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リンゴ吊り、マツ
幹吊り、マツ
〇 ツツジの竹又吊り、竹ばさみ
初冬の季節ですが、昨日(11月16日)は快晴、日中の気温も18℃と暖かく、近くの県民の杜周辺をを3.3kmほど散策しました。そこの生垣には、紅色のカンツバキ(寒椿)、庭園には、清楚な紅色、淡紅色のサザンカ(山茶花)の花が咲き、一部落花していました。
また、鞍月セントラルパークの遊歩道沿いの花壇には、いしかわ緑と花の会による、サルビア(鮮紅)、マリーゴールド(黄橙)、アキランサス(赤、黄)、ベニツガヤ(赤紫)など、多彩な草花の花植え込みが目につき、しばらく見惚れたのち、その光景をデジカメに収めました。
花木
〇 カンツバキ
(解説) カンツバキ(寒椿)は、ツバキ(椿)とサザンカ(山茶花)の交雑種で、冬に紅色の八重の花を開きます。なお、カンツバキとサザンカの花びらは、1枚ずつばらばらに散ります。一方、春に咲くツバキ(椿)の花びらは、丸ごと地面に落ちます。
〇 サザンカ
(解説) サザンカ(山茶花、ツバキ科)は、日本特産の花木で、庭木や生垣に利用されています。 初冬のころ、紅色、淡紅色、白色など、清らかな5弁花を開き、花びらは1枚ずつばらばらに散ります。
山茶花、山茶花咲いた道、焚火だ、焚火だ、落ち葉焚き、---、と童謡にも歌われています。 なお、和名のサザンカは、山茶花(さざんか)に由来したものです。
草花
〇 花壇の植え込み
(解説) 鞍月セントラルパークの遊歩道沿いの花壇には、いしかわ緑と花の会による、サルビア(鮮紅)、マリーゴールド(黄橙)、アキランサス(赤、黄)、ベニツガヤ(赤紫)など、多彩な草花の植え込みがあり、ひときわ美しい光景となっています。
サルビア(シソ科)は、1年草、多年草、ブラジル原産、花色は鮮紅、紫、ピンク、白色など、多くの園芸品種があります。 マリーゴールド(キク科)は、1年草、中央アメリカ原産、花色は黄橙、赤褐色、白色など、園芸品種もあります。
アキランサス(ヒユ科)は、多年草、メキシコからアルゼンチン原産、花色(葉色)は赤、黄の斑入り葉などがあります。 ベニチガヤ(イネ科)の多年草、原野に群生する多年草で、 赤紫がかった葉先の美しさを楽しみます。園芸品種で、葉の先端が赤くなるので紅チガヤと呼ばれます。
(参考資料)
〇 冬の季節(11月24日)、近くの県庁や工業試験場の周辺で目にした、冬支度の雪吊り、また、カンツバキ(寒椿)の花咲く風景、とは(2014.11.26): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-f894.html
〇 冬景色(11月27日)、県庁西近くの庭園の散策路、北敷地内の日本庭園の遊歩道で見かけたヤツデ、サザンカ、ヤブツバキの花咲く風景、また、太陽光と風力による自然エネルギー照明システムの景観、とは(2014.11.27): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/20141127-ce9c.html
〇 追加、花木、草花、庭草
先日(11月8日)は立冬、、朝晩は冷え込むようになりました。昨日(11月12日)は、久しぶりの快晴に恵まれ、日中の気温は7.6~17℃と少し寒かったです。
が、家内と近くの県民の杜を散策し、県庁19階展望台から、初冬の金沢港、北陸自動車道、金沢駅、県民の杜、県庁駐車場の街路樹など、しばらく見惚れたのち、それらの風景をデジカメに収めました。
〇 県庁19階展望台
石川県庁 展望ロビー(19階) 喫茶店 展望 金沢市鞍月
〇 金沢港
金沢港 手前は、戸水劈頭 1号上屋(戸水町) 背後は、JX日鉱日石エネルギー油槽所、東西オイルターミナル金沢油槽所(五郎島町) 金沢市
〇 金沢駅、北陸自動車道
金沢駅 背後にポルテ金沢、日航金沢ホテル(広岡)、 中央の高架道路、北陸自動車道(西都) 金沢市
〇 県民の杜、県庁駐車場の街路樹
