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2014年11月の13件の記事

2014年11月27日 (木)

冬景色(11月27日)、県庁西近くの庭園の散策路、北敷地内の日本庭園の遊歩道で見かけたヤツデ、サザンカ、ヤブツバキの花咲く風景、また、太陽光と風力による自然エネルギー照明システムの景観、とは(2014.11.27)

 今日(11月27日)午後、金沢の空も晴れてきたので、県庁西近くの庭園の散策路、歴史の径、おもいでの森など、また、北敷地内の日本庭園の遊歩道を散歩しました。

 その途中、冬の花木、ヤツデ、サザンカ、ヤブツバキなどの花咲く風景、また、太陽光と風力による自然エネルギー照明システムの景観を目にしたので、その光景をデジカメに収めました。

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県庁近くの庭園の散策路で見かけたヤツデ(八手、ウコギ科)、サザンカ(山茶花、ツバキ科)、ヤブツバキ(藪椿、ツバキ科)などの花咲く風景、また、太陽光と風力による自然エネルギー照明システムの景観、歴史の径、おもいでの森、鞍月、金沢市、石川県、2014年11月27日撮影)

(参考資料) 〇 冬の季節(11月24日)、石川県庁や近くの石川県工業試験場の生垣、狭い外庭で目にした、冬支度の雪吊り、また、カンツバキ(寒椿)の花咲く風景、とは(2014.11.26): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-f894.html

 

2014年11月26日 (水)

冬の季節(11月24日)、近くの県庁や工業試験場の周辺で目にした、冬支度の雪吊り、また、カンツバキ(寒椿)の花咲く風景、とは(2014.11.26)

 北陸地方は、先日(11月24日)、好天気に恵まれ、金沢も朝方から、快晴となりました。そこで、久しぶりに、近くの県庁や工業試験場の周辺を散策し、冬支度の雪吊り(ゆきづり)、また、カンツバキ寒椿)の花咲く風景をデジカメに収めました。

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雪吊り(ゆきづり、鞍月、金沢市、石川県、2014年11月24日撮影)

(解説) 北陸の雪は水分を多く含むため、樹木の葉の上に積もりやすく、枝折れの害を起こしやすい。また、低木では、降り積もる雪に押しつぶされ、変形します。これを防ぐ方法として、各種の雪吊り(ゆきずり)があります。

  
 ここでは、マツ(松)の幹吊り(樹木の幹から縄を張る)、また、生垣のツツジなど、竹又吊り(三つ叉、四つ又吊りとも、竹を立てて縄を張る)が見られます。

〇 カンツバキ(寒椿、ツバキ科)

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カンツバキ(寒椿、ツバキ科、鞍月、金沢市、石川県、2014年11月24日撮影)

(解説) カンツバキ(寒椿)は、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花)の交雑種で、冬に紅色八重の花が咲き、多くの園芸種があります。なお、カンツバキとサザンカの花びらは、1枚ずつばらばらに散ります。が、ふつうのツバキの花びらは、丸ごと地面に落ちます。

(参考資料) ○ 雪吊り(ゆきづり)、庭木のマツなどのりんご吊り、街路樹のヒラドツツジなどの竹又吊りと竹ばさみ、とは(2013.12.12): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c3ae.html

2014年11月24日 (月)

おでん(御田)、室町時代、こんにゃく、焼き豆腐、やつがらし(里いも)などの材料を竹串にさして焼いて味噌をつける田楽(でんがく、焼田楽とも)、江戸時代、現在のような醤油味で長時間煮る煮込おでん(煮込田楽)、とは(2014.11.24)

 

 おでん(御田)とは、広辞苑によると、 室町時代、こんにゃく、焼き豆腐、やつがらし(里いも)などの材料を串(くし)にさして焼いて、味噌(みそ)をつける田楽(でんがく)でしたが、江戸末期、煮込んでから味噌をつける味噌おでんができ、さらに醤油味で長時間煮る煮込おでんとなりました。

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おでん(御田、江戸時代、煮物料理の一種、ウィキペディア、Google画像)

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(解説) おでんは、 室町時代(1338~1573)、食材を竹串にさして焼いて味噌をつける田楽(焼田楽ともができ、江戸時代(1603~1868)の終わりころ現在のような醤油味(しょうゆあじ)で長時間煮る煮込おでん(煮込田楽とも)となりました。おでんは、当時、おでん燗酒(かんざけ、加熱した酒)の看板をかかげた盛り場の屋台店で売られていました。 なお、おでんにつく、からし(辛子)には、強力な殺菌作用があります。

 おでん材料には、とうふ(豆腐)、ダイコン(大根)、こんにゃく(蒟蒻)、はんぺん(半片)、やつがしら(八頭、九面芋とも、サトイモの一品種)、つみれ(摘入、魚のすり身に卵、小麦粉、塩などを加えてすり合わせ、少しずつ摘み取り、丸めてゆでたもの)、ちくわ(竹輪)、ゆで卵、また、キャベツ巻エビ巻、などがあります。

 おでんは、もともと、江戸発達したものですが、大正時代(1912~1925)の中ごろ関西に入り、関東煮、または、関東だきの名で親しまれるようになりました。が、関東では次第に衰退し、1923年(大正12年)の関東大震災以降、関東だきの手法が関西から逆輸入されました。

 現代では、1979年(昭和54年)、はじめて、コンビニセブンーイレブンが、電熱式の鍋を用いて、おでん煮売りを発売し、2011年(平成23年)には、年間2億7700万個のおでんを販売しました。また、おでんは、屋台、居酒屋、レストラン、家庭料理などでも定番メニューとなっています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修:生活歳時記(第版)、p.667 おでん、三宝出版(1994).

