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2014年9月23日 (火)

上の清水、加賀藩5代藩主、前田綱紀(1643〜1724)に供したという、今も内灘砂丘に水源をもつ湧き水、とは(2014.9.23)

 上の清水(うえのしょうず)は、往来(粟崎道、金沢)辻の200mほど西側の沿道にあり、地元で人気の水飲み場となっています。日本海に近く、内灘の砂丘からの湧水を引いた取り水で、江戸時代、御旅屋(おたや、藩主の別荘)への通り道にあり、その昔、加賀藩主の飲用にも使われたという。

Photo

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上の清水(うえのしょうず、粟崎、金沢、2014年9月22日撮影)

(解説) 御旅屋(おたや)は、1670年(寛文10年)、加賀藩5代藩主、前田綱紀(まえだつなのり、1643〜1724)が鷹狩りなどの休憩地として、粟崎八幡宮旧社地に築造した別荘です。 御亭の建坪80坪、以後も列松植樹し、御舟入場などを拡大しました(「粟崎御旅屋絵図」氏家文庫)。
 その御亭の跡は、粟崎小学校敷地とその西側の丘、往来の辻から約400m南にあり、西側の丘の老松に往時の面影が見られます。

 「上」は南方の意で、背後の砂丘が鬱蒼(うっそう)とした森林であった時期までは、「下」にも数ヶ所の水飲み場があったという。三つに区切った石組水槽は、幅95cm、長さ115cm、板金屋根の幅3m、長さ2mで、近隣住民が共同で管理しています。

 上の清水水質(2005年11月、成分イオン量)は、水温17.0℃、pH6.8、カルシウムイオン3.7ppm、マグネシウムイオン8.6ppm、ナトリウムイオン21.9ppm、カリウムイオン6.2ppm、重炭酸イオン50ppm、塩化物イオン18ppm、硫酸イオン19ppmなどでした。ppmは百万分率(100万の中の1の割合)にあたる量です。

 上の清水水質(2005年11月、ヘキサダイヤグラム解析図)は、淡水性の滞留時間の長い被圧地下水に分類されるナトリウムイオンー重炭酸イオン型とよく似ていました。 が、カルシウムよりマグネシウムの量が多く、またナトリウム及び塩化物イオンの量からも、日本海に近いので、地下水に海水の影響を少し受けていると考えられました

(参考文献) 石川県教育委員会編: 歴史の道調査報告書 第三集 加賀の道Ⅰ(1996).

(参考資料) ○ 上の清水(かみのしょうず、粟崎、金沢)にまつわる歴史伝承、加賀藩主の飲用に供された名水、金沢市の地下水と地盤沈下、とは(2011.5.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/179.html

○ 浜往来(沿道の文化財):https://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=207703400038366514197.0004a71dad6bbf4202f22&hl=ja&ie=UTF8&ll=36.671758,136.668608&spn=0.185616,0.086815&source=embed&dg=feature

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