« 金沢駅(10月21日)、兼六園口(東口) 能登ヒバの鼓門、総ガラス張りのもてなしドーム、金沢港口(西口) ステンレス製の大型モニュメント、とは(2015.10.22) | トップページ | 兼六園の湧水(10月21日)、金城霊澤、金沢の名の由来,、日本各地の同名の金沢、とは(2015.11.3) »

2015年10月27日 (火)

兼六園の噴水(10月21日)、日本最古(約170年前)の噴水、導水石管、上の霞ヶ池の水位と連動し、自然の水圧で吹き上がっている、とは(2015.10.27)

 兼六園には日本最古といわれている噴水があります。この噴水は、上にある霞ヶ池を水源とし、自然の水圧で吹き上がっています。水の高さは、約3.5mで、霞ヶ池の水位に連動して変化します。

Pa217543

噴水

Pa217550

霞ヶ池

 1861年(文久元年)、金沢城の二の丸の居間先に噴水が上がっている絵図があります。兼六園の噴水は、その試作で、水圧を計るために造られたと考えられ、今も時雨亭跡の前で勢いよく吹き上げています。 その高さは、霞が池の水面と同じで、金沢城の二の丸の高さに相当するものです。

Pa217465

Pa217459


 
金沢城の二の丸の櫓

Photo

逆サイフォンの原理により、兼六園から谷間の白鳥掘りを超え、二の丸まで水を上げています。  出展:『石川県土地改良史』(石川県) http://suido-ishizue.jp/nihon/03/img/01_p02.jpg

  兼六園の霞ヶ池から金沢城へは、石管((直径約30cm、長さ約1m、角柱状)を松ヤニで接着させて導水しています。 この時、逆サイホンの原理(伏越の理)を利用して、霞が池の水面と同じ高さの金沢城の二の丸まで水を木樋(のち石管)で引き入れました。これは、江戸の神田上水の技術を導入したものと考えられています。

Pa217620

Pa217624_3

石管

(解説) 1631年(寛永8年)、加賀の城下町で火災が起こり、金沢城の本丸も焼けてしまいました。そのため、加賀3代藩主、前田利常は、防火用水、農業用水として、また城周辺の空堀に水を満たすため(金沢城防衛)、1844年(天保15年)の頃より、犀川(8km上流)から兼六園経由で金沢城内までの辰巳用水を板屋兵四郎にに造らせたと言われています。

(参考資料)

〇 冬の雪を氷室に納め夏に江戸の徳川将軍に献上、金沢城(玉泉院丸の穴蔵)と兼六園(山崎山裏の凹地)の氷室、日本最古の噴水、とは(2009.7.16): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/fuyu.html 

〇 日本三名園、サイエンス(科学)のふるさと、兼六園内の藩校と遺跡、兼六園の歴史、東京大学の赤門のルーツ、とは(2009.6.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4dbe.html

« 金沢駅(10月21日)、兼六園口(東口) 能登ヒバの鼓門、総ガラス張りのもてなしドーム、金沢港口(西口) ステンレス製の大型モニュメント、とは(2015.10.22) | トップページ | 兼六園の湧水(10月21日)、金城霊澤、金沢の名の由来,、日本各地の同名の金沢、とは(2015.11.3) »

● かなざわ(金沢城、兼六園、野田山、加賀藩主前田家墓所)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1802629/62236503

この記事へのトラックバック一覧です: 兼六園の噴水(10月21日)、日本最古(約170年前)の噴水、導水石管、上の霞ヶ池の水位と連動し、自然の水圧で吹き上がっている、とは(2015.10.27):

« 金沢駅(10月21日)、兼六園口(東口) 能登ヒバの鼓門、総ガラス張りのもてなしドーム、金沢港口(西口) ステンレス製の大型モニュメント、とは(2015.10.22) | トップページ | 兼六園の湧水(10月21日)、金城霊澤、金沢の名の由来,、日本各地の同名の金沢、とは(2015.11.3) »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