(参考資料) ○ おでん(御田煮物料理の一種、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%82%93

〇 おでん御田、Google画像): https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%82%93(%E5%BE%A1%E7%94%B0%EF%BC%89&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=asJyVL_DFOKxmAWtxYLIBw&ved=0CAkQ_AUoAg&biw=1366&bih=588

2014年11月22日 (土)

おにぎり(御握り)、弥生時代に伝来した、ジャポニカ型(うるち米)のご飯を手で三角形、俵形、丸形、円盤形などに握って食べる、日本独自の食文化、日本各地の地方色豊かなおにぎり、とは(2014.11.22)

 おにぎり御握り)は、広辞苑には、婦人語のにぎりめし握り飯)、おむすび御結び)、とあります。これは、うるち米のご飯を手で握って冷めたまま食べる、日本独自の食文化、と言われています。

 それは、弥生時代(約2000年前)、伝来したイネ(稲)が、コメ(米)に水を加えて加熱すると、適度な粘りを持ち、成形しやすく、冷めてもおいしい、ジャポニカ型うるち米!)であったこと、また、平安時代、コメ(米)をふっくらと炊き上げる炊飯技法はじめチョロチョロ、中パッパッ、赤子泣いても蓋とるな!)が、日本で独自に誕生したことに起因すると考えられています。

○ おにぎりの歴史

 弥生時代、最古おにぎりとして、チマキ状炭化したコメ(米)が鹿西町(ろくせいまち、のち中能登町、石川県)の杉谷チャノバタケ遺跡出土しています。このチマキ状炭化米塊は、神様へのお供えもの魔除け(まよけ)もの、と考えられています。

 平安時代、貴族の宴(うたげ)では、待機しているお供、身分の低い人々に屯食(とんじき)、包飯(つつみいい)などがふるまわれました。これは、強飯(こわめし)を握りかためて細長い卵形にしたもので、味付けはなかったという。

 戦国時代、ご飯を握るだけの手早さと、食べる際に箸も器もいらない手軽さは、戦いに向かう兵士の携行食(弁当!)として活用されました。

 江戸時代、現在と同じような、銀シャリ(白米)と海苔(のり)で作ったおにぎりが普及し、江戸の町民の間で食べられるようになりました。喜田川守貞(1810~?)著、守貞謾稿(もりさだまんこう、近世風俗志)に、(てのひら)に塩水を付けて、これをる、また、京坂俵形に制し、黒胡麻(くろごま)を少し撒(ま)くものあり、とあります。

 現代では、1978年(昭和53年)、はじめてコンビニ、セブンーイレブンおにぎり発売し、2013年(平成26年)には、年間で約150種、約19億個のおにぎりを販売しました。その中には、キャラ弁(キャラクターを盛り込んだおにぎり)、また、表情豊かなパンダおにぎりなどが登場しました。

〇 おにぎりと塩

  ご飯は、手にをまぶして握るだけで、非常においしくなります。これは、ご飯のようなカリウムの多い食品に、ナトリウム、つまり塩を加えると、体のバランスがよくなる、とも考えられます。は今よりもっとカリウムの多い植物性の食品を多く食べ、汗を流してナトリウムを失っていたので、体がナトリウム不足に敏感であったためかも知れません。 

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○ おにぎりの形と具

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おにぎりの形三角、俵(たわら)、丸(ボール)、お天気レシピカレンダー、いであ株式会社、Google画像): http://prev.www.bioweather.net/recipe/0704n/0704n_index_r1.htm

(解説) おにぎりカタチ(形)は、三角主流で、これは運搬に適していたり、明治期の国定教科書のサルカニ合戦の挿絵で、カニ(蟹)が持つおにぎりが三角形だったため、全国的に三角おにぎりが広がったとされています。また、関西では九州ではボール)東北では円盤形が見られます。

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おにぎり具入り海苔(のり)巻き、ウィキペディア、Google画像)

(解説) 具材(ぐざい)は、(さけ)、梅干し明太子(めんたいこ)、ツナ(マグロ缶)、昆布(こんぶ)、鰹節おかか、とも)、たらこ、などが定番となっています。

 梅干しを含む日の丸弁当というのは、主食は99%がコメ米)で、副食は梅干し一つだけで、栄養学的には、低カロリーです。が、この一粒の梅干アルカリ性食品)は、胃の中に入るとすぐ、99%のコメ(米、酸性食品)の酸性を中和し、食べたコメ(米)のほとんどが吸収されるので、労働のための理想食となります。

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日本各地のおにぎりふるさとおにぎり紀行、北陸中日新聞、Google画像)

(解説) 現在、日本各地おにぎりには、バター焼きおにぎり(北海道)、だまこ鍋(団子状のごはん含む、秋田県)、みそ焼きおにぎり(宮城県)、弁慶めし(山形県)、五目おにぎりの笹巻き(福島県)、けんさ焼きおにぎり(新潟県)、朴葉(ほおば)めし(富山県)、とろろ昆布おにぎり(富山県)のほか、

花豆入りおこわおにぎり(群馬県)、百万遍おにぎり(山梨県)、天むす(愛知県)、めはりずし(漬物でくるんだおにぎり、三重県)、黒豆ごはんおにぎり(兵庫県)、わかめおのぎり(山口県)、ごっくうさん(円すい形のおにぎり、佐賀県)、とうきび飯のおにぎり(宮崎県)、ジューシーおにぎり(たきこみご飯のおにぎり、沖縄県)など、地方色豊かなおにぎりが登場し、販売されています。

(参考文献) 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 北陸中日新聞: ふるさとおにぎり紀行、こころも満たすおにぎり、世界と日本、大図解シリーズ、No.1169、2014年10月19日(日)朝刊.

(参考資料) ○ 杉谷チャバタケ遺跡日本最古のおにぎりチマキ状炭化米塊中能登の遺跡、石川県): http://mj-ktmr2.digi2.jp/p17nt/pnt17407chabatake.htm

○ おにぎり(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%8A

○ おにぎり(Google画像):  https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%8A%E3%81%AB%E3%81%8E%E3%82%8A%EF%BC%88%E5%BE%A1%E6%8F%A1%E3%82%8A&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=9ilvVKilGaS8mQXFs4HwDA&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1366&bih=588

○ イネ(稲)にまつわる歴史伝承、イネの起源、分類と品種、米の栄養成分、イネの生育と栽培、病虫害、収穫、米の生産と流通、とは(2011.6.17): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/184.html

○ イネ(稲)のデンプン(多糖類、堅さ、粘り、甘さ、ヨウ素との反応)、モチ米とウルチ米の加工食品(米のアミロースは堅さ、アミロペクチンは粘り、うまさ)、農業カレンダー、天皇陛下がもみまき、とは(2012.4.1): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/239.html

