カテゴリー「スポーツ」の8件の記事

2016年1月13日 (水)

大相撲初場所(1月10日)、両国国技館、相撲の始まり、横綱土俵入り、シコを踏む、塩を撒く、弓取り式、石川の大相撲力士、とは(2016.1.13)

 大相撲初場所が、初日(1月10日)、両国国技館(東京)で、天皇、皇后陛下を迎え始まりました。日本相撲協会、八角理事長(元横綱北勝海)が、初日恒例の教会挨拶で土俵に立ち、「歴代理事長の志を受け継ぎ、大相撲の歴史、伝統、文化、誇りを一生懸命に守っていく」と言葉に力を込めました。

 昨年11月、北の湖理事長(元横綱)の急逝を受け、同12月に理事長職に就き、初となる本場所での決意表明となりました。

 古代、相撲は、豊作祈願の信仰に由来するという。横綱土俵入りに、その姿が伝えられ、横綱は、しめ綱を巻き、神に仕える姿で、シコを踏みました。 ドシンドシンと土を踏むと地力が高まり、農作物がよくできるという。

 塩を撒くのは、体を清める儀式です。相撲のシコの字、四股は、もと醜で、みにくいという意味ではなく、強いことを意味し、シコを踏むというのは、強い相手を踏み破る、示威行為でした。

 弓取り式は、第11代将軍、徳川家斉の上覧相撲のとき、第4代横綱、谷風が弓を賜り、これを手に、敬い奏げて四方に振り回しと、舞って見せたのが、現在の弓取式の始まりという。

 石川県は相撲王国で、かって、横綱には、阿武松(おうのまつ)、第6代横綱(1791~1851、1828~1835、8年間、能登、石川県)、輪島(わじま)、第54代横綱(1948~、1973~1981、9年間、七尾、石川県)がいます。

 現在、幕の内には、11枚目、遠藤(能登、追手風部屋、25歳)、16枚目、輝(七尾、高田川部屋、21歳)2名のほか、幕下3名、三段目4名、序二段2名の力士が活躍中です。

Photo_2
第11代将軍、徳川家斉の上覧相撲第4代横綱、谷風を賜り、これを手に「敬い奏げて四方に振り回し」舞って見せたのが現在の弓取式の始まりという、1791年(寛政3年)5月、江戸城吹上、google画像) (上覧相撲(すもうの歴史ナビ、google画像): http://sports.geocities.jp/sumou_caffe/index.html,)

(参考資料)

〇 相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/121.html

〇 大相撲初場所(1月12日)、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、江戸時代、第6代横綱の阿武松(おうのまつ、能登、石川県)は、長州藩(山口県)毛利家のお抱え力士、シコ名は萩(山口県)の名勝「阿武の松原」に由来、とは(2015.1.12):http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-7feb.html

2015年8月25日 (火)

ラジオ体操(8月25日)、夏休み中の小学生児童、鞍月磯のひろば公園、ラジオ体操の歌、とは(2015.8.25)

 大型の強い台風15号が今朝(8月25日)、熊本、九州北部に上陸し、日本海を北上しています。北陸地方も湿った北東の風が吹き込み、昼過ぎから夕方にかけ、降雨80%とのことです。

 金沢の早朝は、青空も見え、近くの鞍月磯のひろば公園では、6時30分ころ、夏休み中の小学生児童による恒例のラジオ体操がありました。ここは、市民の憩いの場のほか、災害避難場所ともなっています。

P8253962_3

P8253963

P8253965

ラジオ体操、夏休み中の小学生児童、鞍月磯のひろば公園、金沢市鞍月、2015.8.25

〇 ラジオ体操の歌   作詞: 藤浦洸  作曲: 藤山一郎

  1. 新しい朝がきた 希望の朝だ
    喜びに胸をひらけ 大空あおげ
    ラジオの声に 健やかな胸を
    この香る風に 開けよ
    それ 一 二 三

  2. 新しい朝のもと 輝く緑
    さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
    ラジオとともに 健やかな手足
    この広い土に 伸ばせよ
    それ 一 二 三

〇 ラジオ体操の歌(Dorita Daishi, YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=vepZRXHJV4g

(解説) ラジオ体操は、保険体操の一つで、ラジオ放送による音楽と号令に合わせて行う体操です。1928年(昭和3年)11月、簡易保険局が御大典記念事業の一つとして制定した国民保険体操を、NHKのラジオ放送により、全国に普及指導したのが始まりです。

 第二次世界大戦後廃止されましたが、1951年(昭和26年)5月、新ラジオ体操(第1体操)が生まれ、翌52年5月に第2体操も加えられ、今日に至っています。第1・第2体操とも、基本的な動作を主流として、13種の運動を連続的に編成してあります。

 ラジオ体操の歌(童謡、唱歌)は、作詞: 藤浦洸、作曲: 藤山一郎によるラジオ体操テーマソングです。夏休みの早朝には、小学生児童らが出席カードを持って町内の公演や広場に集まり、ラジカセから流れるラジオ体操の音楽に合わせて体操を行う光景が見られます。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991) 

2015年1月12日 (月)

大相撲初場所(1月12日)、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、江戸時代、第6代横綱の阿武松(おうのまつ、能登、石川県)は、長州藩(山口県)毛利家のお抱え力士、シコ名は萩(山口県)の名勝「阿武の松原」に由来、とは(2015.1.12)

  古代相撲(すもう、角力)は豊作祈願の信仰から起こったという。相撲取は、しめ綱(締綱)を巻き、神に仕える姿で、シコ(四股)を踏みました。ドシンドシンと土を踏むので、地力が高まり、農作物がよくできるという。横綱土俵入りに、その姿を伝えています。

 を撒(ま)くのは、体を清める儀式です。なお、相撲四股(シコ)は、当て字で、もとの字は、(シコ)と書きます。 この(シコ)は、みにくいという意味ではなく、強いことを意味し、シコ踏むというのは、強い相手を踏み破るための、示威行為(じいこうい)という。

 江戸時代、武士(大名、旗本)は屋敷内で、足軽などに相撲を取らせ観戦して楽しみました。一方、庶民は江戸、京都などの街の四辻や広小路で辻相撲を楽しみました。

 その後、神社やお寺を建てる寄付金集めの勧進相撲(かんじんずもう)も始まり、次第に恒常的に行われるようになり、相撲取職業化し、1624年(寛永元年)、初代横綱明石志賀之助(あかししがのすけ、生没未詳、)が努め、以来、白鵬、日馬富士、鶴竜まで、71名の横綱が誕生しています。

1

第6代横綱 阿武松(おうのまつ 、1791~1851、能登石川県)、Google画像) 阿武松(おうのまつ 、ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%AD%A6%E6%9D%BE%E7%B7%91%E4%B9%8B%E5%8A%A9; 顕彰碑(能登町、石川県):http://www.hot-ishikawa.jp/sys/data?page-id=5790; 玉泉院、もと浄心寺の塔頭の一つ、玉泉寺、江東区、東京): http://ginjo.fc2web.com/006ohnomatu/itabasi.htm

