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2014年11月15日 (土)

加賀藩の火薬生産、土清水塩硝蔵跡、黒色火薬の原材料は、越中五箇山の塩硝(えんしょう、 硝石、塩化カリウムとも)、越中立山地獄谷の硫黄(いおう)、麻木の木炭の3つで、加賀土清水の辰巳用水の水車の力で粉砕し、水練り、切り出し、乾燥などの工程を経て製造されていた、とは(2014.11.15)

  江戸時代、加賀藩では、火縄銃黒色火薬金沢城から南西に約4.5km離れた、土清水塩硝蔵跡(つっちょうずえんしょうぐらあと、涌波町、金沢)で製造されていました。

 現在、火薬作り中枢(ちゅうすう)であった搗蔵(つきくら)が確認されています。それらの建物の位置は、江戸初期のころ、金沢城内や現在の小立野付近でしたが、たび重なる大火事で、1658年(万治元年)、その場所に移されたと言う。

 黒色火薬は、原材料の塩硝(硝石、塩化カリウム、とも )、硫黄、木炭調合したものです。このうち塩硝は、越中五箇山で生産され、加賀藩の管理下で、塩硝箱に詰められ、牛馬により山越えの塩硝街道(40km)を通り、金沢城下まで運ばれていました。 

https://www.facebook.com/honjo1003001_21

 土清水塩硝蔵跡辰巳用水 附、国史跡、涌波町、金沢市、石川県) 

(解説) 2013年(平成25年)3月27日、金沢市涌波町の加賀藩火薬製造所土清水薬合所跡が、文科省より国指定歴史遺跡指定され、石碑と説明の案内板が市道沿いに設置されました。

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岩瀬家(五箇山、西赤尾、合掌造りの家、南砺市、富山、google画像より)

(解説) 1570年(元亀元年)、戦国時代の頃より、越中五箇山(平村、上平村、利賀村の一帯)では、農民の副業として、従来の古土法(奈良時代、中国より伝来、床下の古い土より硝酸塩を抽出)より大量生産できる培養法を用いた塩硝生産されていました。現在、五箇山村上家岩瀬家には、塩硝土の培養に使われた穴跡や塩硝製造に用いられた道具(桶、鍋、釜、ザル)及び塩硝標本が当時の製紙、生活用具と共に展示されています。

○ 塩硝製造法(培養法)は、合掌造りの家床下(1.8~3.6m四方、深さ2m、すり鉢型)を掘り、麻畑土、干し草(ヨモギ、サクという山草など)、蚕糞、人馬の尿などを混ぜて積み、糞尿中のアンモニアを土壌中の硝化細菌(アンモニア酸化菌、亜硝酸酸化菌など)により硝酸イオンに酸化します。

 約5年培養後、土桶(つちおけ)を用いて、培養土(塩硝土から水で抽出された液(硝酸カルシウム含む)を木灰(炭酸カリウム含む)と混ぜ、平釜に移して煮ると、熱水に溶けやすい硝酸カリウム(溶液)と溶けにくい炭酸カルシウム(沈殿)に分離されます。その後、放冷すると、冷水に溶けにくい硝酸カリウムの純粋な結晶が得られました。この中煮塩硝(なかにえんしょう)をさらに鉄鍋で再結晶し、上質の上煮塩硝(うわにえんしょう、白色柱状結晶)を得ました。

 黒色火薬の生産

 黒色火薬は、原材料の塩硝(硝石、塩化カリウムとも)、硫黄、木炭調合してつくられました。このうち塩硝越中五箇山で生産されていました。硫黄越中立山地獄谷採取し、滑川で精製された後、加賀の土清水塩硝蔵まで運ばれました。木炭は土清水塩硝蔵内の木灰所という施設で、原木として麻木を用いて生産されていました。

 これらの原材料は、搗蔵(つきくら)内に引き込んだ辰巳用水の水流で回した水車の力で粉砕にした後、調合所にて調合され、その後、水練り、切り出し、乾燥という工程を経て黒色火薬へと加工されていました。

 土清水塩硝蔵跡は、黒色火薬の原材料の貯蔵から火薬への加工、そして製品貯蔵搬出までを行う大規模施設であったということができます。 

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塩硝(えんしょう、煙硝硝酸カリウムとも、長さ約4cmの無色斜方晶形結晶、沢村保昌先生(三重大名誉教授)より里見信生先生(金沢大講師、のち教授)に寄贈された伊賀(三重)忍者が使っていた煙硝を譲り受けたもの、五箇山産か? 2014年3月、石川県立自然史資料館へ寄贈) 

(解説) 塩硝(えんしょう、焔硝、煙硝とも)は、硝酸カリウム(天然鉱物は硝石)のことで、黒色火薬硝酸カリウム、木炭粉末、硫黄の混合物煙火薬とも)において、酸化剤の働きをする、最も重要な成分です。

 五箇山では、江戸時代、最盛期の1865年(慶応元年)ころ、年間39トンもの塩硝が生産され、加賀藩に買い上げられています。当時、その質、量は、共に日本一の座にあったと言われています

 明治時代に入り、チリ硝石ドイツ火薬が大量に輸入されるようになると、1870年(明治3年)には買い上げが停止され、五箇山塩硝は、約300年の歴史を残して急速に衰退しました。  

(参考文献) 加賀藩における塩硝の生産について: 金沢市都市政策局歴史文化部文化財保護課編集・発行パンフレット; 2013年6月17日、金沢大学名誉教授、板垣英治先生より、国史跡 辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡(たつみようすい つけたり つっちょうずえんしょうぐらあと、涌波町、金沢) に関する写真と関連パンフレットコピーの提供を受けました。

(参考資料) ○ 五箇山(加賀藩の流刑地)にまつわる歴史秘話、加賀騒動(大槻伝蔵)、塩硝(培養法)、合掌造り(白川郷)、国史跡・辰巳用水附土清水塩硝蔵跡(金沢)、とは(2010.1.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/45.html

 辰巳用水附土清水塩硝蔵跡(金沢市の文化財と歴史遺産、金沢市): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/tatsumiyousui.html

○ 五箇山(流刑小屋、 南砺市、富山、google画像より): http://images.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%BA%94%E7%AE%87%E5%B1%B1%20%E6%B5%81%E5%88%91%E5%B0%8F%E5%B1%8B&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

 五箇山(小さな世界遺産の村、上平、南砺市、富山): http://www.gokayama.jp/meguri/midokoro.html

○ 五箇山から涌波(金沢)まで(塩硝の道を訪ねて、土清水、涌波、小立野、金沢、石川): http://www.spacelan.ne.jp/~sakiur-k/ensho1.html

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