○ 塩(食塩とも)、おにぎりと塩、スイカと塩、家畜の草食動物(牛、馬)と塩、塩の主成分(塩化ナトリウム)の働き、塩の清めの役目、忠臣蔵の発端は塩をめぐる商業利権、とは(2012.5.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/250.htmll

○ 梅干(うめぼし)、烏梅(うばい)と梅エキスの薬用効果、日の丸弁当という合理的な食品、とは(2013.1.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-8aa6.html

2014年11月19日 (水)

坂網猟(さかあみりょう)、片野鴨池(加賀市、石川県)周辺、江戸時代から伝わる、投網(とあみ)によるカモ(鴨)猟、代表的な郷土料理、カモ(鴨)肉を使った治部煮(じぶに)、とは(2014.11.19)

 坂網猟(さかあみりょう)は、投網(とあみ)によるカモ(鴨です。江戸時代から300年余り、冬場の今も、片野鴨池(かたのかもいけ、ラムサール条約登録、加賀市、石川県)周辺で行われています。 江戸の元禄年間、大聖寺藩主が、武士の心身の鍛錬として、坂網猟を奨励したことから、多くの藩士がこれを行っていました。

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坂網猟(さかあみりょう、投網(とあみ)によるカモ(鴨)猟、加賀市鴨池坂網猟保存会、加賀市、石川県、Google画像)

(解説) 坂網猟(さかあみりょう)は、石川県民俗文化財に指定された伝統猟法です。夕暮れの時、鴨池の周辺の高台に潜み、カモ(鴨)が近くの水田へ落穂などの餌を求めて池を飛び立ち、周囲の丘を飛び越える15~20分ほどの時間に、長さ3.5mほどのY字形の網を、10m近く投げ上げ捕えます。 

 坂網猟は、冬の間、3ヶ月間(11月15日解禁)、300羽ほど、空腹のカモ(鴨)を捕えるため臭みがなく、高級食材 坂網鴨(さかあみがも)として、市内の料理店で提供されています。 カモ(鴨)を使った代表的な郷土料理には江戸時代、加賀藩の頃から伝わる、治部煮(じぶに)があります。

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治部煮(じぶに、 代表的な郷土料理、金沢市、石川県、Google画像)

(解説) 石川県の郷土料理、治部煮(じぶに)には、カモ鴨)肉鶏肉の切り身、片栗粉(ふ)やせりなどの野菜、薬味としてわさびなどが使われています。

(参考文献) 北陸中日新聞: カモン! 瞬間勝負 加賀で「坂網猟」、2014年(平成26年)11月16日(日)、北陸中日新聞朝刊: http://www.chunichi.co.jp/hokuriku/article/news/CK2014111602100006.html

(参考資料) ○ 片野鴨池(加賀市、石川県): http://www.jawgp.org/anet/jp012ja.htm

○ 江戸時代から続く伝統的鴨猟(坂網猟、YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=WLk9kxJxeJc

○ 坂網猟(Google画像): https://www.google.co.jp/search?q=%E5%9D%82%E7%B6%B2%E7%8C%9F&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=ADhsVIjLCKWMmwWO14CgCg&ved=0CC8QsAQ&biw=1366&bih=588

○ 治部煮(じぶに、ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E9%83%A8%E7%85%AE

○ 郷土料理百選(中部の郷土料理レシピ一覧、石川県含む): http://www.rdpc.or.jp/kyoudoryouri100/recipe/area/3.

○ 無形文化遺産、和食(わしょく)、一汁三菜(もと鎌倉時代、禅寺の献立)、味の分類(西洋四味、中国五味、日本六味)、日本特有のうま味、アスペルギルス・オリゼ(日本こうじカビ)と調味料(しょうゆ、みそ、みりん)、日本の郷土料理、とは(2013.12.18):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-3785.html

(追加説明) ○ カモ猟富山県、石川県、宮崎県、宮内庁、全国各地の伝統鴨猟NAVERまとめ): http://matome.naver.jp/odai/2133027058896231701

○ 霞網(かすみあみ)は、谷切網、雉網、兎網などと並ぶ張り網の一種です。目に見えないほどの細い糸で作り、垂直に高く張って小鳥を捕える網で、高さ2~3間、横が4~5間が多い。小鳥が渡来する秋に多く用いたが、現在では禁止されています。

かすみ網(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%BF%E7%B6%B2

(追加説明)

 ふゆみずたんぼは、冬場は乾燥させることが多い田んぼに水をたたえ、マガモやトモエガモなど、貴重な鳥が収穫時に落ちた穂をついばめる、餌場を守ります。片野町の鴨池観察館と下福田町の住民有志が協力し、2004年(平成16年)から、餌場をつくる試みが始められています。

2014年11月17日 (月)

NHK連続テレビ小説 マッサン(竹鶴政孝、ニッカウイスキーの創業者)とリタ(スコットランド人)夫妻、 お二人を結びつけた歌、蛍の光(スコットランド民謡、楽しかった昔)、マッサン主題歌、麦の唄(中島みゆき)、とは(2014.11.17)

 

 最近、NHK連続テレビ小説マッサン(日本のウイスキーの父、竹鶴政孝、ニッカウイスキーの創業者)とスコットランド人、ジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)夫妻の物語が人気番組となっています。

 竹鶴政孝(たけつるまさたか、ニッカウイスキーの創業者)は、ウイスキーづくりを学ぶため、1918年(大正7年)、日英同盟下のスコットランドに単身で渡り、グラスゴー大学で醸造学を学びました。

 スコットランドウィスキーは、大麦のデンプンを麦芽糖化し、その液を酵母アルコール発酵させ、単式蒸留器で2回蒸留し、オーク樽(たる)で最低3年間は貯蔵し、熟成したものです。その工程中、麦芽乾燥させるのにピート(泥炭)を用いるので、独特の燻臭(くんしゅう)がつきます。 

 1919年の夏、グラスゴー北東の小さな町、カーテンテイロフ、に住むスコットランド人一家、カウン家を、この家の末弟に柔術を教えるために訪れました。そこで出会ったのが、教え子の姉にあたるジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)でした。