(解説) 石川県出身の横綱には、阿武松(おうのまつ)、第6代横綱(1791~1851、1828~1835、8年間、能登、石川県)、輪島(わじま)、第54代横綱(1948~ 、1973~1981、9年間、七尾、石川県)の二人がいます。

 阿武松(おうのまつ)は、能登(石川県)生れですが、1975年(寛政7年)正月、長州藩(のち山口県)毛利家の抱えとなり、10月小結、1976年10月関脇、1977年10月大関となりました。 その後、1978年(寛政10年)3月、萩(山口県)の名勝「阿武の松原」の名を取って阿武松緑之助と改名、これは、長州第10代藩主、毛利 斉熙(もうり なりひろ、1784~1836)直々の命名でした。

 1979年(寛政11年)2月吉田司家から横綱免許を受けました。31年ぶりの横綱であり、 8年間横綱を務めて1835年(天保 6年)10月引退。 力士名のまま年寄となりました。 173cm、135kg。免許後江戸成績75勝15敗21分6預16休でした。現在、「阿武松」の名は日本相撲協会の年寄名跡の一つとされ、一種の止め名となっています。

 色白の肥満型で、力が籠ると満身赤を注いだようになり、その姿は錦絵と称されました。 が、取り口は慎重を極め、待ったなど、作戦的な立合いが多く、「待った、待ったと、阿武松でもあるまいし」(甲子夜話)、と江戸の流行言葉にもされました。人物は温厚で義理堅く、少しも天狗になることがなかったので、江戸っ子たちの厚い支持を受け、人気は絶大だったという。 

 1909年(明治42年)、勧進相撲を開いていた、回向院(えこういん、両国、東京)境内に、旧国技館が建てられました。

 今年の大相撲初場所が、1月11日より、国技館で始まりました。新春の初土俵は、大鵬を抜いて単独、史上最多33度目の優勝と5連覇を狙う横綱白鵬は、小結栃煌山を突き落とし、白星スタートを切りました。また、将来の土俵を担う、人気の逸ノ城(モンゴル、21歳)と遠藤(24歳、穴水、能登、石川)の初顔合わせは、遠藤が巨漢をよりきりで勝ちました。

(参考資料) 

○ 相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/121.html

2014年2月 6日 (木)

第22回 冬季オリンピック(ソチ、ロシア)、スキーとスケートの滑る原理、スキー(ノルディック、アルペンなど)、スケート(スピード、フィギュアなど)の歴史、とは(2014.2.6)

 第22回 冬季オリンピックが、 2014年(平成26年)2月6日(木)~23日(日)まで、ソチ(ロシア)で開催されます。オリンピック競技には、スキー(アルペン、ノルディックなど6種目)、スケート(フィギュア、スピードなど3種目)、その他(アイスホッケー、バイアスロンなど6種目)の競技があります。

そこで、改めて、スキーとスケートの氷雪、氷の上で滑る原理、また、その歴史について調べて見ました。

 スキーとスケートの滑る原理

0000000233_discussion_0021_2

氷の結晶構造(左 氷の表面が融解、 右 氷の結晶構造、灘 浩樹氏 提供Google画像) 古川義純(こだわりアカデミー、北海道大学低温科学研究所): http://www.athome-academy.jp/archive/mathematics_physics/0000000233_all.html

(解説) 氷に一定の圧力が加えられると、氷の表面が融解し、乱れた水の分子構造(擬似液体層)になることで、スキーやスケートが滑るようになります。

 スキーは雪氷の上で、また、スケートは氷の上で滑り、スピードや演技を競います。この氷の上で滑る原理としては、両足には用具を付け、氷に体重による圧力が加えられ、その部分の融点が下がります。すると、周囲から熱を吸収して氷が解けて水になります。 

 が、滑り去り、圧力がなくなると、直ちに潜熱を放出して、もとの氷にもどります。ということで、滑るとき復氷(ふくひょう)現象が繰り返されていると考えられます。(圧力融解説)  これは、凍結した路面のスリップ事故の原因ともなっています。

 一方、両足にスキー板やスケートのブレード(刃)を付け、氷の表面を滑ると、用具と氷との間に摩擦熱が発生し、接触面の氷がわずかに融けて、これが潤滑の役割を果たすという説もあります。(摩擦融解説) 現在では、これら2つの説の両方が関与して滑る、と説明されています。 

 ○ スキーの歴史

 スキー(もとノルウェー語)は、雪の上を歩き、滑って進むために、それぞれ両足にはく細長い板状の用具、また、これを用いて行う雪上のスポーツのことです。

 北欧~アジア北部で古くから雪上歩行に用いられていたのが起源とされています。江戸時代、1770年(明和7年)前後に、ノルウェーのクリスチャニア(現オスロ)を中心に近代スポーツとして発達しました。 のち中欧に伝えられ、険しいアルプス山系を背景として、オーストリアのM.ツダルスキー(1856~1940)によりシュテム技術を特徴とする新スキー術が編み出されました。彼は「アルペン・スキーの父」と呼ばれています。

 この技術はさらにオーストリアのH.シュナイダー(1890~1955)に受け継がれ、1920年(大正9年)頃、アールベルク・スキー術としてまとめられました。これはアルペン競技の起源となりました。

 ノルディック競技はノルウェーを中心に北欧の丘陵地帯で発達したスキー競技です。その種目には距離競技、ジャンプ競技、複合競技などがあり、1924年第1回(シャモニー)より冬季オリンピック種目となっています。

 アルペン競技は、中欧のアルプス山系をを背景に発達したスキー競技です。その種目には、滑降競技、回転競技、大回転競技、新複合競技(アルペン複合競技)などがあり、いずれも急峻な山から滑り降りるダイナミックな競技で、1936年の第4回(ガルミッシュ・パルテンキルヘン)大会より冬季オリンピック種目となっています。

 1924年(大正13年)、世界スキー連盟(FIS)が結成されました。日本では1911年(明44年)、オーストリアのレルヒ少佐が新潟県高田市((現、上越市)で講習したのに始まります。

 現在、スキーリフト等の完備したゲレンデが各地に作られ、観光事業と相まって冬季レクリエーションとして人気を博しています。 スキー板は合板、メタル(ジュラルミンなど)、グラスファイバー製などが用いられています。 

 スケート の歴史

 スケート(アイス⁻スケート、スケーティングとも)は、編上げ靴の底に鋼製のブレード(金具)を取り付けた氷上滑走用具、また、これを用いて氷の上を滑走するスポーツです。

 古くから北欧等で交通の手段遊戯として行われ、17世紀ころからスポーツ化しました。1892年(明治25年)、国際スケート連盟が設立されました。日本には1877年(明治10年)に初めて紹介されました。

 競技には、スピードスケート、フィギュアスケート(ショート、2分およびフリー、4分)、ホッケーなどがあり、スケート靴もスピード用、フィギュア用、ホッケー用の別があります。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991).

