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2015年1月の9件の記事

2015年1月28日 (水)

冬の花木(1月28日)、県庁議会庁舎北口近くの庭園を散策中に目にした、アオキ(青木)、マンサク(満作)、サザンカ(山茶花)、とは(2015.1.28)

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 今朝(1月28日)の金沢は、うっすらと雪に覆われ、寒かったのですが、晴れ間も出てきました。そこで、久しぶりに、県庁議会庁舎北口近くの庭園を散策し、一時雪が散らつく中、遊歩道沿いで目にした冬の花木アオキ(青木)、マンサク(満作)、サザンカ(山茶花)風景をデジカメに収めました。

 アオキミズキ科、雌雄異株!)の葉は、斑入り(ふいり)で青々としていました。が、赤い実がないので、雄木だと思われます。 マンサクマンサク科)は、春が訪れると、真っ先に花を咲かせるのですが、堅い蕾(つぼみ)のままでした。なお、サザンカ(ツバキ科)は、赤い花を、ちらほらと咲き残していました。

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    アオキ、マンサク、サザンカ (冬の花木、県庁議会庁舎北口近く、鞍月、金沢市、石川県、2015年1月28日撮影)

 斑入りアオキ(Weblio辞書、植物図鑑): http://www.weblio.jp/content/%E6%96%91%E5%85%A5%E3%82%8A%E9%9D%92%E6%9C%A8

〇 マンサクの開花(兼六園花便り、1月24日、金沢市): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11003/kenhana/H27/hana987.html

〇 冬景色(11月27日)、県庁西近くの庭園の散策路、北敷地内の日本庭園の遊歩道で見かけたヤツデ、サザンカ、ヤブツバキの花咲く風景、また、太陽光と風力による自然エネルギー照明システムの景観、とは(2014.11.27): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/20141127-ce9c.html

2015年1月24日 (土)

杉森のお地蔵さんと湧き水(1月18日)、白山山麓の雪解け水、杉森地域の湧き水を守ってくれるお地蔵さん、すぐ近くの神子清水、とは(2015.1.24)

 お地蔵さん清水は、白山のふもと、杉森集落の裏山から道路沿いに湧き出している白山の雪解け水で、その名は地蔵不動が祀(まつ)られていることに由来しています。水源は、白山連峰の岳峰(標高505.48m)のふもとから湧き出した水と思われます。湧き水は、絶えることなく、すぐ前の用水に流れ込んでいます。

 水温は、一年中15℃前後で、絶えることがなく、水質は、淡水性の被圧地下水で、ナトリウムイオンー重炭酸イオン型に似ていました。 また、この水は、ペットボトル、ポリタンクなどに長期間保存しても、何の変化も見られませんでした。

 この清らかな水は、湧き出している口のすぐ上に、お地蔵さんが祀られ、杉森地蔵水とも呼ばれ、昔から人々の生活の命の大切な水として使われています。また、地元の杉森町会住民が定期的な清掃活動を実施しています。

 なお、地蔵(じぞう)は、この世にあって、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の輪廻(りんね)に苦しむ衆生を仏の道に導き救済するものとされています。また、子供の災厄(さいやく)を守護するとも信じられ、賽の河原(さいのかわら)の説話を生みました。

 鎌倉時代から江戸時代には、種々の民間説話習合して、延命地蔵、子安地蔵、勝軍地蔵など、さまざまの名をを冠した地蔵が生まれました。

 また、この杉森地蔵水のすぐ前、県道44号線を山の手に数分走り、最初の曲がり角を左折し、数分走ると、神子清水町の湧き水、神子清水が見られます。この水は、主に地域の人々の生活用水として使用されています。 


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地蔵、杉森地蔵水杉森、鳥越、白山市、石川.、2015年1月18日撮影)