 あるとき、リタが、スコットランド民謡で、歌詞がロバート・バーンズのオールド・ラング・サインの歌日本では蛍の光の曲を、(つづみ)を持っている政孝に、自分のピアノ合奏しないかと誘い、これがきっかけに2人は親しくなりました。

 蛍の光は、もとスコットランド民謡で、スコットランドの愛国詩人、ロバート・バーンズ(1759~1796)作詞楽しかった昔Auld Lang Syne)という歌です。 その歌詞、古い友人同士が懐かしい想い出をしのび、変わらぬ付き合いを喜び、長い付き合いを祈って杯をかわそう、といった内容です。 日本別れの歌卒業の歌)として定着するのは、明治半ば以降でした。

 1920年1月、2人は周囲の反対を押し切り、グラスゴーで結婚の宣誓をし、同11月、夫婦として横浜に着きました。日本に戻った政孝はウイスキー一筋、リタは生涯寄り添いました。

 ドラマの主題歌麦の唄は、お二人の人生、夫婦愛を、「なつかしい人々 なつかし風景 その総てと離れても あなたと歩きたい 嵐吹く大地も 嵐吹く時代も 陽射しを見上げるように あなたを見つめたい 麦に翼はなくても 歌に翼があるなら 伝えておくれ故郷へ ここで生きてゆくと 麦は泣き、麦は咲き 明日(あした)へ育っていく」、と壮大な前向きの人生として、中島みゆきさわやかに、力強く、歌い上げています。 

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○ 朝ドラ マッサン(日本のウイスキーの父竹鶴政孝、ニッカウイスキーの創業者)

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竹鶴政孝(たけつるまさたか、1894~1979、ニッカウイスキーの創業者)、 ジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)夫妻Google 画像

(解説) 日本のウイスキーの父といわれる、竹鶴政孝(たけつるまさたか、1894~1979、ニッカウイスキーの創業者)は、ウイスキーづくりを学ぶため、1918年(大正7年)、日英同盟下のスコットランドに単身で渡り、グラスゴー大学で醸造学を学びました。

 1919年の夏、グラスゴー北東の小さな町、カーテンテイロフ、に住むスコットランド人一家、カウン家を、この家の末弟に柔術を教えるために訪れました。そこで出会ったのが、教え子の姉にあたるジェシー・ロバータ・カウン(通称リタ)でした。

 あるとき、リタが、スコットランド民謡で、歌詞がロバート・バーンズのオールド・ラング・サインの歌日本では蛍の光の曲を、鼓を持っている政孝に、自分のピアノと合奏しないかと誘い、これをきっかけに2人は親しくなりました。

 1920年1月、2人は周囲の反対を押し切り、グラスゴーで結婚の宣誓をし、同11月、夫婦として横浜に着きました。日本に戻った政孝はウイスキー一筋、リタは生涯寄り添いました。

 2人には子供がいなかったので、甥(旧姓宮野)から養子を迎えました。その人こそ、ニッカウイスキー相談役の竹鶴威(たけつるたけし、1924~ )さんです。現在、リタさんの生まれ故郷の町、カーキンテレッホ(カーテンテイロフの呼び名)には何もないよ。もうリタさんの屋敷の跡形もない、とのことです。

 竹鶴威(たけつるたけし、1924~ 、元ニッカーウイスキー社長 )さんは、2014年12月17日、老衰で死去されました。享年90歳。広島県出身。北大卒業後、ニッカウィスキー入社。政孝氏に続き、ウイスキーの味を決める「マスターブレンダー」に就任。2番目の工場、宮城峡蒸溜所(仙台市)を建設しました。海外でも人気のウイスキーを発売し、海外展開の礎を築きました。ご冥福をお祈りいたします。(2014年12月25日、北陸中日新聞朝刊より)

(参考文献) 朝日新聞(be on Saturday、Song): 世界の人が聞き覚えた スコットランド民謡「蛍の光」、2009年(平成21年)12月26日(土)、朝日新聞、朝刊より); 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).

(参考資料) 〇 マッサンとリタの物語(80周年記念、NIKKA WHISKY): http://www.nikka.com/world/sticking/taketsuru/history/index.html.

〇 竹鶴政孝(たけつるまさたか、1894~1979、ウィキペディア) :http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E9%B6%B4%E6%94%BF%E5%AD%9D

○ スコットランド民謡(世界の民謡・童謡、蛍の光含む、Worldfolksong. com):  http://www.worldfolksong.com/songbook/others/scot_index.html.

〇 麦の唄(NHK連続テレビ小説、マッサン主題歌中島みゆき、YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=cjJfJg1u_Vo

〇 麦の唄歌詞中島みゆきうたまっぷ.com): http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-141029-198

○ 卒業の歌(日本、欧米の曲に日本語の歌詞をつけた唱歌)の原曲、蛍の光(スコットランド民謡、楽しかった昔)、仰げば尊し(米国、卒業の歌)、旅立ちの日に、さくら、翼をください、とは(2011.10.1): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-1506.html

(追加説明) 〇  スコッチとは、スコッチウイスキーの略で、本来はスコットランド北部のハイランズ地方産のモルトウィスキーのことで、大麦麦芽のみを原料とし、麦芽糖化液を発酵させ、単式蒸留器で2回蒸留して長年貯蔵したものです。その工程中、麦芽を乾燥させるのにピート(泥炭)を用いるので、独特の燻臭(くんしゅう)がつきます。

  モルトウィスキーは大麦麦芽のみを原料としたもので、単式蒸留器で2回蒸留します。その工程中、麦芽を乾燥させるのにピート(泥炭)を用いるので、独特の燻臭(くんしゅう)がつきます。

 が、現在、世界に出回っているスコッチは、このモルトウィスキーとグレーンウィスキーをブレンド(調合)しカシだる中で熟成したもので、英国のウィスキーの意で、また、日本のウィスキーは、本格ウィスキーにアルコール類を混じた、コンパウンドウィスキーが多い。

 グレーンウィスキーの原料は大麦麦芽に、ライ麦、大麦、トウモロコシなどを加えたもので、連続式蒸留器で蒸留する。モルトに比してアルコール分高く、熟成も短くてすむが香味に乏しい。