(参考資料)  ○ 冬季オリンピック(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

○ 第22回 オリンピック冬季競技大会(日本オリンピック委員会): http://www.joc.or.jp/games/olympic/sochi/

2012年7月14日 (土)

運動会(軍事訓練から健全娯楽へ!)、国民体育大会(民主国家再建と国民健全娯楽の振興!)、第1回近畿国体、第2回石川国体、第3回福岡国体(以後都道府県持ち回り)、とは(2012.7.14)

   運動会は、1874年(明治7年)に海軍兵学寮で行われた、かけ足、つな引きなどの「競闘遊技会」に始まるといわれる。このイギリス式のレクリエーッション的な性格が強いアスレチック・スポーツの競技会は、東京大学予備門(のち第1高等中学校)で英語を教えていたおやとい教師、ストレンジにより、1883年(明治16年)10月に大学の運動場で、運動会としては1885年(明治18年)に行われ、高等教育機関に広がりました。

 また、森有礼(もりありのり、1847~1889)文相が鍛錬(たんれん)のために兵式体操を導入してからは、小学校での運動会が普及しました。1900年代に入り、就学率が90%を越えると、父母や地域住民も参加した、お祭りのような健全娯楽の行事となりました。 日本のスポーツ100年のあゆみ(日本体育協会): http://www.japan-sports.or.jp/portals/0/data0/jasa100th/ayumi/index.html

○ 国民体育大会(略称、国体 

 国民体育大会(略称、国体)は、戦後の国内最大の総合競技大会です。 その前身体育大会には、明治神宮競技大会(1924~1925)、同体育大会(1926~1937)、同国民体育大会(1939~1941)、同国民錬成大会(1942~1943)などがあります。

 1946年(昭和21年)、大日本体育会(1948年(昭和23年)日本体育協会に改称)は、第1回国民体育大会京阪神地区主催しました。 この体育大会は、「明るい希望と勇気をを与える大会」として、日本の復興を願い、「民主国家の再建」と「国民の健全娯楽の振興」を期待していました。

 第2回石川国体から、大会シンボルマーク「30度右傾斜した赤色の松明を青色の円帯(幅はマーク全体の直径の1/10)で囲んだもの)と大会歌「若い力」が制定され、記念切手も初めて発行されました。また、昭和天皇のご臨席もありました。

 上述のように、主催は、太平洋戦争で大きな空襲被災を受けなかった、近畿の京都、奈良、滋賀、北陸の石川などの地域から開かれ、第3回福岡国体より都道府県持回りとなり、1949年(昭和24年)には開催県、1950年(昭和25年)には文部省(のち文部科学省が共催に加わりました。

  現在は、日本体育協会、文部省、開催都道府県の共催で、全国各地で毎年行われる全国都道府県対抗の総合競技大会となっています。 そして、冬、夏、秋の3季に分かれ、3大会の総合得点で競い、男女総合得点第1位に天皇杯、女子総合得点第1位に皇后杯が授与されます。

 天皇杯・皇后杯は、都道府県別ですが、第1・2回・1973年の特別大会では未施行です。第6・7・8回は冬と夏秋に分けられ、第9回では冬・水泳・夏秋に細分化されていました。また、大会名の前にある☆マークは冬の2大会・(夏)・秋の全3(4)大会を全て同一都道府県で行った完全国体です。なお、特記がない限り名称・開催地は秋季大会の名称・開催地と同じです(冬季大会は別の名称の場合もあります)。