○ 杉森地蔵水の湧き水(動画): https://www.youtube.com/watch?v=9mbh57vB0Kg

(参考資料) 〇 地蔵(じぞう)、釈迦(しゃか)入滅後、56億7千万年たって、弥勒菩薩(みろくぼさつ)がこの世に出現するまで、現世にとどまって衆生(しゅじょう)を救う、杉森地蔵水(石川)、高地蔵(徳島)、背高地蔵、とは(2013.4.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-ae16.html

○ 白山(石川)のふもとに湧き出る名水、弘法池の水(釜清水)、白山霊水(白山比咩神社)、杉森地蔵水(杉森集落)と湧水の水質(ヘキサダイヤグラム)、とは(2010.7.6):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/96.html

2015年1月21日 (水)

白山 と山麓の湧き水の雪景色(1月18日)、白山比咩神社近く、冬の白山連峰と山麓の杉森地蔵水の湧き水の雪景色(2015.1.21)

 先日(1月18日)朝、金沢は、雪が散らついていましたが、次第に天気も晴れてきたので、お昼前、2週間ぶりにマイカーを息子に運転してもらい、白山山麓の杉森地蔵水の湧き水を汲みに行きました。

 その途中、白山比咩神社近く、国道157号線から、白山南町の県道44号線に入り、山の手の方へ5分ほど走ったところで、真っ白な雪に覆われた白山連峰の雪景色を遠望し、その風景を携帯電話のカメラに収めました。

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冬の白山連峰の雪景色(2015.1.18)

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冬の白山山麓の杉森地蔵水の湧き水の雪景色(2015.1.18)

○ 杉森地蔵水の湧き水(動画): https://www.youtube.com/watch?v=9mbh57vB0Kg

(参考資料) ○ 白山と立山連峰の雪景色(12月28日)、快晴の冬空のもと、県庁19階展望台から眺めた、真っ白な神々しい白山と立山連峰の姿、とは(2014.12.29):  http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/20141229-f9e1.html

○ 白山(石川)のふもとに湧き出る名水(動画)、杉森地蔵水(杉森町、白山市)、とは(2013.8.4): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/201-427a.html

2015年1月16日 (金)

白山比咩神社の左義長祭(1月15日)、小正月(正月15日)の恒例行事、どんど焼き((お正月にお迎えした年神を送り返すための火祭り)、火を神聖視する信仰、とは(2015.1.16)

 白山比咩神社(三宮町、白山市)では15日、左義長祭(さぎちょうさい)、小正月(正月15日)の恒例行事、「どんど焼き」がありました。雨の中、参拝者は、破魔矢(はまや)など、古いお守り、お札、しめ縄、門松などの正月飾りや書初め(かきぞめ)作品などを入れた、巨大な三角すい状のどんど(直径6m、高さ6m、中心は10mを超す青竹のやぐら!)を焼き、煙を浴びたり、火の熱を受けることで、無病息災、学力向上などの御利益を祈願しました。

 点火については、白山市内の鶴来と北辰の中学生(7名)が、古代の火おこし(ろくろぎり、摩擦法!)を使って、神前で清浄な火(浄火!)をおこしました。そして、神職の先導でどんどを囲み、たいまつの炎をどんどに移したところ、青竹の破裂音が響き、高い炎が噴き上がりました。

 また、北駐車場に築かれた巨大などんどには、点火から約3時間は、参拝者が持参した正月飾りも火中に投じました。なお、これに先立ち、舞女二人が神楽(かぐら)「剣の舞」を奉納しました。(北陸中日新聞、2015年1月16日)

 このとき、煙や火に体を当てると、若返る、丈夫になる、餅(もち)や団子を火で焼いて食べると、病気をしない、火に書初め(かきぞめ)をかざし、それが高く舞うと、書が上手になるなど、古来、火を神聖視する信仰が見られました。

 

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左義長祭(さぎちょうさい)のどんど焼き白山比咩神社、雨の中、高く炎を噴き上げた、どんと焼きの光景、北陸中日新聞、 白山市、石川県、2015年1月15日、Google画像) 

