台場(だいば、お台場とも)、江戸末期に黒船襲来に備え、海防に備えた大砲の砲台、品川台場(江戸、東京)、大野お台場(加賀、石川)、のち大野お台場公園、とは(2014.10.30)
台場(だいば、お台場とも)とは、広辞苑によると、江戸末期、要害の地に設けて、大砲を据(す)えつけ、海防に備えた砲台、例えば品川台場(江戸、東京)と説明されています。
○ 品川台場(江戸、東京)
品川台場(80ポンド青銅製カノン砲、靖国神社、遊就館蔵、江戸、東京、Google画像) お台場(ウィキペディア ): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E5%8F%B0%E5%A0%B4
(解説) お台場(御台場、品川台場)については、1853年嘉永6年)6月、M.C.ペリー(1794~1858)率(ひき)いる米艦が浦賀に来航の際、1853年(嘉永6年)7~12月、江戸幕府が江戸防衛(黒船来襲!)に備えて、江戸担庵(1801~1855)設計、斎藤弥九郎(1798~1871)工事監督により、江戸湾(東京湾)品川沖に六つの砲台が築かれました。
○ 大野お台場(加賀、石川)
幕末期の外国船の来航に対する防御策として、加賀藩は、徳川幕府の海防令により、1850年(嘉永3年)5月から、領有地の加賀、越中、能登の三州に火矢筒、大砲を備える、17箇所の台場の築造に着手し、その中に大野お台場がありました。
大野お台場公園(おおのおだいばこうえん、金沢港に面し、からくり記念館にも近い、大野、金沢市、石川県、2014年10月20日撮影) https://www.facebook.com/honjo1003
(解説) 加賀藩のお台場は、加賀(本吉、大野、寺中、宮腰、畝田)、能登(今浜、福浦、黒島、輪島、狼煙、正院、宇出津、曽良)、越中(氷見、伏木、方生津、生津)など17箇所に築造されました。
現在、石川県では、本吉(美川)、大野、寺中(金石)のお台場が復元され、特に金沢港に面し、からくり記念館にも近い大野お台場公園は、自然に恵まれ、遊歩道、北前船をイメージしたステージもあるなど、人気の憩いの公園となっています。
(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 下中邦彦編:小百科事典(初版)、平凡社(1973); 板垣英治:加賀藩の火薬 Ⅷ. 三州海岸の台場築造に関する調査・研究、日本海域研究 第44号別冊、p.23~38(2013).)加賀藩の火薬 Ⅸ. 17箇所の台場の規模と砲備の研究、日本海域研究 第44号別冊、p.39~55(2013).
(参考資料) ○ 大野お台場公園(おおのおだいばこうえん、施設紹介、大野、金沢市、石川県): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kanazawakouwan/p01e.html; きまっし金沢(金沢観光情報、金沢市): http://kimassi.net/daiba.html
○ 大野弁吉(幕末の科学技術者、加賀、石川)、からくり師弁吉、加賀の平賀源内(讃岐、香川)、からくり儀右衛門(久留米、福岡)の技術にも匹敵、大野お台場公園のお台場、とは(2011.8.27): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/201.html
○ 大野お台場公園 公園のお台場名の由来として、幕末期に外国船の来航に対する防御策として、徳川幕府の海防令により、1850年(嘉永3年)5月から、加賀藩が領有地の加賀、越中、能登の三州に火矢筒、大砲を備える17箇所の台場の築造に着手し、その中に大野お台場がありました。
加賀藩の三州のお台場として、加賀(本吉、大野、寺中、宮腰、畝田)、能登(今浜、福浦、黒島、輪島、狼煙、正院、宇出津、曽良)、越中(氷見、伏木、方生津、生津)など17箇所に築造されたという。現在、本吉((美川)、大野、寺中(金石)が復元して公園となっています。(板垣英治:加賀藩の火薬 Ⅷ. 三州海岸の台場築造に関する調査・研究、日本海域研究 第44号別冊、p.23~38(2013).)加賀藩の火薬 Ⅸ. 17箇所の台場の規模と砲備の研究、日本海域研究 第44号別冊、p.39~55(2013).)
○ 台場(だいば) 江戸末期に江戸湾(東京湾)品川沖に築かれた砲台。品川台場。お台場とも。黒船来襲に備えて1853年嘉永6年)から7砲台が築かれました。(下中邦彦編:小百科事典(初版)、平凡社(1973).)