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2014年10月 9日 (木)

手取川大洪水の遺跡、白峰百万貫の岩(白山麓、石川県の天然記念物)、手取川の氾濫を防いだ霞堤(かすみてい、辰口橋付近,、選奨土木遺産)、とは(2014.10.9)

○ 白峰百万貫の岩: 白山麓の手取川大洪水の置き土産(おきみやげ)!  

 1934年昭和9年7月10日から11日にかけて加賀地方を襲った集中豪雨手取川氾濫(はんらん)しました。加賀地方一帯に被害が及び、死者行方不明109名、家屋被害750戸等、未曾有(みぞう)の大水害となりました。

 手取川支流宮谷川からは土石流とともに大岩が3km離れた白峰の手取川まで流出しました。 大岩は「白峰百万貫の岩」と名付けられ、1995年(平成7年)の計測で高さ16m、重さ4839トン(129万貫)と判明しました。 2001年(平成13年)、大洪水の象徴として、石川県の天然記念物に指定されました。

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白峰百万貫の岩(県指定天然記念物 、白峰地内、白山市、石川県、Google画像) https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/siseki/ken3-17.html

○ 辰口橋付近の手取川霞堤(かすみてい): 手取川大洪水の氾濫を防ぐ先人達の手法!

 石川県下最大の河川である手取川は、白山(2702m)下、その豊かな水量から水力発電、農業用水、工業用水に利用されるなど、地域の暮らしに深く結びついています。が、急流河川のため、大洪水により人命や資産が失われた歴史があります。

 そこで、先人達は、大洪水から生命や財産を守るため霞堤(かすみてい、平面的に不連続な堤防)を築きました。 これは万一氾濫した場合、次の堤防でその流れを食い止め、氾濫流を本川に戻す役割を果たすものです。  

 この手取川霞堤は、扇状地上に築かれた前近代の治水技術を伝える貴重な土木遺産で、現在もその機能を有するとともに、見事な不連続堤を遺しています。というわけで、2012年(平成24年)度、選奨土木遺産(土木学会)選定されました。http://committees.jsce.or.jp/heritage/node/724

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手取川霞提(てどりがわかすみてい、辰口橋付近、70km、能美郡川北町~能美市、石川県、、Google画像

(参考資料) 

○ 手取川の霞堤(かすみてい、2012年(平成24年)度、選奨土木遺産認定、土木学会):http://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/mb2_jigyo/river/dobokuisan/dobokuisan.html; http://www.hrr.mlit.go.jp/press/2012/10/121004kanazawa.pdf

○ 百万貫の岩(ふるさと紹介コーナー、鶴来信用金庫、白山市、石川県): http://www.shinkin.co.jp/tsurugi/huru100/hu10030/hu10030.html

○ 百万貫の岩まつり(白山砂防、国土交通省 北陸地方整備局 金沢河川国道事務所 流域対策課、西念、金沢市、石川県): http://www.hrr.mlit.go.jp/kanazawa/hakusansabo/07osusume/event02.html

○ 梅雨明け(2011年7月9日、晩夏)、犀川の河川敷(桜田、金沢)のオギ(イネ科)の草刈り、手取川の川北大橋(川北、石川)道路法面の草刈り、手取川大洪水で運ばれた百万貫の岩、とは: http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/192.html

(追加説明)

〇 川北町と周辺の地名には、与九郎島、船場島、田子島、下田子島、中島、お隣の白山市にも、源平島、出合島、森島、漆島、島田、上島田、など、島の付いた地名が多い

 これは、この地域が水と闘ってきた歴史の表れという。川北町史編纂に携わる元教諭の高鍬敏之さん(87)によると、手取川が氾濫を繰り返した結果、島が時代ごとに場所を変えながら出来ては消えてきた結果だという。

 すなわち、川の流れが変わるたび、その時々で高かった場所に集落ができたが、そこは周りが水に囲まれた島のような場所であった。土砂が押し寄せ盛り上がった場所に人が避難して暮らす。その集落もやがて水没し。また次の島ができる。それが近世まで繰り返し、地名として残った。

 その原因として、川北町のあたりは地質がもろく、さらには大量の水が押し寄せる、水害に襲われやすい地形となっている。手取川扇状地の地盤は砂と泥でできており、地質がもろい。そこに流れ込む手取り川の源流は一般と比べ急勾配で水勢が激しく、水も旧鶴来町に向けて北、東、南の三方から集まる。これが暴れ川になる要因で、緩い地盤に大雨のほか雪解けや梅雨、台風のたび激流が押し寄せることになった。

 能美市手取川展示室によると、手取川は縄文中期には現在より北側の白山市内を流れていた。水害を繰り返しながらだんだん南下し、江戸初期に現在の流れに整備されたという。

 高鍬さんは、与九郎島は、与九郎という人が高台を開いた集落、舟場島は、船着き場があり、森島は、森があり安定して水害から逃れることができた、を意味し、島の前に付く言葉からも、各地の特徴が見て取れる地名の付け方だという。(2017年(平成29年)1月17日(火)、北陸中日新聞、朝刊より)

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