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2015年1月12日 (月)

大相撲初場所(1月12日)、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、江戸時代、第6代横綱の阿武松(おうのまつ、能登、石川県)は、長州藩(山口県)毛利家のお抱え力士、シコ名は萩(山口県)の名勝「阿武の松原」に由来、とは(2015.1.12)

  古代相撲(すもう、角力)は豊作祈願の信仰から起こったという。相撲取は、しめ綱(締綱)を巻き、神に仕える姿で、シコ(四股)を踏みました。ドシンドシンと土を踏むので、地力が高まり、農作物がよくできるという。横綱土俵入りに、その姿を伝えています。

 を撒(ま)くのは、体を清める儀式です。なお、相撲四股(シコ)は、当て字で、もとの字は、(シコ)と書きます。 この(シコ)は、みにくいという意味ではなく、強いことを意味し、シコ踏むというのは、強い相手を踏み破るための、示威行為(じいこうい)という。

 江戸時代、武士(大名、旗本)は屋敷内で、足軽などに相撲を取らせ観戦して楽しみました。一方、庶民は江戸、京都などの街の四辻や広小路で辻相撲を楽しみました。

 その後、神社やお寺を建てる寄付金集めの勧進相撲(かんじんずもう)も始まり、次第に恒常的に行われるようになり、相撲取職業化し、1624年(寛永元年)、初代横綱明石志賀之助(あかししがのすけ、生没未詳、)が努め、以来、白鵬、日馬富士、鶴竜まで、71名の横綱が誕生しています。

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第6代横綱 阿武松(おうのまつ 、1791~1851、能登石川県)、Google画像) 阿武松(おうのまつ 、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AD%A6%E6%9D%BE%E7%B7%91%E4%B9%8B%E5%8A%A9; 顕彰碑(能登町、石川県):http://www.hot-ishikawa.jp/sys/data?page-id=5790; 玉泉院、もと浄心寺の塔頭の一つ、玉泉寺、江東区、東京): http://ginjo.fc2web.com/006ohnomatu/itabasi.htm

(解説) 石川県出身の横綱には、阿武松(おうのまつ)、第6代横綱(1791~1851、1828~1835、8年間、能登、石川県)、輪島(わじま)、第54代横綱(1948~ 、1973~1981、9年間、七尾、石川県)の二人がいます。

 阿武松(おうのまつ)は、能登(石川県)生れですが、1975年(寛政7年)正月、長州藩(のち山口県)毛利家の抱えとなり、10月小結、1976年10月関脇、1977年10月大関となりました。 その後、1978年(寛政10年)3月、萩(山口県)の名勝「阿武の松原」の名を取って阿武松緑之助と改名、これは、長州第10代藩主、毛利 斉熙(もうり なりひろ、1784~1836)直々の命名でした。

 1979年(寛政11年)2月吉田司家から横綱免許を受けました。31年ぶりの横綱であり、 8年間横綱を務めて1835年(天保 6年)10月引退。 力士名のまま年寄となりました。 173cm、135kg。免許後江戸成績75勝15敗21分6預16休でした。現在、「阿武松」の名は日本相撲協会の年寄名跡の一つとされ、一種の止め名となっています。

 色白の肥満型で、力が籠ると満身赤を注いだようになり、その姿は錦絵と称されました。 が、取り口は慎重を極め、待ったなど、作戦的な立合いが多く、「待った、待ったと、阿武松でもあるまいし」(甲子夜話)、と江戸の流行言葉にもされました。人物は温厚で義理堅く、少しも天狗になることがなかったので、江戸っ子たちの厚い支持を受け、人気は絶大だったという。 

 1909年(明治42年)、勧進相撲を開いていた、回向院(えこういん、両国、東京)境内に、旧国技館が建てられました。

 今年の大相撲初場所が、1月11日より、国技館で始まりました。新春の初土俵は、大鵬を抜いて単独、史上最多33度目の優勝と5連覇を狙う横綱白鵬は、小結栃煌山を突き落とし、白星スタートを切りました。また、将来の土俵を担う、人気の逸ノ城(モンゴル、21歳)と遠藤(24歳、穴水、能登、石川)の初顔合わせは、遠藤が巨漢をよりきりで勝ちました。

(参考資料) 

○ 相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/121.html

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