回数名称開催地スローガン天皇杯皇后杯
1 1946年 近畿国体[備考 1] 京阪神地域 なし なし なし
2 1947年 石川国体[備考 1] 石川県
3 1948年 福岡国体 福岡県 東京 京都
4 1949年 東京国体 東京都 東京
5 1950年 愛知国体 愛知県
6 1951年 広島国体 広島県 北海道(冬) 北海道(冬)
東京(夏秋) 東京(夏秋)
7 1952年 東北3県国体 福島県
宮城県
山形県
北海道(冬) 北海道(冬)
東京(夏秋) 東京(夏秋)
8 1953年 四国国体 愛媛県
香川県
徳島県
高知県
北海道(冬) 北海道(冬)
東京(夏秋) 東京(夏秋)
9 1954年 北海道国体 北海道 北海道(冬) 北海道(冬)
奈良(水泳) 奈良(水泳)
東京(夏秋) 東京(夏秋)
10 1955年 神奈川国体 神奈川県 東京 東京
11 1956年 兵庫国体 兵庫県
12 1957年 静岡国体 静岡県 静岡
13 1958年 富山国体 富山県 東京
14 1959年 東京国体[備考 2] 東京都
15 1960年 熊本国体 熊本県
16 1961年 秋田国体 秋田県 明るい国体
17 1962年 岡山国体 岡山県 歴史をつくる岡山国体
18 1963年 山口国体 山口県 友愛・奉仕・躍進
19 1964年 新潟国体[備考 3] 新潟県 国体へ県民一致の力こぶ 新潟 新潟
20 1965年 岐阜国体 岐阜県 明るく つよく 美しく 岐阜 岐阜
21 1966年 剛健国体 大分県 剛健・友愛・信義 大分 東京
22 1967年 清新国体 埼玉県 成功させよう埼玉国体・
まごころで迎えよう埼玉国体
埼玉 埼玉
23 1968年 親切国体 福井県 明るくきよくたくましく 福井 東京
24 1969年 創造国体 長崎県 あすをひらく創造国体 長崎 長崎
25 1970年 みちのく国体 岩手県 誠実 明朗 躍進 岩手 大阪
26 1971年 黒潮国体 和歌山県 明るく・豊かに・たくましく 和歌山 大阪
27 1972年 太陽国体 鹿児島県 明るく たくましく うるわしく 鹿児島 鹿児島
1973年 若夏国体[備考 4] 沖縄県 強く、明るく、新しく なし なし
28 1973年 若潮国体 千葉県 輝く心 輝く力 輝く太陽 千葉 東京
29 1974年 水と緑のまごころ国体 茨城県 なし 茨城 茨城
30 1975年 三重国体 三重県 なし 三重 三重
31 1976年 若楠国体 佐賀県 さわやかに すこやかに おおらかに 佐賀 東京
32 1977年 あすなろ国体 青森県 心ゆたかに力たくましく 青森 東京
33 1978年 やまびこ国体 長野県 日本の屋根に手をつなぐ 長野 長野
34 1979年 日本のふるさと宮崎国体 宮崎県 伸びる心、伸びる力、伸びる郷土 宮崎 宮崎
35 1980年 栃の葉国体 栃木県 のびる力 むすぶ心 ひらくあした 栃木 栃木
36 1981年 びわこ国体 滋賀県 水と緑にあふれる若さ 滋賀 滋賀
37 1982年 くにびき国体 島根県 このふれあいが未来をひらく 島根 島根
38 1983年 あかぎ国体 群馬県 風に向かって走ろう 群馬 群馬
39 1984年 わかくさ国体 奈良県 駆けよ大和路 はばたけ未来 奈良 奈良
40 1985年 わかとり国体 鳥取県 明日へ向かって はばたこう 鳥取 鳥取
41 1986年 かいじ国体 山梨県 ふれあいの場をひろげよう 山梨 山梨
42 1987年 海邦国体 沖縄県 きらめく太陽、ひろがる友情 沖縄 沖縄
43 1988年 京都国体 京都府 新しい歴史に向かって走ろう 京都 京都
44 1989年 はまなす国体 北海道 君よ今、北の大地の風となれ 北海道 北海道
45 1990年 とびうめ国体 福岡県 ときめき 出会い みなぎる力 福岡 福岡
46 1991年 石川国体 石川県 すばらしき 君の記録に わが拍手 石川 石川
47 1992年 べにばな国体 山形県 思いっきり躍動 21世紀の主役たち 山形 山形
48 1993年 東四国国体 香川県
徳島県
出会い 競い そして未来へ 香川 香川
49 1994年 わかしゃち国体 愛知県 いい汗キャッチ!生き生き愛知 愛知 愛知
50 1995年 ふくしま国体 福島県 友よほんとうの空にとべ! 福島 福島
51 1996年 ひろしま国体 広島県 いのちいっぱい、咲きんさい! 広島 広島
52 1997年 なみはや国体 大阪府 おおさか ふれ愛 夢づくり 大阪 大阪
53 1998年 かながわ・ゆめ国体 神奈川県 おお汗 こ汗 神奈川 神奈川
54 1999年 くまもと未来国体 熊本県 人、光る。 熊本 熊本
55 2000年 2000年とやま国体 富山県 あいの風 夢のせて 富山 富山
56 2001年 新世紀・みやぎ国体 宮城県 いいね!その汗、その笑顔 宮城 宮城
57 2002年 よさこい高知国体 高知県 いしん前進 東京 東京
58 2003年 NEW!!わかふじ国体 静岡県 “がんばる”が好き 静岡 静岡
59 2004年 彩の国まごころ国体 埼玉県 とどけ この夢 この歓声 埼玉 埼玉
60 2005年 晴れの国おかやま国体 岡山県 あなたがキラリ☆ 岡山 岡山
61 2006年 のじぎく兵庫国体 兵庫県 “ありがとう”心から・ひょうごから 兵庫 兵庫
62 2007年 秋田わか杉国体 秋田県 君のハートよ位置につけ 秋田 秋田
63 2008年 チャレンジ!おおいた国体 大分県 ここから未来へ 新たな一歩 大分 大分
64 2009年 トキめき新潟国体 新潟県 トキはなて 君の力を 大空へ 新潟 新潟
65 2010年 ゆめ半島千葉国体 千葉県 今 房総の風となり この一瞬に輝きを 千葉 千葉
66 2011年 おいでませ!山口国体 山口県 君の一生けんめいに会いたい 山口 山口
67 2012年 ぎふ清流国体 岐阜県 輝け はばたけ だれもが主役 未施行 未施行
68 2013年 スポーツ祭東京2013 東京都 東京に 多摩に 島々に 羽ばたけアスリート 未施行 未施行
69 2014年 長崎がんばらんば国体 長崎県 君の夢 はばたけ今 ながさきから 未施行 未施行
70 2015年 紀の国わかやま国体 和歌山県 躍動と歓喜、そして絆 未施行 未施行
71 2016年 未定 岩手県 未定 未施行 未施行
72 2017年 未定 愛媛県 未定 未施行 未施行
73 2018年 未定 福井県 未定 未施行 未施行
74 2019年 未定 茨城県 未定 未施行 未施行
75 2020年 未定 鹿児島県 未定 未施行 未施行
76 2021年 未定 三重県 未定 未施行 未施行
  1. 第1回は、会計年度に準じた大会日程を組んだため、秋季競技会の終了後に冬季大会を行う日程を組んだ(よってこの大会は、夏→秋→冬の順番だった。しかし選手団輸送の問題で、この第1回冬季大会は実施されなかった)。これは戦前の神宮競技大会(国民練成大会)も同様の日程で行われた名残でもあった。そのため、暦年制となった第2回では冬季大会が行われず、第3回から現在の方式(冬→(夏)→秋。冬季は第3回が実質初回となる)という形が定着しています。
  2. 愛知・三重・岐阜県は、伊勢湾台風の影響により参加せず。
  3. 東京オリンピックの開催の都合もあるため、秋季大会を春季(6月)に繰り上げて開催。また夏季大会はその直後に発生した新潟地震の影響で取り止めとなった。
  4. 本土復帰記念の特別国体です。

(解説) 開催都道府県の勝利至上主義が顕在化、1964年(昭和39年)の新潟国体以降、開催都道府県が総合優勝杯である天皇杯・皇后杯を獲得することがほぼ常態化しています。 国民体育大会(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%BD%93%E8%82%B2%E5%A4%A7%E4%BC%9A

 その原因として、開催県の代表が予選結果に関係なく全種目に出場出来るいわゆる、フルエントリー制の存在や、開催県が選手強化や大会運営、会場とする施設の新設に資金を注ぎ込んでいることが起因していると言われています。

 第19回新潟国体は、1964年(昭和39年)1月26日~6月11日(春季)開催されましたが、同年6月16日、M7.5の新潟地震が起こり、8月の夏季大会は中止、同年10月10日~24日、東京オリンピックが開催されました。池田首相はオリンピック閉会後、病気のため11月9日退陣、佐藤内閣tが発足しました。

 私は、国民体育大会の開催地として、戦後第1回は近畿国体(京都府、大阪府、滋賀県、奈良県、兵庫県、和歌山県)、第2回は石川県(金沢市、小松市、七尾市、松任町、大聖寺町)が選ばれたのは、幸いにも太平洋戦争の時の米軍の空襲被害が少なかった地域が中心になっていると思いました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991);樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、散歩出版(1994); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)、岩波書店(1999).

(参考資料) 国民体育大会国体、ホームページ日本体育協会):http://www.japan-sports.or.jp/kokutai/tabid/62/Default.aspx. 