背後に遠く 、金沢港、日本海 金沢市鞍月
県民の杜、県庁西、北口駐車場、紅葉はアメリカフウ、黄葉はイチョウ、緑葉はタブノキ、街路樹 金沢市鞍月
(参考資料)
〇 晩秋の落葉樹(11月10日)、紅葉、黄葉から落葉、樹高千丈、落葉帰根、落地生根、とは(2015.11.11): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-8b50.html
落葉樹は、晩夏から秋にかけ、冬芽を形成し、晩秋から冬にかけ、緑葉が紅葉、黄葉、橙褐葉に変化し、ことごとく葉を落として、冬を越して、春の芽吹きを待つことになります。
ケヤキ(ニレ科)は、空に向かって手を伸ばす樹形で、春の新緑、夏には緑葉で、大気の浄化や風を防ぐ街路樹ともなり、秋から冬にかけ、紅葉、黄葉、橙褐葉となり、落葉します。
駅西けやき大通(俗称50m道路、石川県道60号、金沢田鶴浜線)
ケヤキ 鞍月街路 、駅西けやき大通(俗称50m道路、石川県道60号)
(解説) 中国の諺、樹高千丈(じゅこうせんじょう)、落葉帰根(らくようきこん)は、樹木がどんなに高くても、落ちる葉は、また、根元に帰り、腐葉土となり、木を育てる、とのことです。
これは、中国禅宗六祖、慧能(えのう)、638年(貞観12年)~713年(先天2年)の言葉で、人間が年老いて昔を懐かしみ、生まれ育った故郷に帰りたくなる思いを、高木の落ち葉に喩えた、と言われています。
一方、落地生根(らくちせいこん)は、地に落ち、そこで根を下ろす、すなわち、自分がいま生きている場所が故郷である、という言葉です。
(参考資料)
〇 晩秋の紅葉、黄葉(10月から11月)、緑葉から紅葉、黄葉、橙褐葉へ、イロハモミジ、アメリカフウ、ニシキギ、ヒイラギナンテン、イチョウ、ケヤキ、とは(2015.11.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/11/post-0535.html
〇 白山スーパー林道(石川)の蛇谷渓谷と紅葉(こうよう)、秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)、冬芽、落葉帰根、とは(2009.11.4): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/38.html
〇 落葉の季節(2010年12月はじめ)、わが家(桜田、金沢)近くの金沢幹線道路沿いのヤマボウシ(山法師)、葉柄(枝)のもと近くの冬芽、中国の諺の樹高千丈、落葉帰根、落地生根、とは(2010.12.2): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/147.html
晩秋(10月から11月)になると、落葉樹は、緑葉から紅葉、黄葉、橙褐葉に変化し、野山、公園、街路の多彩な風景は、見応えがあります。
紅葉(こうよう)は、葉の細胞の液胞(えきほう)中のアントシアニンが増し、葉緑素(クロロフィル)が分解するために起こり、一方、黄葉(こうよう)は、葉の葉緑素が分解し、黄色色素(カロチノイド)が残るために見られます。葉が枯れると橙褐色となります。
晩秋(10月から11月)となり、紅葉には、イロハモミジ、アメリカフウ、ニシキギ、ヒイラギナンテン、ドウダンツツジ、ナンキンハゼ、黄葉には、イチョウ、紅葉、黄葉、橙褐葉などが混じった葉には、ケヤキなどが著明となっています。
〇 イロハモミジ(いろは紅葉、カエデ科)
イロハモミジ 兼六園
イロハモミジ 県民の杜
〇 アメリカフウ(アメリカ楓、マンサク科)
アメリカフウ 広坂街路
アメリカフウ 鞍月街路
〇 ニシキギ(錦木、ニシキギ科)
ニシキギ 鞍月セントラルパーク
ヒイラギナンテン 鞍月街路
〇 ドウダンツツジ(満天星躑躅、ツツジ科)
ドウダンツツジ 県庁駐車場
ドウダンツツジ 鞍月磯のひろば公園
〇 ナンキンハゼ(南京櫨、トウダイグサ科)
ナンキンハゼ 鞍月街路
イチョウ 鞍月街路
