長、三毬杖)、岩波書店(1991); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編: 図説 民俗探訪事典(1版19刷)、p.140~143、左義長、山川出版社(2005); 北陸中日新聞: 白山さんで「左義長祭」、巨大どんどに無病息災願う、2014年(平成26年)1月16日(木)朝刊.

(参考資料) 注連飾り(しめかざり)、お正月(五穀を守る年神のお祭り)、門松(年神が降臨する場)、注連縄(禍神の侵入を禁ずる印)、どんど焼き(年神を送り返すお祭り)、私の初詣、とは(2010.12.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/152.html

(追加説明) 左義長という漢字は、江戸時代から使われているので、平安時代の三毬杖の当て字とも考えられています。

 また、日本語大辞典(小学館)によると、「仏教道教との優劣を試みるため、仏教の書を左に、道教の書を右において焼いたところ、仏教の書が残り左の義長ぜり、という訳経図記にある故事」からという俗説(徒然草寿命院抄)がよく知られています。

2014年1月14日 (火)

白山火山帯(大山火山帯とも)、白山山麓の温泉と噴泉塔(中宮温泉、岩間温泉、岩間噴泉塔、白山温泉など)、とは(2014.1.14)

 白山火山帯(はくさんかざんたい)は、大山火山帯(だいせんかざんたい)とも呼ばれ、石川・岐阜県境の白山の東端から始まり、福井県大日岳、中国地方の鳥取県大山・島根県三瓶山(さんべさん)を経て九州にわたり、大分県両子火山・同九重山を経て九州西縁、佐賀・長崎県の多良岳・雲仙岳に至る火山帯のことです。

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日本列島の火山帯とプレート(地震と火山帯が横たわる日本列島、google画像)

(解説) 火山帯は、火山(主として活火山休火山および比較的新しい死火山)が分布する細長い帯状の地域です。わが国では東日本火山帯と西日本火山帯とに二大別され、さらに細分して那須火山帯・富士火山帯大山火山帯などがあります。

○ 火山帯(かざんたい、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%B1%B1%E5%B8%AF

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岩間噴泉塔(いわまふんせんとう、1988年(昭和63年)、白山市、石川県)  噴泉塔は石灰華が大きく成長したもので、噴き上がる湯量は火山活動と関係が深く、その日によって変動します。

(解説) 白山火山帯の白山山麓地域には、中宮、岩間、白山などの白山温泉郷があります。温泉は、地下深部の片麻岩層を流紋岩層が抜いていて、その接触部分に沿って走る亀裂から泉源が湧き出していると考えられています。 泉温は、50~97.5℃で、泉質は弱食塩泉または含重曹・弱食塩泉で、中宮、岩間、白山(千丈、白峰口の湯、白峰中の湯など)の温泉があります。

 私は初めて、1982年(昭和57年)9月4~5日、岩間温泉、岩間噴泉塔、中宮温泉などの温泉水および温泉水中の藍藻などを採取し、白山火山脈と温泉源、温泉植物相とのつながりを調べたことがあります。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 自然人編集委員会(代表矢島孝昭)編: 自然人、特集、温泉王国、十月社(1988); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).

(参考資料) ○ 白山の麓の岩間の谷底から噴き上がる熱水(岩間噴泉塔)、噴泉塔の表面を色どる藍藻の温泉水浄化、とは(2009.7.14): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/hakusann.html

2014年1月 8日 (水)

白山、冬の白山連峰を遠望、現在は休火山、江戸時代、1659年(万治2年)まで噴火、とは(2014.1.8)

 白山連峰は、石川、岐阜、福井、富山の南北に連なる大きな山脈です。主峰は、御前峰(ごぜんがみね、2702m)、その北の剣ヶ峰(けんがみね、2677m)、さらにもう一つ北に聳(そび)える大汝峰(おおなんじがみね、2680m)などから構成されています。

 現在、主峰の白山は休火山ですが、江戸時代、1659年(万治2年)まで噴火を続けていたとのことです。現在、頂上近くには、翠池(みどりがいけ)など七つの火口湖があります。

白山と火口湖(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B1%B1 .

 昨日(1月7日)は一日中、久しぶりに快晴に恵まれましたので、冬の白山連峰の景色を遠望し、デジカメで撮影しました。

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白山を遠望(犀川近くのマンション、ベランダ、10階、桜田、金沢市)

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白山を遠望(アピタのユーホーム、屋上駐車場、3階、 松任、白山市 )

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白山を遠望(2014.1.17. 緑ヶ丘、辰口、能美市)

(参考文献) 石川県の歴史散歩編集委員会(代表、木越隆三)編:石川県の歴史散歩、p.148、白山連峰、山川出版社(2010).