2012年7月 8日 (日)

オリンピック、古代オリンピック(主神ゼウスの祭典、競技会、オリンピア)、近代オリンピック(フランス人のクーベルタン提唱、オリンピック競技大会、日本の参加と開催)、とは(2012.7.8)

   第30回夏季オリンピック競技大会は、 ロンドン(イギリス)で、2012(平成24年)年7月27日(金)に開会式を迎え、 17日間で26競技(204か国参加、302種目)を行い 、2012(平成24年)年8月12日(日)に閉幕(時差イギリスは日本より8時間遅れ)となっています。 第30回夏季オリンピック競技大会(競技日程、2012/ロンドン): http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/schedule/.そこで、世界平和と国際親善をめざすスポーツの祭典オリンピックの歴史について、改めて調べて見ました。

 古代オリンピック(主神ゼウスの祭典、競技会、オリンピア)

 古代ギリシャオリンピアで、紀元前776年から紀元393年まで、4年ごとに行った主神ゼウスの祭典(オリンピア祭)。時期は8月の満月の頃で、同時に運動・詩・音楽などの競技会古代オリンピック)が行われました。が、テオドシウス(347~395)帝の異教禁止令によって393年の293回を最後に廃止、すなわち、キリスト教が国教となり、他の神を信仰することを許されなかったため、古代オリンピックは滅びました。

250pxtempio_di_zeus_olimpia_april_2

ゼウスの神殿跡(古代オリンピア、ギリシャ、google画像) 古代オリンピック(ウィキペディア):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

(解説) オリンピアは、 古代ギリシャ、ペロポネソス半島北西部エリス地方にあった都市で、ゼウスの神殿があり、宗教の中心、オリンピック競技発祥地です。 ゼウスはギリシャ神話の最高神で、空を支配すると共に政治・法律・道徳などの人間生活をも支配する神で、ローマ神話のジュピター(ローマ神話の天空神で、国家の三主神の一)に当たる。 オリンポスは、ギリシャ北部、テッサリアとマケドニアとの境界にある、ゼウスをはじめオリンポスの12神のほか、ギリシャ神話の諸神が住んだという、高さ2917mの峻峰です。 

 オリンピアードはオリンピア祭と次のオリンピア祭との間の4年の時期で、紀元前776年来、古代ギリシャ人はこれを基準として年代を数えていました。そして、古代ギリシャの暦数の単位は、オリンピックの中間の4年1オリンピアードとしていました。

 この故事ににならい、第1回アテネ・オリンピック大会の開かれた1896年を近代オリンピアード第1期の1年目とし、転じてオリンピック大会を意味するようになりました。

 近代オリンピック(フランス人のクーベルタン提唱、オリンピック競技大会)

 1894年パリ万国博を機に、古代オリンピック精神の復活を願うフランス人ピエール・ド・クーベルタン(1863~1937)の提唱によりパリ国際アスレチック会議を開催、大会を統括する国際オリンピック委員会(IOC)を設立、1896年4月の第1回大会(アテネ)が14か国、8競技種目で開催されました。 

近代オリンピック(誕生の瞬間)

Img0021

IOC委員(1896年、一番右で立っているのがクーベルタン、Photo:Getty Images/AFLO、google画像) オリンピズムクーベルタンとオリンピズム、日本オリンピック委員会): http://www.joc.or.jp/olympism/coubertin/

(解説) 1892年、若い教育者のピエール・ド・クーベルタン(1863~1937、30才)は、古代のオリンピア競技を再びよみがえらそうと、人々に訴えました。彼はイギリスやアメリカに出かけていって、それらの国の若者がスポーツによって、正しい心、協調の精神を養っていることを知りました。そして、彼はフランスが栄えるためには、フランス人がスポーツによって、正しい心、強い肉体を持つことだと考えました。 また、スポーツは、世界の人々の心を結ぶ働きをもすると思うようになりました。そのためには、「世界の人々が一つ所に集まってスポーツを楽しむことだ」と彼は主張しました。

 このクーベルタンの呼びかけで、1894年に国際オリンピック委員会(IOC)が設立され、1896年4月、アテネで復活第1回オリンピック大会が参加14か国、8競技種目で開催され、以降、世界大戦による中止(1916,1940,1944)を除き、4年目ごとに行う夏季競技大会となり、また1924年以降、別に冬季競技大会も行われるようになりました。 クーベルタンは、近代オリンピックの復活者として、また有名な「オリンピックに勝つことより、参加することに意義がある」の言葉でも知られています。 が、実際は1908年、第4回ロンドン大会でセントポール大寺院での日曜礼拝の時、険悪な対立ムードの英米の選手を前にして諭された主教の戒めの言葉だそうです。 

 オリンピック旗は、 1914年クーベルタンが考案した旗で、オリンピック大会を通じて五大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカ)の平和と協力を表す5色の輪を中央におくので五輪旗とも呼ばれています。5色は当時の世界の国旗の基本色を取り入れたもので、五大陸の間に特別の関係はありません。

 1925年、プラハの第23次国際オリンピック委員会(IOC)総会でオリンピック憲章が決定されました。また、 現在の聖火リレーは、1936年にドイツで開かれた第11回ベルリンオリンピックではじめて導入されました。

220pxbundesarchiv_bild_146197611608

聖火リレー(1936年、ベルリン、ドイツ)
 
(解説) 聖火は、伝統的にオリンポス山で太陽を利用して採火され聖火ランナーによってオリンピック開催地まで届けられていました。近年では、オリンピックの開会式が行われる数ヶ月前に、古代オリンピックが行われていたギリシャのオリンピア採火されています。聖火トーチへは、太陽光線を一点に集中させる凹面鏡に、炉の女神ヘスティアを祀る11人の(女優が演じる)巫女がトーチをかざすことで火をつけています。 オリンピック聖火(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E8%81%96%E7%81%AB

 オリンピック種目は、国際オリンピック大会における競技の種目のことです。男子は少なくとも3大陸、50か国・地域で、女子は少なくとも3大陸・35か国・地域で、冬季大会男女とも3大陸、25か国・地域で広く行われている競技の中から、大会開催6年前に選定されます。

 オリンピック夏季大会は、1(1896,アテネ)、2(1900,パリ)、3(1904,セントルイス)、4(1908,ロンドン)、5(1912,ストックホルム)、6(1916,ベルリン、中止)、7(1920,アントワープ)、8(1924,パリ)、9(1928,アムステルダム)、10(1932,ロサンゼルス)、11(1936,ベルリン)、12(1940,東京、中止)、13(1944,ロンドン、中止)、14(1948,ロンドン)、15(1952,ヘルシンキ)、16(1956,メルボルン、ストックホルム)、17(1960,ローマ)、18(1964,東京)、19(1968,メキシコ・シティー)、20(1972,ミュンヘン)、21(1976,モントリオール)、22(1980,モスクワ)、23(1984,ロサンゼルス)、24(1988,ソウル)、25(1992,バルセロナ)、26(1996,アトランタ)、27(2000,シドニー)、28(2004,アテネ)、29(2008,北京)、30(2012,ロンドン) オリンピック夏季大会(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

 オリンピック冬季大会は、1(1924,シャモニ・モンブラン)、2(1928,サン・モリッツ)、3(1932,レーク・プラシッド)、4(1936,ガルミッシュ・バルテンキルヘン)、5(1948(サン・モリッツ)、6(1952,オスロ)、7(1956,コルチナ・ダンベッツォ)、8(1960,スコー・バレー)、9(1964,インスブルック)、10(1968,グルノーブル)、11(1972,札幌)、12(1976,インスブルック)、13(1980,レーク・ブラシッド)、14(1984,サラエボ)、15(1988,カルガリー)、16(1992,アルベールビル)、17(1994,リレハンメル)、18(1988,長野)、19(2002,ソルトレイクシティ)、20(2006,トリノ)、21(2010,バンクーバー) オリンピック冬季大会(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