 ということで、一般に、ウィスキーは、大麦・ライ麦・トウモロコシなどを麦芽で糖化し、酵母を加えて発酵させ、蒸留した酒。樫樽(カシだる)や楢樽(ナラだる)に、数年以上貯蔵して熟成する。 

 麦芽は、大麦を発芽させたもので、多量のアミラーゼを含み、ビール・水飴の製造に用います。 アミラーゼは酵素の一つで、澱粉を液化・糖化してグルコースを生じます。麦芽中のものは、ジアスターゼの名で市販されています。

 麦芽糖は、麦芽を澱粉に作用させて生ずる二糖類の一つ、白色針状の結晶で、水に溶けやすく、希硫酸と煮れば、加水分解して葡萄糖となります。

 酵母(こうぼ、イーストとも)は、アルコール発酵を営む菌類の一群で、円形もしくは楕円形の微細な単細胞であり、出芽で繁殖するもの総称で、子嚢菌類のサッカロミセスが主体です。酒の醸造やパン製造に欠かせない。 

 酒税法では、特級は原酒(本格ウィスキー)20%以上、アルコール分43%以上。1級は原酒10~20%以上、アルコール分40~43%。2級は原酒10%未満、アルコール分40%以下をいう。

(追加音楽) ○ 泣いてもいいんだよ (作詞、作曲、唄、中島みゆき、YouTube):http://www.uta-net.com/movie/172791/

 

2014年11月15日 (土)

加賀藩の火薬生産、土清水塩硝蔵跡、黒色火薬の原材料は、越中五箇山の塩硝(えんしょう、 硝石、塩化カリウムとも)、越中立山地獄谷の硫黄(いおう)、麻木の木炭の3つで、加賀土清水の辰巳用水の水車の力で粉砕し、水練り、切り出し、乾燥などの工程を経て製造されていた、とは(2014.11.15)

  江戸時代、加賀藩では、火縄銃黒色火薬金沢城から南西に約4.5km離れた、土清水塩硝蔵跡(つっちょうずえんしょうぐらあと、涌波町、金沢)で製造されていました。

 現在、火薬作り中枢(ちゅうすう)であった搗蔵(つきくら)が確認されています。それらの建物の位置は、江戸初期のころ、金沢城内や現在の小立野付近でしたが、たび重なる大火事で、1658年(万治元年)、その場所に移されたと言う。

 黒色火薬は、原材料の塩硝(硝石、塩化カリウム、とも )、硫黄、木炭調合したものです。このうち塩硝は、越中五箇山で生産され、加賀藩の管理下で、塩硝箱に詰められ、牛馬により山越えの塩硝街道(40km)を通り、金沢城下まで運ばれていました。 

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 土清水塩硝蔵跡辰巳用水 附、国史跡、涌波町、金沢市、石川県) 

(解説) 2013年(平成25年)3月27日、金沢市涌波町の加賀藩火薬製造所土清水薬合所跡が、文科省より国指定歴史遺跡指定され、石碑と説明の案内板が市道沿いに設置されました。

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岩瀬家(五箇山、西赤尾、合掌造りの家、南砺市、富山、google画像より)

(解説) 1570年(元亀元年)、戦国時代の頃より、越中五箇山(平村、上平村、利賀村の一帯)では、農民の副業として、従来の古土法(奈良時代、中国より伝来、床下の古い土より硝酸塩を抽出)より大量生産できる培養法を用いた塩硝生産されていました。現在、五箇山村上家岩瀬家には、塩硝土の培養に使われた穴跡や塩硝製造に用いられた道具(桶、鍋、釜、ザル)及び塩硝標本が当時の製紙、生活用具と共に展示されています。

○ 塩硝製造法(培養法)は、合掌造りの家床下(1.8~3.6m四方、深さ2m、すり鉢型)を掘り、麻畑土、干し草(ヨモギ、サクという山草など)、蚕糞、人馬の尿などを混ぜて積み、糞尿中のアンモニアを土壌中の硝化細菌(アンモニア酸化菌、亜硝酸酸化菌など)により硝酸イオンに酸化します。

 約5年培養後、土桶(つちおけ)を用いて、培養土(塩硝土から水で抽出された液(硝酸カルシウム含む)を木灰(炭酸カリウム含む)と混ぜ、平釜に移して煮ると、熱水に溶けやすい硝酸カリウム(溶液)と溶けにくい炭酸カルシウム(沈殿)に分離されます。その後、放冷すると、冷水に溶けにくい硝酸カリウムの純粋な結晶が得られました。この中煮塩硝(なかにえんしょう)をさらに鉄鍋で再結晶し、上質の上煮塩硝(うわにえんしょう、白色柱状結晶)を得ました。

 黒色火薬の生産

 黒色火薬は、原材料の塩硝(硝石、塩化カリウムとも)、硫黄、木炭調合してつくられました。このうち塩硝越中五箇山で生産されていました。硫黄越中立山地獄谷採取し、滑川で精製された後、加賀の土清水塩硝蔵まで運ばれました。木炭は土清水塩硝蔵内の木灰所という施設で、原木として麻木を用いて生産されていました。

 これらの原材料は、搗蔵(つきくら)内に引き込んだ辰巳用水の水流で回した水車の力で粉砕にした後、調合所にて調合され、その後、水練り、切り出し、乾燥という工程を経て黒色火薬へと加工されていました。

 土清水塩硝蔵跡は、黒色火薬の原材料の貯蔵から火薬への加工、そして製品貯蔵搬出までを行う大規模施設であったということができます。 

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塩硝(えんしょう、煙硝硝酸カリウムとも、長さ約4cmの無色斜方晶形結晶、沢村保昌先生(三重大名誉教授)より里見信生先生(金沢大講師、のち教授)に寄贈された伊賀(三重)忍者が使っていた煙硝を譲り受けたもの、五箇山産か? 2014年3月、石川県立自然史資料館へ寄贈) 

(解説) 塩硝(えんしょう、焔硝、煙硝とも)は、硝酸カリウム(天然鉱物は硝石)のことで、黒色火薬硝酸カリウム、木炭粉末、硫黄の混合物煙火薬とも)において、酸化剤の働きをする、最も重要な成分です。

