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2014年6月13日 (金)

呉清源 (ごせいげん、日本棋院名誉客員棋士、中国)、昭和の棋聖、百寿(めでたく100歳を迎える)、2014年(平成26年)5月19日、11月30日老衰のため死去(100歳)、は(2014.6.10)

 呉清源(ごせいげん、日本棋院名誉客員棋士)九段は、中国福建省出身、昭和最強の囲碁棋士です。 2014年(平成26年)5月19日、めでたく100歳を迎えられ、囲碁界で初めて百寿を祝う棋士となりました。

 呉清源九段は、戦中戦後の「打ち込み十番碁」では、日本の一流棋士をことごとく破り、不敗でした。そして、昭和囲碁最強の棋士と言われ、「囲碁の理想は調和、共存共栄!」と説きました。

 囲碁ではどんなことが大切なんですか。この問いには、「調和です。囲碁はもともと易経から来ているんですね。陰と陽のバランス。だから、碁盤の中では、片方が強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。携わる人間がお互い最善の手を尽くすと、立派な局になる。それは政治でも経済でも言えることだと思いますね。勝ち負けは、自然に決まるもの。その場で最善を尽くせば、自然に結果もよくなるはずです」

○ 最近、呉清源(著)、「呉清源の生涯一局 昭和の棋聖100年の軌跡」が、誠文堂新光社より出版されました。これは、呉清源師の生誕100年記念出版で、1928年(昭和3年)の来日から、今日にいたる、思い出に残る対局の64局を選び、自ら解説し、記録写真も掲載したものです。 

 この著書の中で、呉清源師は、「21世紀の碁は、六合(りくごう、天地と四方)の角度から、全局的な調和を重視する」ことを提唱しておられます。

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○ 呉清源師は、現在、神奈川県小田原市内の介護付き老人ホームで暮らし、定期的に医師の診察を受けています。結核を患うなど若い頃は病弱な体質でしたが、医師は「強い心臓を持っている」とのことです。今年、2014年2月、第38期棋聖戦七番勝負第5局の対局会場(静岡県熱海市)を訪れました。

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井山棋聖(左)、呉清源九段(中央)、山下九段(右)

○ 読売新聞呉清源九段、100歳を前に…頭の中の碁盤、現役の動き):http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20140513-OYT8T50151.html

(解説) 井山裕太棋聖(24)と挑戦者、山下敬吾九段(35)の一局で、立会人の林海峰(りんかいほう)名誉天元(72)が1日目の進行を一手ずつ並べました。呉氏はうなずきながら、盤面に見入り、林名誉天元が「いかがですか」と問うと、「新しい打ち方で面白い碁だ。力と力の勝負」と語りました。
 また、その時、呉氏は周囲を驚かせるひと言、「黒の厚みが好ましい」――と。手厚く打ち進める黒が局面をリードしているとの見立てで、結果は黒番、山下九段の3目半勝ちでした。

 このことから、頭の中の碁盤は現役時代そのままに躍動しているご様子、テレビでタイトル戦中継を見ていても、進行に妙味がないと思うと、スイッチを切ってしまうそうです。

(参考資料) ○ 呉清源(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E6%B8%85%E6%BA%90

○ 呉清源(囲碁 昭和の碁聖 、81歳YouTube): http://www.youtube.com/watch?v=ZhE3qZvuEXA

○ 昭和の碁聖(呉清源)にまつわる歴史実話、十番碁(打ち込み手合い)では敵なし、囲碁とは調和(易経、陰陽のバランス)、とは(2010.9.28): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/129.html 

◎ 伊藤衆生: 「昭和の碁聖」呉清源さん、老衰のため死去(100歳) 世界の囲碁界に革新、朝日新聞(2014年12月1日08時34分): http://www.asahi.com/articles/ASGD12PZXGD1UCLV002.html

 「昭和の碁聖」とたたえられ、当代一の実力を誇るとともに、革新的な序盤構想で世界の囲碁界に多大な影響を与えた棋士の呉清源(ご・せいげん)さんが11月30日、老衰のため神奈川県小田原市で死去した。100歳だった。葬儀は近親者で営み、後日、お別れの会を開く予定。喪主は次男昌樹さん。

 中国福建省で生まれ、北京で育った。少年期から囲碁の才能を認められ、1928年、14歳で来日し、29年、日本棋院所属の三段の棋士としてデビューする。50年に最高段位である九段に昇った。

 33年、五段のとき、盟友といわれた棋士・木谷実とともに従来にはなかった序盤構想である「新布石」を打ち出し、囲碁界に革新をもたらした。スピード重視の「新布石」は近代囲碁における最大の功績の一つとされる。戦前から戦後にかけての「打ち込み十番碁」〔読売新聞社主催)では橋本宇太郎、坂田栄男ら8人の一流棋士たちと対決。最終的には全員をことごとく圧倒し、第一人者として君臨した。この勝負は、最大10局戦って四つ勝ち越せば、相手を格下扱いできという過激なものだった。

 84年、古希を機に現役を退いたが、その後も研究会を主宰して後進の指導にあたった。90歳を過ぎても囲碁雑誌に解説を寄せ続けるなど、囲碁への情熱は衰えることはなかった。

 日本棋院名誉客員棋士。門下に元名人の林海峰名誉天元らがいる。87年、勲三等旭日中綬章。(伊藤衆生)

 

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