○ 近代オリンピック(日本の参加と開催)

 オリンピック大会は、夏期大会と冬季大会とに分けられ、夏季オリンピック大会は1896年アテネで、冬季オリンピック大会は1924年シャモニーで第1回大会を開催、日本の夏季大会の初参加は、1912年第5回ストックホルムから、また第2次大戦後は1952年の第15回ヘルシンキから復帰しました。

 冬季大会は、1924年に始まり、日本は1928年第2回サンモリッツから参加、日本国内では1972年(第11回)札幌で、1998年(第18回)長野で開催されました。

 1928年第9回アムステルダム大会で、8月2日の三段跳決勝で、日本の織田幹雄選手は、みごと15.21mを跳び優勝しました。日本の初優勝がなり、メインポールに日の丸があがり、君が代が奏せられました。

 第18回東京オリンピックについては、1940年第12回東京大会は日中戦争の拡大にともない中止、1964年10月東京で開催された第18回オリンピック大会は、94か国5586人が参加、中国、北朝鮮は不参加でしたが、東西ドイツは統一大選手団を派遣してきました。

 この大会では、計測機器の新開発、世界新記録の続出、初の衛星中継、日本選手の善戦など数々のエピソードを生み、日本の政治・経済・市民生活の国際化に大きく寄与しました。また東京大会は、イベント型公共投資による国土開発の先駆となりました。東京オリンピック(ウィキペディア): http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

 日本では、1964年(昭和39年)10月10日、東京で開催された第18回オリンピック大会を記念して、1966年(昭和41年)より10月10日を「体育の日」とし、「国民がスポーツに親しみ、健康な心身を培う日」として国民の祝日に制定されました。 なお、2000年(平成12年)からは「ハッピーマンデー制度」の適用により、10月の第2月曜日となっています。

 私は、東京オリンピックの聖火ランナーが国立陸上競技場で走る姿を、京都大学理学部北部構内の食堂の大型のテレビの前で多くの教職員、学生と共に見ました。その時の最終聖火ランナーは坂井義則(広島の原爆投下日生まれの陸上選手 )であったことから、これから始まる第18回東京オリンピック大会が世界平和を願う祭典であることを強く感じたのを覚えています。 東京オリンピックは10月10日に始まりましたが、国交のなかった不参加の中国は、10月16日、初の原子核実験を強行、成功させています。

 また、東京オリンピックの年は新潟国体も開かれていました。第19回新潟国体は、1964年(昭和39年)1月26日~6月11日(春季)開催されましたが、同年6月16日、M7.5の新潟地震が起こり、8月の夏季大会は中止、同年10月10日~24日、東京オリンピックが開催されました。池田首相はオリンピック閉会後、病気のため11月9日退陣、佐藤内閣tが発足しました。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記(第2版)、三宝出版社(1994); 永原慶二監修: 日本史辞典(第1刷)岩波書店(1999).

 

2011年9月12日 (月)

駅伝制度(律令制)にまつわる歴史伝承、駅馬(五畿七道)と伝馬(郡)、駅路寺(阿波、德島)、駅伝競走(駅伝発祥の地、京都三条大橋~上野不忍池)、マラソン、とは(2011.9.12)

   駅伝(えきでん、やくでんとも)は、古代から発達した交通制度でした。中国では、秦漢帝国以来、首都を中心に全国にわたって駅伝制度を施行し、唐から清末に及びました。

 駅の本字は「」と書き、馬を備えた宿場のことで、日本では「駅家うまや」と呼びました。緊急の通信のために使者が発せられると、駅の馬を乗り継ぎながら目的地に向かって走りました。の本字は「」と書き、車の字を含むように、宿場に備えたを利用して、目的地に向かいました。そして、急がない通信や、高官の旅行などに車を使いました。

 駅伝制度(律令制)、駅馬(五畿七道)、郡(伝馬)

 日本では、奈良・平安時代律令制(律は刑法、令は行政法など、基本法典とする中央集権国家統治)のもと,中国の唐制を手本にして、駅伝制を定めました。が、日本には広い道路が余りなく、駅も伝も共に馬に頼りましたので、駅馬(えきば)および伝馬(てんま)の制を定めました。

Imagescaqf3uni

五畿七道(ごきしちどう、律令制のもと、古代の行政区画、google画像) 古代の道と駅(大村の歴史、長崎):http://www6.ocn.ne.jp/~fukusige/ayumi/oomura-history/kodainomichi-eki.html

(解説) 駅制(えきせい)は、律令制大化改新後から奈良時代・平安初期までの約3世紀)のもと、大宝令によって全国的に体系化されました。そして、公用の旅行や緊急の通信のため、五畿七道(ごきしちどう)の駅路は、幅10数メートルから6mほどの直線的な道路網で、原則として30里(約16km)ごとにが、また渡し場には水駅(すいえき)が置かれました。そこには5~20頭の駅馬が配置されました。五畿は山城、大和、河内、和泉、摂津の畿内諸国をさし、七道は他の諸国を東海、東山、北陸、山陰、山陽、南海、西海道に区分したもので、ごとに京より各国府を通過する駅路を設置しました。

 には、2~10頭、駅馬が置かれ、駅使駅鈴(えきれい)を携行して駅馬を利用しました。駅家(うまや)、駅財政駅馬(えきば)、駅船(えきせん)、駅子(えきし)の管理、運用には、駅長(えきちょう)があたりました。駅子は駅馬による駅使の逓送(ていそう)、駅馬の飼育にあたりました、伝馬(てんま)は、公用の人荷輸送に使われた馬で、駅馬とは別に、各郡ごとに5頭ずつ置かれ、国司の赴任などに利用されました。

 しかしながら、駅馬、伝馬とも、10~11世紀、平安中期以降、律令政治が衰えるにつれ崩壊していきました。が、伝馬は、通信の施設というよりも、交通や運送の役割をになっていたので、後世になると運輸のための用語となり、現在でも伝馬船などの言葉が残っています。

○ 駅路寺(徳島藩祖、蜂須賀家政、阿波、德島)

 駅路(えきろ、うまやじとも)は、宿駅(しゅくえき)の設備のある道路のことです。 宿駅(しゅくえき)は、街道筋に、旅客を宿泊させ、または荷物の運搬に要する人馬などを継ぎ立てる設備のある所です。鎌倉時代以降に発達し、交通、経済上の地方的中心ともなり、江戸時代には宿場町として栄えました。

Hondogaikan1

長谷寺(はせでら、駅路寺、本堂、観音堂とも、もと方丈、大師堂、1985年(昭和60年)改築、撫養町、鳴門市、德島、google画像) 