 五箇山では、江戸時代、最盛期の1865年(慶応元年)ころ、年間39トンもの塩硝が生産され、加賀藩に買い上げられています。当時、その質、量は、共に日本一の座にあったと言われています

 明治時代に入り、チリ硝石ドイツ火薬が大量に輸入されるようになると、1870年(明治3年)には買い上げが停止され、五箇山塩硝は、約300年の歴史を残して急速に衰退しました。  

(参考文献) 加賀藩における塩硝の生産について: 金沢市都市政策局歴史文化部文化財保護課編集・発行パンフレット; 2013年6月17日、金沢大学名誉教授、板垣英治先生より、国史跡 辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡(たつみようすい つけたり つっちょうずえんしょうぐらあと、涌波町、金沢) に関する写真と関連パンフレットコピーの提供を受けました。

(参考資料) ○ 五箇山(加賀藩の流刑地)にまつわる歴史秘話、加賀騒動(大槻伝蔵)、塩硝(培養法)、合掌造り(白川郷)、国史跡・辰巳用水附土清水塩硝蔵跡(金沢)、とは(2010.1.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/45.html

 辰巳用水附土清水塩硝蔵跡(金沢市の文化財と歴史遺産、金沢市): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/tatsumiyousui.html

○ 五箇山(流刑小屋、 南砺市、富山、google画像より): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%BA%94%E7%AE%87%E5%B1%B1%20%E6%B5%81%E5%88%91%E5%B0%8F%E5%B1%8B&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

 五箇山(小さな世界遺産の村、上平、南砺市、富山): http://www.gokayama.jp/meguri/midokoro.html

○ 五箇山から涌波(金沢)まで(塩硝の道を訪ねて、土清水、涌波、小立野、金沢、石川): http://www.spacelan.ne.jp/~sakiur-k/ensho1.html

2014年11月13日 (木)

金沢城の惣構え(そうがまえ、総構とも)、城と城下町を堀と土居で囲む城郭構造とつながりの深い、辰巳用水、鞍月用水、とは(2014.11.13)

 惣構え(そうがまえ、総構とも)は、江戸時代、城と城下町の外回りを堀や石垣、土塁などで囲む、城郭構造です。金沢城惣構は、渦郭式(かていしき)のを中心とした城下町を囲む(ほり)や、堀の城側を土で盛り上げた土居(どい)など、外敵から城を守る防御構造となっています。

 金沢城下町には、1599年(慶長4年)に内惣構、また、1610年(慶長15年)に外惣構が造られ、これらが二重に城を囲んでいます。造成時のは深いところで約5メートル、土居は堀底から最大9メートルの高さであったという。明治になると、大部分の土居は堀の埋土となり、多くの道路や小さな用水となりました。

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辰巳用水(たつみようすい、兼六園の上流、土清水町近く、2005年7月11日撮影)

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辰巳用水(たつみようすい、金沢市役所前近く、 2007年5月24日撮影)

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鞍月用水(くらつきようすい、せせらぎ通り商店街、長町近く、SHOP LIST、 Google画像、http://seseragi-st.com/about_seseragi_st.html

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鞍月用水のせせらぎ(金沢駅通り、JR金沢駅東口前近く、 2014年11月4日撮影)

(解説) 現在、金沢の用水は、全部で55と数多く、市街を網の目のように流れています。その長さは、全部合わせると約150kmになり、庭園、生活、農業、工業、防火などの用水として利用されています。その代表的な用水に、金沢中心街を流れる辰巳用水(たつみようすい)や鞍月用水(くらつきようすい)があります。また、JR金沢駅東口前には、鞍月用水のせせらぎが見られます。

 ○ 辰巳用水は、犀川(上辰巳町、崖下の東岩近く)を水源(取水口)とし、1639年(寛永16年)代に造られ、小立野台地を流れ、兼六園の霞ヶ池から金沢城内外の堀の水を供給していました。現在、兼六園から流れ出た後、市役所の近くで、別の方向から流れてきた鞍月用水と合流しています。

○ 鞍月用水は、また犀川(城南2丁目、上菊橋の上流右岸近く油瀬木の堰)水源(取水口)とし、金沢の繁華街、香林坊の地区を流れ、金沢駅西の付近で大野庄用水と合流しています。水量は豊富で、防火消雪などに使われています。 

 名前由来は、鎌倉から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいてます。金沢中心街の大通りで用水は暗渠(あんきょ)となり、再び顔を出すのは武家屋敷のある長町のせせらぎ通り商店街の近くです。 また、金沢駅通りのJR金沢駅東口前には、鞍月用水のせせらぎが見られます。

(参考文献) 北陸中日新聞: 旅 用水かいわい散歩、金沢市、先人の”遺産”大切に、2014年(平成26年)10月3日(金)夕刊.

(参考資料) 〇 金沢城惣構跡そうがまえあといいねっと金沢、金沢市、石川県): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/sougameato.html.

〇 金沢城 城郭 惣構え(Google画像): https://www.google.co.jp/search?q=%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%9F%8E%E3%80%80%E5%9F%8E%E9%83%AD%E3%80%80%E6%83%A3%E6%A7%8B%E3%81%88&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mJhkVLymIsSumAXTzYCoDA&ved=0CB4QsAQ&biw=1366&bih=588

○ 金沢の用水(用水の保全、金沢の用水網、いいね金沢、金沢市): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11107/keikan/yousui/yo_map.html

○ 金沢の代表的な用水(辰巳用水、鞍月用水、大野庄用水、まちなみ景観、いいねキッズ、金沢市、石川県) http://www4.city.kanazawa.lg.jp/kids/01/keikan/yousui.html

(追加説明) 〇 江戸城(東京)の惣構え(そうがまえ、総構とも)にまつわる歴史実話、渦郭式、四神相応、東照大権現、とは(2009.9.23): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/32.html

 江戸城渦郭式(かていしき、螺旋式、らせんしき、とも)の城郭は、金沢城にも見られ、西洋建築影響とも考えられています。 1599年(慶長4年)、高山右近(たかやまうこん、もと高槻城主、キリシタン大名、前田利家の客将、26年在)が、金沢城の築城に関与しています。この頃は、ヨーロッパ(ルネサンス都市、イタリア)では螺旋状のデザインが大流行していました。この手法を高山右近、1552年?(天文21年?)~1615年(慶弔20年)が金沢城に、また藤堂高虎江戸城応用した可能性があります。