 

(参考資料) 

 どんど焼きは日本の国民行事、 小正月行事「どんど焼き」の全国(世界)調査集計(平成27年版): http://www.digi-ken.org/~archive/koshogatu.html

 

 白山さん(白山比咩神社)で左義長祭、小正月(正月15日)の火祭り、左義長の歴史と名の由来、火を神聖視する信仰、とは(2014.1.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-ea15.html 

 注連飾り(しめかざり)、お正月(五穀を守る年神のお祭り)、門松(年神が降臨する場)、注連縄(禍神の侵入を禁ずる印)、どんど焼き(年神を送り返すお祭り)、私の初詣、とは(2010.12.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/152.html

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年1月14日 (水)

冬の雲(1月14日)、寒い空にじっと凍ったように動かない冬雲は、凍雲(いてぐも)、寒さが強くて快晴のときは、凍晴(いてばれ)、とは(2015.1.14)

 北陸の冬は、曇天の日が多く、いやな気分になるものですが、いっとき太陽が顔を出す晴れ間には、美しい色と姿の雲が見られます。

 この冬雲は、寒い空にじっと凍ったように動かずにいるので、凍雲(いてぐも、寒雲とも)と呼ばれています。また、凍空で、寒さが強くて快晴のときは、凍晴(いてばれ)という。

 は、空気中の水分が凝結(ぎょうけつ)し、微小な水滴(すいてき)または氷晶(ひょうしょう、氷の微細な結晶)からできた雲粒(くもつぶ)が集まって、大気中に浮かんで見えるものです。水滴の場合、ふつう半径10ミクロン(0.000001メートル)程度のものが1立方センチに50~500個浮かんでいます。

 今日(1月14日)午前中の金沢は、久しぶりに太陽が顔を出し、青空に美しい冬雲も見られましたので、それらの光景をデジカメに収めました。

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冬の雲、凍雲(いてくも)の光景、鞍月、金沢市、石川県、2014年1月14日

(参考資料) ○ 四季折々の雲の形(春の霞・夏の雲の峰・秋の鰯雲・冬の凍雲など)、飛行機雲、地震雲、とは(2010.10.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/132.html

○ 白山山麓(東)からの日の出、白山の主峰と冬の雲(凍雲)、日本海(西)への日の入り、などの風景、とは(2014.1.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-77c2.html

2015年1月12日 (月)

大相撲初場所(1月12日)、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、江戸時代、第6代横綱の阿武松(おうのまつ、能登、石川県)は、長州藩(山口県)毛利家のお抱え力士、シコ名は萩(山口県)の名勝「阿武の松原」に由来、とは(2015.1.12)

  古代相撲(すもう、角力)は豊作祈願の信仰から起こったという。相撲取は、しめ綱(締綱)を巻き、神に仕える姿で、シコ(四股)を踏みました。ドシンドシンと土を踏むので、地力が高まり、農作物がよくできるという。横綱土俵入りに、その姿を伝えています。

 を撒(ま)くのは、体を清める儀式です。なお、相撲四股(シコ)は、当て字で、もとの字は、(シコ)と書きます。 この(シコ)は、みにくいという意味ではなく、強いことを意味し、シコ踏むというのは、強い相手を踏み破るための、示威行為(じいこうい)という。

 江戸時代、武士(大名、旗本)は屋敷内で、足軽などに相撲を取らせ観戦して楽しみました。一方、庶民は江戸、京都などの街の四辻や広小路で辻相撲を楽しみました。

 その後、神社やお寺を建てる寄付金集めの勧進相撲(かんじんずもう)も始まり、次第に恒常的に行われるようになり、相撲取職業化し、1624年(寛永元年)、初代横綱明石志賀之助(あかししがのすけ、生没未詳、)が努め、以来、白鵬、日馬富士、鶴竜まで、71名の横綱が誕生しています。