(解説) 駅路寺(えきろじ)は、德島藩祖、蜂須賀家政(1558~1639)が1598年(慶長3年)6月12日、阿波の主要な4街道をゆく旅人(遍路、出家、侍、百姓など)の便を図るために、その街道沿いにある8寺院(真言宗)を宿泊施設として指定したもので、阿波独特の制度です。伊予街道の福生寺、長善寺、青色寺、土佐街道の梅谷寺、打越寺、円頓寺、川北街道の瑞雲寺のち安楽寺が安楽寺谷から移転合併)、淡路街道の長谷寺の各寺ですが、いずれも1日行程のところにあります。これらの寺には、堪忍分として10石が与えられ、訪れた旅人の接待、悪事を企てる者の宿泊の禁止、不穏な動きをする者があれば庄屋に報告することを命じられていました。この制度の目的は、その報告による藩内の一揆、徒党の取り締まり、また、戦時には陣屋として使用されるなど、重要な役割を担っていました。長谷寺(駅路寺、歴史、鳴門、德島): http://www2u.biglobe.ne.jp/~chokuma/history/historytop.htm 

○ 駅伝競走

Imagescaofw6dc

駅伝の碑(駅伝発祥の地、上野不忍池弁天堂近く、東京、google画像) 1917年(大正6年)、4月27日~29日、京都三条大橋~上野不忍池、23区、508kmを45時間半かけ、奠都(てんと)50周年を記念した駅伝競走が行われました。 駅伝の碑(駅伝発祥の地、三条大橋東詰北、東山区、京都): http://hamadayori.com/hass-col/sports/ekiden-kyoto.htm

(解説) 駅伝は、道路上で行われる長距離のリレー競走です。 数人で一チームを作り、各人が所定の区間(1区間最低2km、10区間以上)を走り、着順または総所要時間によって勝敗を決めるもので、駅伝競走(えきでんきょうそう)と呼ばれています。日本で特に発達したもので、外国ではあまり例をみない。奠都(てんと)50周年を記念して、1917年(大正6年)京都三条大橋~上野不忍池(しのばずのいけ)間で行われたのが最初です

 現在各地で盛んに行われており、東京~箱根間関東大学駅伝は有名です。 箱根駅伝(関東学生陸上競技連盟、読売新聞社): http://www.hakone-ekiden.jp/index.php

 私の郷里(松島、のち上板、板野、德島)では、戦後、秋の収穫も終わる10月、村のお祭りの頃、小学校、中学校、青年団の運動会がありました。青年団の運動会のハイライトは、地区(町内、字区)対抗マラソン大会でした。また、冬には、お正月の頃、県内の地区(市、郡区)対抗駅伝マラソン大会があり、多くの住民の応援もあり盛り上がりました。2011年(平成23年)1月7日には、第57回德島駅伝マラソン大会が盛大に開かれました。

 私が中学校(松島、のち上板)、高校(阿波)に通っていた頃は、冬休み後に毎年、耐寒マラソン大会がありました。どういうわけか、長距離には忍耐強いところがあり、いつも上位に入賞していたことを覚えています。

(参考文献) 下中邦彦: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 樋口清之監修: 生活歳時記、p.45、駅・伝の起こり、三宝出版(1994); 永原慶二監修: 日本史事典、岩波書店(1999). 

(参考資料) 五畿七道(google画像検索):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%BA%94%E7%95%BF%E4%B8%83%E9%81%93&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=k2VbTZaxAYmHcfTUxeYM&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=3&ved=0CEAQsAQwAg&biw=1004&bih=606. 

(追加説明) ○ マラソン マラソンは陸上競技の一種目です。ギリシャ、アテネの北東、アッチカ東海岸でのマラトンの戦い(紀元前490年、第二ペルシャ戦争で、ミルチアデスが率いるアテネ軍がペルシャの大軍を撃破!)でのギリシャの勇士フェイデイピデスが戦場マラトンからアテネまで走り、戦勝を伝えて絶命したという逸話は有名で、これに因んだ競技がマラソンです。

 1896年(明治29年)の第1回オリンピック大会では、マラトン古戦場からアテネの競技場までのロードレース(のちの実測では36.750km)を行いましたが、1921年(大正10年)に第4回オリンピック大会(ロンドン大会)のときの距離、42.195kmを正式距離と決定しました。コースは片道、往復、環状など特に規定はありません。オリンピック大会の花とされ、また各地の恒例行事として行われ、ボストンマラソン、福岡国際マラソンなどは国際的にも有名です。福岡国際マラソン(日本陸上競技連盟、朝日新聞社): http://www.fukuoka-marathon.com/

○ マラソンコースの測り方: マラソンで走る距離、42.195km正式計測法は、日本陸上競技連盟の規則によれば、まず、公路の端から1m内側を測ります。歩道と車道の区別のあるところでは、その境界から1m車道内を測ります。

 また、道がカーブしている場合、最近はコースの計測は最短距離を測ることになっていて、カーブを見通せる最短距離、つまり直線で測ります。というのも、実際に選手がカーブを走る場合、最短距離の直線上を走るからです。

 こうした計測は、必ず50mの鋼鉄メジャーを使用します。しかし、50mメジャーで何回繰り返し、つぎたして計測しても誤差がでます。そこで、マラソンコースの許容誤差は、計測した距離の1万分の1となっています。というわけで、42.195kmの場合、41mまでの誤差ならいいわけです。

 そのほか、マラソンの計時は、「何時何分何秒」までで、あとは切り捨てます。というのは、距離の誤差と地形に変化があるからです。(樋口清之監修: 生活歳時記、p.667、マラソンコースの測り方、三宝出版(1994)より

 

2010年9月 9日 (木)

相撲にまつわる歴史伝承、相撲の起源(豊作祈願の信仰、しめ綱を巻いてシコを踏む、塩を撒く)、力士のシコ(四股、醜)名、相撲取(節会相撲、勧進大相撲、上覧相撲)、とは(2010.9.9)

  古代相撲(すもう、角力、すまひとも)は豊作祈願の信仰から起こったという。相撲取は、しめ綱(締綱)を巻いてシコ(四股)を踏(ふ)みます。シコを踏むというのは、地力(じりき)を高める呪術(じゅじゅつ)です。ドシンドシンと土を踏むので、地面の力が震動して、よく物ができるというわけです。相撲は、また、村相撲をとって勝ったほうが豊作だ、という占(うらな)いでもありました。

Imagescav71sfk

横綱奉納土俵入り羽黒山、第36代横綱(1941~1953)、シコを踏む羽黒山、横綱が足を踏み下ろす時、観客は「よいしょ!」と掛け声をかける、明治神宮、東京、google画像) 横綱羽黒山の奉納土俵入り(ハワイ大学、エンターテイメント資料): http://www.hawaii.edu/cjs/?page_id=269

(解説) 相撲取がしめ綱(締縄)を巻くのは、神に仕える姿で、相撲取は神の奉仕者です。を撒(ま)くのは、体を清める儀式です。相撲で「シコを踏む」の「シコ」を「四股」と書くのは、その動作をあらわすために、あとから当てた字で、もともと「醜(シコ)」と書きます。この醜(シコ)は、みにくいという意味ではなく、強いことを意味する言葉です。相撲で「シコを踏む」のは、取り組む前の準備運動であると同時に、一種の示威(しい)運動です。「踏む」というのは、足で土俵を踏むことではなく、相手を醜(シコ)、つまり強者と見なし、「相手の醜(シコ、強者)を踏み破る」ということです。