 

2014年11月10日 (月)

晩秋(11月4日)、兼六園下の石浦神社、旧石川県庁、香林坊付近、金沢駅などの夜景、イルミネーションの光景、とは(2014.11.10)

 先日(11月4日)午後5時ころ、晩秋の兼六園の光景を観賞していましたが、あたりは次第に暗くなり、無料開放も終了となりました。そこで、庭園の噴水前から蓮池門跡に出て、すぐ下の石浦神社から旧石川県庁、香林坊まで、夜景、イルミネーションの光景など眺めながら歩きました。その後、北鉄バスに乗って帰りましたが、その途中、それらの光景をデジカメに収めました。

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晩秋(11月4日、兼六園下の石浦神社、旧石川県庁本館(行政庁舎、現石川県政記念 しいのき迎賓館)、香林坊付近、金沢駅などの夜景、イルミネーションの光景、2014年11月4日撮影)

(参考資料) ○ 晩秋(11月4日)、金沢城の大手堀、正門の河北門と裏門の石川門、白鳥路傍の池の錦鯉、兼六園の紅葉と雪吊りの光景、とは(2014.11.7): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-e7c3.html

○ 旧石川県庁舎本館(現石川県政記念 しいのき迎賓館、広坂、金沢市、石川県): http://www.shiinoki-geihinkan.jp/about/

2014年11月 7日 (金)

晩秋(11月4日)、金沢城の大手堀、正門の河北門と裏門の石川門、白鳥路傍の池の錦鯉、兼六園の紅葉と雪吊りの光景、とは(2014.11.7)

  先日(11月4日)午後、明るかったので、さらに、金沢駅の東口から、金沢中心街の武蔵ヶ辻、近江町市場を通り、金沢城から兼六園まで、晩秋の景色を眺めながら、気の向くままに、少し立ち止まりながら、歩き続けました。

 その途中、金沢城の大手門から黒門に至る大手堀、黒門の入口から金沢城の正門の河北門を眺め、裏門の石川門の鉄門を通り、白鳥路傍の庭園の池で泳ぐ錦鯉にくぎ付けとなり、また、紅葉と雪吊りの美しい兼六園の庭園の光景を観賞、それらの光景をデジカメに収めました。

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金沢城の大手堀、正門の河北門と裏門の石川門、白鳥路傍の池の錦鯉、兼六園の紅葉と雪吊りの光景、2014年11月4日撮影)

(参考資料) ○ 金沢城の石川門と屋根の鉛瓦にまつわる歴史伝承、金沢城の歴史、逸話(利常と幕府、綱紀と幕府)の関係、とは(2009.5.30): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9b02-1.html 

○ 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/102.html

○ 冬を迎える風物詩、兼六園の雪吊り(ゆきづり)、武家屋敷の土塀の薦掛け(こもかけ)、とは(2010.12.6): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/148.html

〇 金沢城の外庭(兼六園)にまつわる歴史伝承、蓮池庭(のち兼六園、松平楽翁、洛陽名園記)、日本三名園(特別名勝)、中国三名園、とは(2010.5.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/76.html

 

2014年11月 5日 (水)

晩秋(11月4日)、金沢駅の西側にある駅西ケヤキ大通り、ステンレス製の大型モニュメント、駅西口、及び東側にある、ポルテ金沢、もてなしドームと鼓門、駅東口の景観、北陸新幹線の金沢開業のマスコットキャラクター、ひゃくまんさん、とは(2014.11.5)

 昨日(11月4日)、金沢市内は、朝方、曇天でしたが、次第に空も晴れてきました。そこで、昼食後、県庁前から、気の向くまま、駅西ケヤキ大通りに沿って、晩秋の景色を眺めながら、金沢駅の西口まで歩きました。

 その途中、金沢駅近く、駅西ケヤキ大通りステンレス製の大型モニュメントのある西側広場、また、ポルテ金沢もてなしドームと鼓門(つづみもん)のある東側広場を散策し、来年、2015年3月14日、北陸新幹線(長野ー金沢間)の開業に備えて、美しく整備された金沢駅周辺の景観をデジカメに収めました。

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金沢駅近くの景観(駅西ケヤキ大通り、ステンレス製の大型モニュメントのある西側広場、また、ポルテ金沢、もてなしドームと鼓門(つづみもん)のある東側広場、2014年11月4日撮影)

 ところで、北陸新幹線の金沢開業をPRする、マスコットキャラクターは、「ひゃくまんさん」と名付けられ、百万石の豪華絢爛(ごうかけんらん)さを思わせる、郷土玩具の「加賀八幡起上り」に似たダルマさんです。

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ひゃくまんさん(マスコットキャラクター、北陸新幹線の金沢開業をPR、石川県、Google画像): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/shutoken/hyakumansan/

 (解説) ひゃくまんさんには、石川の代表的な伝統工芸である、金沢箔を全身に施し、輪島塗のヒゲ、加賀友禅のキクやボタン、九谷五彩(赤・黄・緑・紺青・紫)の色彩を使用し、 また、全身には、兼六園ことじ灯籠白山、能登キリコなどが描かれています。

(参考資料) ○ JR金沢駅のシンボル、金沢駅東口のもてなしドームと鼓門(つづみもん)、金沢駅西口のステンレス製の大型モニュメント、悠颺(ゆうよう)、とは(2013.5.20) http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-abd8.html

○ 石川県庁行政庁舎、19階展望台からの景観(東から南方向、金沢駅前、ポルテ金沢とサーパス桜田町マンションを遠望)(2014年9月6日、鞍月、金沢市、石川県): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/9-a9a8.html

2014年11月 3日 (月)

晩秋(11月3日)、県庁の中央公園付近の遊歩道で目にした、落葉低木のニシキギ(ニシキギ科)とドウダンツツジ(ツツジ科)の鮮やかな紅葉の生垣、美しい黄色の花のツワブキ(キク科)の群生の光景、とは(2014.11.3)