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第6代横綱 阿武松(おうのまつ 、1791~1851、能登石川県)、Google画像) 阿武松(おうのまつ 、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AD%A6%E6%9D%BE%E7%B7%91%E4%B9%8B%E5%8A%A9; 顕彰碑(能登町、石川県):http://www.hot-ishikawa.jp/sys/data?page-id=5790; 玉泉院、もと浄心寺の塔頭の一つ、玉泉寺、江東区、東京): http://ginjo.fc2web.com/006ohnomatu/itabasi.htm

(解説) 石川県出身の横綱には、阿武松(おうのまつ)、第6代横綱(1791~1851、1828~1835、8年間、能登、石川県)、輪島(わじま)、第54代横綱(1948~ 、1973~1981、9年間、七尾、石川県)の二人がいます。

 阿武松(おうのまつ)は、能登(石川県)生れですが、1975年(寛政7年)正月、長州藩(のち山口県)毛利家の抱えとなり、10月小結、1976年10月関脇、1977年10月大関となりました。 その後、1978年(寛政10年)3月、萩(山口県)の名勝「阿武の松原」の名を取って阿武松緑之助と改名、これは、長州第10代藩主、毛利 斉熙(もうり なりひろ、1784~1836)直々の命名でした。

 1979年(寛政11年)2月吉田司家から横綱免許を受けました。31年ぶりの横綱であり、 8年間横綱を務めて1835年(天保 6年)10月引退。 力士名のまま年寄となりました。 173cm、135kg。免許後江戸成績75勝15敗21分6預16休でした。現在、「阿武松」の名は日本相撲協会の年寄名跡の一つとされ、一種の止め名となっています。

 色白の肥満型で、力が籠ると満身赤を注いだようになり、その姿は錦絵と称されました。 が、取り口は慎重を極め、待ったなど、作戦的な立合いが多く、「待った、待ったと、阿武松でもあるまいし」(甲子夜話)、と江戸の流行言葉にもされました。人物は温厚で義理堅く、少しも天狗になることがなかったので、江戸っ子たちの厚い支持を受け、人気は絶大だったという。 

 1909年(明治42年)、勧進相撲を開いていた、回向院(えこういん、両国、東京)境内に、旧国技館が建てられました。

 今年の大相撲初場所が、1月11日より、国技館で始まりました。新春の初土俵は、大鵬を抜いて単独、史上最多33度目の優勝と5連覇を狙う横綱白鵬は、小結栃煌山を突き落とし、白星スタートを切りました。また、将来の土俵を担う、人気の逸ノ城(モンゴル、21歳)と遠藤(24歳、穴水、能登、石川)の初顔合わせは、遠藤が巨漢をよりきりで勝ちました。

(参考資料) 

○ 相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/121.html

2015年1月 8日 (木)

七草がゆ(1月7日)、中国と日本の正月の行事、江戸時代、加賀藩では、第3代藩主前田利常の頃から、一年の無病息災を願う行事として、正月7日に催されていた、神前での七草の調理(尾山神社、金沢市)、とは(2015.1.8)

 中国では、元日から8日まで、鶏(にわとり)、狗(いぬ)、羊(ひつじ)、猪(いのしし)、牛、馬、人、穀(こく)を配し、その日にそれらのものを大切に扱う風習があり、7日を人日(じんじつ)とするのもここから来ています。この日には、七種菜羹(しちしゅさいのかん)という7種類の野菜の粥(かゆ)を食べ、無病を祈る風習がありました。

 日本でも人日を五節句の一つに数え、正月7日の朝、将軍以下が七草粥(ななくさがゆ)を食べるなど、公式の行事となっていました。春の七草(セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)は、すべて薬草であり、邪気を払い万病を除くと言われていました。