(参考資料) ○ 白山(石川、福井、岐阜)、白山比咩神社(石川)にまつわる歴史伝承、白山夏山開き、とは(2010.7.3): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/95.html

○ 白山自然美術館Photo:©木村 芳文、白山市、石川): https://www.facebook.com/hakusanartmuseum

 

2014年1月 4日 (土)

餅(もち)の歴史、餅の言葉の語源、地方色豊かな雑煮(ぞうに)、信仰的な力餅(ちからもち)、餅の焼網の上での動きから生まれた兎のダンスの歌、鏡開、とは(2014.1.4)

 (もち)の歴史は古く、すでに奈良時代にはあり、その頃は、糯米(もちごめ)、麦粉などを合わせ、蒸して臼(うす)でついたものでした。また、米のほかにも(あわ)、(きび)、ナラの実トチの実を材料としたものもありました。

 正月に盛んにを食べるようになったのは、江戸時代になってからです。食べ方による呼び名として、つきたてをおろして醤油で食べる辛み餅、切餅(角餅とも)を焼いて醤油をつけ海苔で巻いた磯部餅、丸めて饀(あん)で包んだ牡丹(ぼた)、饀(あん)を包んだ大福餅、きな粉をまぶした安倍川餅などがよく知られています。

○ 餅の言葉の語源

 (もち)の語源については、「長もちする」、「もち歩くことができる」、「満月の望月(もちづき)」など、諸説があります。

 はそのまま放っておいても半月から1ヵ月はもち、水に浸して水餅にするか、切餅(きりもち)を干してかき餅にすると長く保存できます。

 また、鏡餅(かがみもち)は丸いもので、西日本では雑煮(ぞうに)の中に入れる餅も丸餅です。この丸い餅について、柳田國男(やなぎたくにお、1875~1962、民俗学者)は、「人間の心臓の形からきている」と述べています。

○ 地方色豊かな雑煮(ぞうに)

 雑煮の作り方は、地方によって様々です。関東(江戸風型)では、清(すまし)汁仕立てに切餅(角餅とも)を用い、関西では白味噌(京都型)、あるいは赤味噌(京風型)仕立てに丸餅を用いるのが、一般的です。また、前者では焼いた餅を使いますが、後者では焼かずにゆでたものを使います。その他、あずき汁文化圏、餅すまし文化圏(京風・江戸風折衷型)もあるという。

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日本全国お雑煮文化圏地図(トリップグラフィック、しがないイクサーの歴史徒然帳、Google画像): http://blogs.yahoo.co.jp/lan88647749/38752200.html. 

雑煮(ぞうに、google画像):https://www.google.co.jp/search?q=%E9%9B%91%E7%85%AE&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=PMvHUu-nAseAlQWt74D4Bg&ved=0CAkQ_AUoAQ&biw=1366&bih=588

 餅のほかには、鶏肉またはブリなどの魚肉、小松菜、セリ、ミツバ、ダイコン、ニンジンなどの野菜類を入れますが、これも地方あるいは家庭によっていろいろ異なってきます。

 餅を食べすぎた時は、消化を助ける酵素(ジアスターゼ)を含む、おせち料理のうちのダイコンとニンジンのなます、あるいはダイコンおろしを食べるのがよいと言われています。

○ 信仰的な力餅(ちからもち)

 は、節句神事祝い事などにも広く用いられています。これは、ハレの日に用いられる餅には、何か神霊が宿っている信仰的な力が認められるという。

 たとえば、出産のときの餅や誕生祝の餅を力餅といって、それが人の生命に力を与えるものと考えられています。

○ 餅の焼網の上での動きから生まれた兎のダンスの歌 

 野口雨情(1882~1945、詩人)作詞、童謡「(うさぎ)のダンス」については、「(もち)が好物だった雨情は、餅(もち)が焼き網の上で膨(ふく)らんだり、へこんだりする様子に、ウサギがかわいらしく踊る姿を重ねたそうよ」と、野口雨情生家・資料館(茨城県北茨城市)代表で、雨情の孫の野口不二子さん(67)は明かしています。不二子さんの父が生前、書き残したエピソードという。

(参考文献) 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、p.7、餅、p.9、雑煮、三宝出版(1994); 大島、佐藤、松崎、宮内、宮田編: 図説 民俗探訪事典(1版19刷)、p.136~138、餅と雑煮、山川出版社(2005); 北陸中日新聞: ちょっとためになるお雑煮のはなし、ところ変われば、お雑煮変わる、2014年(平成26年)1月1日(水)朝刊.. 

(参考資料) ○ 力石と力餅にまつわる歴史伝承、神社や寺院での力比べ(信仰に通じた体力の養成)、尾山神社のさし石(金沢、石川)、兼仲公の力石(上板、德島)、とは(2010.9.13): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/122.html

 兎(うさぎ)の歌のエピソード、童謡の「兎のダンス」の歌、「ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス」、唱歌の「故郷(ふるさと)」の歌、「兎追ひ(い)し かの山」、とは(2012.8.16): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/270.html

(追加説明) 鏡開(かがみびらき) 正月11日、鏡餅(かがみもち)をおろして食べる祝儀です。その起源は室町時代で、武家では男子は具足に、女子は鏡台に鏡餅を供え、のち刀で切ることを忌み、手や槌を用いて割ったので、開く、割るなどと言われています。一般の家庭では、鏡餅を割りくだいて、汁粉に入れて食べます。

 これは、年の暮れについた餅も、この頃になると堅さを増し、ひび割れが激しくなります。そこで、11日に鏡開きを行ない、お餅を処理してしまうのは、生活の知恵でもあるという。

 

2014年1月 1日 (水)

the New Year's greetings, 年賀(2014.1.1)

A Happy New Year !

2014

新年おめでとうございます

2014年 元旦

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