  晩秋、文化の日(11月3日)の午後、雨天後の曇天で、気温も19℃と少し寒かったのですが、晴れ間を見はからって、近くの県庁の中央公園(鞍月セントラルパーク)の付近を散策しました。

  そこの遊歩道沿には、落葉低木のニシキギ(ニシキギ科)とドウダンツツジ(ツツジ科)の鮮やかな紅葉の生垣(いけがき)、また、美しい黄色の花を咲かせたツワブキ(キク科)の群生が目につき、しばし眺めた後、その光景をデジカメに収めました。

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落葉低木のニシキギ(ニシキギ科)とドウダンツツジ(ツツジ科)の鮮やかな紅葉の生垣、美しい黄色の花のツワブキ(キク科)の群生(鞍月セントラルパーク、鞍月、金沢市、石川県、2014年11月3日(月)撮影)

(参考資料) ○ 晩秋(2013.11.15)、犀川土手の遊歩道沿いの野草の花、タデ(蓼) ツワブキ(石蕗、艶蕗)、リュウノウギク(竜脳菊)、 オギ(荻)、アシ(葦)、とは(2013.11.19): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-ce4a.html

(追加説明) ○ 世界三大紅葉樹は、晩秋、紅葉が鮮やかな、ニシキギ(錦木、ニシキギ科)、モミジ(紅葉、カエデ科、カエデとも)、スズランノキ(鈴蘭の木、ツツジ科、ゼノビア プルベルレンタとも、花がドウザンツツジと類似!)の落葉低木のことです。

2014年11月 1日 (土)

鬼門(きもん)、金沢城の鬼門を守る宇多須神社(もと卯辰山八幡宮)、加賀100万石 藩祖の前田利家は、遺言により野田山墓地に埋葬され、のち宇多須神社(もと卯辰山八幡宮)に合祀され、さらに金沢城の西側の新社殿、尾山神社の祭神として祀られた、とは(2014.10.31)

 

 鬼門(きもん)とは、広辞苑によると、古代中国の陰陽道(おんようどう)で、鬼が出入りし、万事に忌(い)み嫌う方角で、丑寅(うしとら、艮)すなわち東北(鬼方)です。また、鬼門除け(きもんよけ、丑寅除)は、災難を避けるため鬼門の方角に神仏を祭ること、と説明されています。

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宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、MAPPLE観光ガイド、東山、金沢市、石川県、Google画像) https://www.facebook.com/honjo1003

(解説) 江戸時代、1585年(天正13年)、加賀藩祖前田利家は、金沢城築城し、加賀・能登・越中3ヵ国の中心的な城としての威容(いよう)を備えました。この鬼門北東)にあるのが卯辰山で、その麓には、金沢城鬼門守護神(毘沙門天、びしゃもんてん)を祀る、宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、東山、金沢市)があります。

  前田利家(1537~1599)が亡くなると、遺言通り卯辰山の南となり、野田山の頂上近く、兄の前田利久(?~1587)のすぐ下の地に葬むられました。その後、加賀2代藩主前田利長(1562~1614)は、金沢城鬼門にあたる卯辰山八幡宮に父、利家合祀(ごうし)し、鬼門封じ鬼門鎮守)としました。

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加賀藩祖 前田利家公の墓(野田山墓地、標高175m野田山の頂上近く、野田町、金沢市、石川県、2014年9月30日撮影)

(解説) 江戸時代、前田利家はじめ一族は、土饅頭(どまんじゅう)の墳墓として埋葬されていました。前田家の祭祀が神式に改められたのは1874年明治7年)です。1877年(明治10年)5月には、「野田山ノ廟所ナル廟堂ヲ取除け、更ニ碑石及ビ鳥居ヲ建ラレ」となり、藩主の墓の入口には鳥居、その奥にはを築き、その前に石柱墓標が立てられました。

 明治時代、1873年(明治6年)、このを金沢城の西側、金谷出丸跡に新社殿を造営して遷宮、社名を藩祖前田利家を祀る尾山神社(おやまじんじゃ)としました。また、本殿の右手には、金谷神社(摂社)を造り、歴代藩主を祀っています。

(参考文献)  新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 下中邦彦編小百科事典(初版)、平凡社(1973); 東四柳史明、宇佐美孝、本康宏史、出越茂和編 図説 金沢の歴史、北国新聞社(2013).

(参考資料) ○ 宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、石川県の観光と歴史的建築物、東山、金沢市、石川県): http://isitabi.aikotoba.jp/kanazawa/utasu.html; 宇多須神社(まっぷる、MAPPLE観光ガイド): http://www.mapple.net/spots/G01701059601.htm

○ 加賀100万石藩祖前田利家が眠る野田山墓地、菩提寺の宝円寺、神として祀る尾山神社、とは(2009.7.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kaga-4.html

○ 野田山墓地参道、史跡・加賀藩主前田家墓所、野田山墓地の墓守寺・高徳山東雲寺(野田町)、金沢大学附属幼稚園、小学校・中学校・高等学校(平和町)、公務員宿舎(57号棟)、県営住宅(平和町)の景観(2013.5.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-abb9.html

(追加説明) ○ 家相(かそう)は、家の地勢、方位、間取りなどが吉凶を支配すという考えです。古代、中国に起こり、陰陽五行説から割り出された一定の法則を持っていました。

 日本では、奈良中期から信じられるようになり、平安京四神相応(しじんそうおう、東に蒼竜、せいりゅう、西に白虎、びゃっこ、南に朱雀、しゅじゃく、北に玄武、げんぶ)の地として選ばれ、丑寅(うしとら)の方角(北東)を鬼門(きもん)として、そのしずめに延暦寺を建てたという。江戸城寛永寺の関係も同様です。

 民間でも鬼門むほか、金神(こんじん)、荒神(こうじん)、熊王神(くまうじ)などの信仰と習合して、川の流れに直角に屋根が向かうことや、三角の敷地を忌んだりしました。(小百科事典より)

〇 鬼門(きもん、北東)の丑寅(うしとら、艮とも)の反対は、裏鬼門(うらきもん、南西)で未申(ひつじさる、坤とも)と言い、この方角も鬼が出入りするといって忌み嫌われていました。ということで、金沢城裏鬼門として、忍者寺のある寺町台寺院群を配置したという。

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