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2016年1月11日 (月)

消防出初め式、加賀鳶(1月10日)、江戸時代、加賀藩邸お抱えの火消し人夫、梯子登り、基本は破壊消防法、とは(2016.1.11)

  金沢市の消防出初め式が昨日(1月10日)、金沢城公園で開かれ、約1300人の市消防局職員、消防団員が参加しました。県無形民俗文化財に指定される42分団の加賀鳶(とび)はしご登り、また、下帯姿の団員が一斉放水を披露し、約4200人の観客を沸か  せました。

 加賀鳶とは、江戸時代、加賀藩が本郷(江戸)の藩邸に抱えていた火消し人夫でしたが、特権意識が強く、一般町の火消しとの対立が絶えなかったと言う。火事と喧嘩(けんか)は江戸の華(はな)と言われるほど、江戸では火災が頻繁に起こっていました。

 江戸時代の消防法の基本は、破壊消防法であり、加賀鳶(かがとび)においても、鳶口(とびぐち)は火を消す道具ではなく、家を壊す道具でした。カケヤという大型の鎚(つち)も同じものでした。燃えだしたら仕方がないから、周りの家を壊して防火帯をつくるための道具でした。現在、家屋の延焼防火帯(火除土手を設けた広い街路)として、広小路の名が、日本各地に残っています。

 1869年(明治2年)、加賀藩最後の藩主(旧14代藩主)、金沢藩知事、前田慶寧(よしやす)は、加賀鳶38人を連れてきて、町方の手勢を加え、藩の定火消として常駐させました。

 加賀鳶には、梯子(はしご)登りの妙技があり、一本火の見、をはじめ、夢枕肝返り鯱鉾(しゃちほこ)逆さ大魂つぶし八艘(はっそう)飛び背亀鶯(うぐいす)の谷渡りなど、47種の技が伝えられています。

Photo_2

 加賀鳶(とび)の「梯子(はしご)登り」を披露する消防団員、 足首をはしごに固定して、地面と水平に体を伸ばす、鶯(うぐいす)の谷渡り、金沢城公園 、金沢市丸の内1-1、石川県、2016年(平成28年)1月10日(日)、(北陸中日新聞画像

(参考資料)

  金沢城の大火事にまつわる歴史実話、火元(落雷、フェーン現象、火の不始末)、火消し(加賀鳶、破壊消防法)、とは(2010.3.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/66.html

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● かなざわ(金沢城、兼六園、野田山、加賀藩主前田家墓所)」カテゴリの記事

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