 これは、江戸時代、正月料理の飲食で体力をつけ、のち正月7日の七草(ななくさ)、ナズナやハコベラなどの解毒(げどく)の強い薬草の粥(かゆ)を食べ、食べ過ぎや飲み過ぎなどによる胃腸の酷使を調整して、重労働の稲作農業の開始に備える意味がありました。 儀式の時、七草を俎(まないた)に載せて、囃(はや)して叩き、粥(かゆ)に入れ、将軍以下これを食べました。

  加賀藩では、第3代藩主前田利常(1594~1658)の頃から、一年の無病息災を願う行事として、正月7日に催されていたという。 この七草がゆを再現した催しが、昨日の7日朝、初代加賀藩主、前田利家(1537~1599)を祭神とする尾山神社(金沢市)でありました。

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神前での七草の調理(大友佐俊さん(大友桜)、尾山神社、金沢市、2015年1月7日)

尾山神社(金沢の総合情報、きまっし金沢: http://kimassi.net/oyamajinja/oyamajinja.html; 尾山神社(おやまじんじゃ、ホームページ): http://www.oyama-jinja.or.jp/

(解説) 神前での七草の調理は、加賀藩の料理方として仕えていた、大友桜(おおともろう、料亭)の主人、大友佐俊さんが、その役を努めました。拝殿でまな板の上に七草を載せ、おはやしを唱えながら、包丁や火吹き竹、しゃもじで順番に切ったりたたいたりしました。この時、悪疫をもたらす鳥を追い払うとされる言われに従い、トントンと音を響かせました。

 この行事は、前田家18代当主の前田利祐さんの提案により、2006年から始まり、今年も文化人や経済人、前田家ゆかりの人たちを招き、七草がゆを含む朝食を囲み、今年一年の健康を祈りました。

 七草がゆは、万病を除くといい、現在でも日本各地で広く行われています。これにあやかり、わが家でも、7日の昨夜、近くのマーケットで七草のセットを買い、家内が七草がゆをつくり、無病息災を願って食べました。

(参考文献) 北陸中日新聞: 息災 尾山神社 七草がゆ行事、北陸中日新聞、2015年1月8日(木)朝刊。

(参考資料) ○ 五節供(のち五節句)にまつわる歴史伝承、人日(正月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)、農耕儀礼としての年中行事、とは(2011.9.5): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/205.html

〇 春の七草にまつわる歴史伝承、七草粥(ななくさがゆ)、秋の七草との違い、とは(2011.1.7): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/156.html

2015年1月 6日 (火)

白山比咩神社参拝(1月3日)、感謝と祈願! 一年の無事と平安を祈り、新しい交通安全御守をいただき、旧い御守は焚き上げました(2015.1.6)

 新年は、年の初め、あらたまの年、新春、新歳ともいう。陰暦では新年と春がほとんど同じだったので、春といえば新年のことでした。そして、人は、どんな逆境や、悲境にあっても、最後の一瞬まで、希望と夢を忘れず、無条件に新年を祝い、新年に夢を託します。              

 初詣は、年が明けてから初めて社寺に参拝し、一年の無事と平安を祈る行事です。白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、御鎮座2100年を越える、霊峰白山を御神体とした、全国で約2000社の白山神社総本宮です。

 今年は1月3日、マイカーを息子に運転してもらい、白山比咩神社の本殿を参拝し、おみくじを引き、初穂料(800円)を納め、交通安全御守をいただきました。また、昨年いただいた御守は、神社境内の浄火で焼きましたが、その時、火に当たりながら体に煙を被ると,、無病息災になるとのことで、参拝者と一緒に、心で祈願しながら焚き上げました。

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感謝と祈願! 白山比咩神社(本殿、鼓胴型注連縄(しめなわ)、屋根は入母屋造(いりもやづくり)、三宮町、白山市、石川県) 

 白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ、三宮町、白山市、石川県): http://www.shirayama.or.jp/

2015年1月 1日 (木)

the New Year's greetings, 年賀(2015.1.1)

A Happy New Year !

2015

新年おめでとうございます

2015年 元旦

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羊、家内の母親の手芸作品(親子とも羊年!)


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