〇 ケヤキ
ケヤキ 鞍月街路
(参考資料)
〇 紅葉の季節(10月15日)、 紅葉があざやかな落葉樹、イロハモミジ(いろは紅葉、カエデ科)、とは(2015.10.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-9f84.html
〇 落葉樹の紅葉と常緑樹(10月20日)、県民の杜の庭木と街路樹のケヤキの紅葉、紅葉のドウダンツツジと常緑のヒラドツツジの生け垣、緑葉の間から新芽の紅葉が出たカナメモチの生け垣、とは(2015.10.21):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-191f.html
(追加説明)
〇 金沢市広阪のアメリカフウ(楓) 並木道は約250mで、47本のアメリカ楓が植えられている。市民からは「アメリカ楓通り」と呼ばれ、親しまれている。見ごろは11月上旬までだという。
金沢城探訪
〇 河北門 、金沢城の実質的な正門
河北門は、金沢城の実質的な正門でです。高麗門の一の門、櫓門の二の門、枡形土塀で構成された枡形門で、屋根は鉛瓦です。金沢城三の丸の入口で、真向かいの石川門へと通じています。
石川門は、金沢城の搦手門(裏口)門で、兼六園の真向かいにあり、城下町金沢のシンボルとなっています。この白い薄い雪化粧を思わせる屋根は、3代藩主前田利常の頃から鉛瓦となっています。
金沢城三の丸への入口で、 高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓とニ層二階建ての石
金沢城の鉛瓦の屋根は、加賀藩が、いざというときに備え、銃弾資材を、このような形で備蓄していたとか、鉛瓦の中に蓄財用の金、銀を鋳込んであった、との言い伝えがありました。また、土塀の鉄砲狭間と鉛瓦屋根の石落としで金沢城を守りました。
現在、国の重要文化財、石川門、三十間長屋のほか、近年、再建された、河北門、二の丸の橋爪門と続き櫓、菱櫓、五十間長屋など、全て鉛瓦葺きで、今も江戸期の面影を残しています。
〇 鉛に耐性のあるシダ植物、金山草、ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)
鉛瓦の白い物質は鉛白(塩基性炭酸鉛)ですが、酸性の雨水や降雪に溶けるので、鉛瓦の下の石垣には、鉛に耐性のある、金山草の異名をもつ、シダ植物、ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)が散生しています。
加賀藩初代藩主、前田利家の頃から、加賀藩お抱えの穴生(あのう、石垣専門職人)として、穴太家、後藤家、戸波、正木などがありました。
金沢城は、石垣の博物館とも呼ばれ、主な石組みの技法は、最古の自然石積みのほか、粗加工石積み、切石積みなど、各時代の様々な技法が見られます。
〇 2代藩主利長正室、玉泉院の屋敷跡、玉泉院丸庭園
玉泉院庭園は、3代藩主前田利常の頃、城内に引かれた辰巳用水を水源とし、池底から周囲の石垣の最上段までの距離が、高低差22mの立体的な池泉回遊式庭園となっています。
(参考資料)
〇 金沢城の石川門と屋根の鉛瓦にまつわる歴史伝承、金沢城の歴史、逸話(利常と幕府、綱紀と幕府)の関係、とは(2009.5.30):
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2009530-9dd2-1.html
〇 金沢城石川門の鉛瓦とシダ植物ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)、土壌とヘビノネゴザ組織内の鉛の分布状態、
自然環境の鉛汚染と浄化:、とは(2009.5.30): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2009530-db44-1.html
〇 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ
(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/2010722-6089.html
〇 冬の雪を氷室に納め夏に江戸の徳川将軍に献上、金沢城(玉泉院丸の穴蔵)と兼六園(山崎山裏の凹地)の氷室、
日本最古の噴水、とは(2009.7.16):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/2009716-fa41.html
金沢城は、もと真宗(一向宗)の本拠地、金沢御坊の跡地と言われています。特に、兼六園から金沢城址に至る小立野台地は、大量の砂金層を含み、砂金台地と呼ばれていました。戦国期には、流浪の金屋たちが砂金を採掘していました。
現在の犀川と浅野川は、10数万年前には大きな一つの川であって、洪水による川の氾濫が繰り返され、砂金を含む土壌を堆積した後、二つの川が両側を侵食し、小立野台地(砂金台地!)が形成されたことが地質調査で確認されています。
犀川上流には、倉谷鉱山の鉱脈(少量の金と銀を含む黄銅鉱など)があり、砂金は、鉱脈が風化作用を受け、鉱物から分離し、金の粒として残ったものと考えられます。
金城霊沢 加賀藩12代藩主、前田斉広が、江戸後期、1823年(文政6年)、清水が湧き出る泉の周囲に、丸い石の枠と覆屋(おおいや)をつくりました。
1839年(天保10年)、13代藩主、前田斉秦の時、金城霊沢の額が掲げられました。
覆屋(おおいや)の天井絵、龍之図 広田百豊(1876~1955)加賀市出身、日本画家が1936年(昭和11年)に描いたもの、もとは江戸初期、狩野派の絵師、狩野探幽の筆による竜の絵であったが、傷みがひどくなり、広田が描き直しました。
金城霊沢 湧水 兼六園東南端 何かの願いを込めて、多くの一円硬貨が投げ込まれています!
水鉢の端のところで一円玉をそっと浮かべ、手で少し波立たせると、一円玉は沈まず、
水鉢の中央まで動かすことができます。これができると、願いが叶うという!
また、よきご縁を求めたのか、5円硬貨も散見されます!
金城霊沢の石碑 金城霊沢の背後 多くの奇石から鳳凰の形に作った洞窟
(解説) 兼六園には、昔から東南端に、清水が湧き出る泉がありました。この沢水を利用して、小立野台地の砂金層を採掘し、わんかけ法で砂金を採取していました。そこで、この湧き水は、金堀沢、金洗沢と呼ばれ、金沢の名の由来となっています。
加賀藩12代藩主、前田斉広が、江戸後期、1823年(文政6年)、清水が湧き出る泉の周囲に、丸い石の枠と覆屋をつくりました。その後、1839年(天保10年)、13代藩主、前田斉秦の時、金城霊沢の額が掲げられ、今も絶えることなく水鉢の底から清水が湧き出しています。
立札の伝説では、芋掘藤五郎が、山芋の根毛を洗うと、多くの砂金がとれたので、この泉は金洗沢と呼ばれ、金沢の地名の起源となったという。
金沢という地名は、石川のほか、全国各地に約60ヵ所あり、岩手、秋田、山形、福島、茨木、栃木、神奈川、長野では金の産出に関係があります。また、愛知、青森、埼玉、滋賀、静岡、千葉、徳島、鳥取、奈良、新潟、兵庫、北海道にも金沢の名が見られます。
(参考資料)
〇 兼六園の中の名水、、金城霊沢と金沢神社の手水舎の水、金沢市内の湧水の水質(ヘキサダイヤグラム)、とは(2009.6.7):
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/200967-9e2a.html
〇 金沢の名前の由来(ビューティーホクリク、観光情報マガジン): http://beauty-hokuriku.com/p/kanazawa-origin
(追加説明)
イタリアのローマの観光名所、トレビの泉は、18世紀に建設され、後ろを向いて泉の中にコインを投げ入れると願いがかなうという言い伝えで知られています。
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