 また、相撲取の「シコ名」も、本来は「醜名」と書き、「四股名」は当て字です。これは、本名のほかに自分を強く見せようとするための別名で、相撲の場合は、「シコを踏む者の名」の意味で「醜名」という。また同時に、「アダ名」という本来の解釈から、相撲取の出身地や顔つき、クセや特技などからのものが多くありました。

 この「シコ名(醜名)」にも、時代によって流行があったようです。例えば、江戸時代の天明以前には、「××山」「○○嶽」と言ったものが多く、ついで、体の大きさを天然気象で表す「谷風」「雷電」と言ったものが流行しました。次にはやったのが、郷土ゆかりの山や川、名所を冠するもので、「常陸山」「小野川」「安芸ノ海」などです。戦後は、若乃花以来、「乃」をつける襲名(しゅうめい)が大流行し、大鵬が出てからは中国の史実から拾ったものが流行しています。 

○ 相撲の歴史

 712年、古事記には、建御雷神(たてみかづきのかみ)と建御名方神(たてみなかたのかみ)の二神が、力くらべをして国ゆずりが行われたとの記述があります。さらに、638年、垂仁天皇(すいにんてんのう、生没不明、第11代)の7年7月、出雲の住人、野見宿禰(のみのすくね)と大和の住人、当麻蹶速(たいまのけはや)が、天皇の命令によって相撲をとって、宿禰が勝ったと、720年、日本書紀に見えますが、これが一般にわが国の国技と言われている相撲(すもう)のはじめとされていますが、もとより信ずるに足りないものです。

 古代、奈良時代、聖武天皇(しょうむてんのう、701~756、第45代)の時、各地から相撲人(すまいびと、力士)が集められ、節会(せちえ)相撲が行われるようになり、のち300余年の間、宮中の儀式、相撲節会(すまいのせちえ)として続きました。平安時代、朝廷では相撲節(すまいのせち)として儀式化し、洗練され、京都や地方の寺社の相撲会(すまいえ)として広まりました。

 中世、鎌倉時代、寺社修復を名目とした勧進相撲(かんじんずもう)も発生しました。室町末期になると、相撲取の職業力士が生まれ、土俵も考案されました。

 近世、江戸時代、武士(大名、旗本)は屋敷内で、足軽などに相撲を取らせ観戦して楽しみ、庶民は江戸、京都などの街の四辻や広小路で辻相撲を楽しみましたが、のち群集となり、治安上禁止されました。が、木戸銭を取る勧進相撲が許可され、次第に恒常的に行われ、やがて相撲を業とする者たちの集団も生まれました。

 ところで、相撲取が職業化したのは、1624年(寛永元年)で、元祖は明石志賀之助(あかししがのすけ、生没未詳、初代横綱)です。江戸四谷塩町の笹寺の境内で、寄(よ)せ相撲と言って、晴天6日、諸国相撲を公開したのがはじめてで、有料勧進相撲が許されたのは、1684年(貞享元年)3月からです。以後、毎年3月に深川八幡宮境内で興業するようになりました。  石川県出身の横綱には、阿武松(おうのまつ)、第6代横綱(1828~1835)、輪島(わじま)、第54代横綱(1973~1981)の二人がいます。

 1744年(延享元年)、江戸、京都、大坂の三都で四季に一度ずつの四季勧進大相撲の開催が幕府に公認されました。三都の年寄、頭取を師匠とする相撲取や各地の相撲取が合同で大興行を行うもので、1778年(安永7年)3月、江戸の大相撲の場合、番付に記された相撲取の数は158人にのぼりました。

Imagescajo9bgs

第11代将軍、徳川家斉の上覧相撲第4代横綱、谷風を賜り、これを手に「敬い奏げて四方に振り回し」舞って見せたのが現在の弓取式の始まりという、1791年(寛政3年)6月、江戸城吹上、google画像) (上覧相撲(すもうの歴史ナビ、google画像): http://sports.geocities.jp/sumou_caffe/index.html,)

(解説) 江戸名物と言われた回向院(えこういん)境内の大相撲がはじまったのは、1789年(寛政3年)4月です。この回向院の大相撲の興業日数10日でした。1791年(寛政3年)には、第11代将軍、徳川家斉(とくがわいえなり、1773~1841)による上覧相撲が催され(6回挙行)、第4代横綱、谷風、第5代横綱、小野川両横綱のほか強豪、大関雷電も江戸城吹上庭の土俵に上がり、大力士の活躍が人気を呼びました。(上覧相撲(相撲錦絵ネット、2004、google画像): http://www.sumo-nishikie.net/champion.php.)

 近代、明治時代、一時衰えましたが、高砂浦五郎(たかさごうらごろう、1838~1900,初代、前頭筆頭)らが改革を進め、1889年(明治22年)、相撲会所を合議制の東京大角力協会に改組し、明治後期には、人気力士として第20代横綱梅ヶ谷、第19代横綱、常陸山が現れました。年一回の相撲も二回(1月場所、5月場所)となり、回向院の大相撲も1909年(明治42年)1月場所で終わりました。

 そして、相撲も競技化が進み、1909年(明治42年)5月、両国の国技館の開設を機に、国技としての今日の相撲の基礎が確立しました。大正時代、1925年(大正14年)相撲道の隆盛と経営の安定を期し(財)大日本相撲協会に改組、1927年(昭和2年)大坂大角力協会を統合し、1958年(昭和33年)日本相撲協会と改称しました。

Imagescagh2vo8

双葉山、横綱土俵入り立波三羽烏、左より 太刀持ち 大関名寄岩、 横綱(第35代)双葉山、 露払い 大関(のち第36代横綱)羽黒山、1930年(昭和10年)初期、google画像)  立波三羽烏(エピソード、北国博物館、名寄市、北海道): http://www.city.nayoro.lg.jp/www/contents/1250051159980/index.html

Imagescasegtnd

第35代横綱、双葉山(立浪部屋)の69連勝は、1939年(昭和14年)1月場所、4日目、西前頭3枚目安芸ノ海(出羽海部屋、のち第37代横綱)に敗れました(1939年(昭和14年)1月15日、読売新聞、google画像) 

(解説) 昭和時代、1928年(昭和3年)ラジオ放送が始まり、1936年(昭和11年)から第35代横綱、双葉山の活躍で黄金時代を迎えました。また、戦後は、1953年(昭和28年)5月からのテレビ中継など、観賞スポーツとして発展しました。現在、本場所は年6回、各15日間(幕下以下の取組は7日間)ですが、この日取りになったのは、第2次大戦後のことです。

 私が小学生の頃、相撲はラジオ放送でした。が、大相撲の地方巡業もあり、松島小学校(松島村、のち上板町、德島)の校庭の土俵で、力士の稽古相撲、第38代横綱照國の土俵入りなど見たのを覚えています。

(参考文献) 下中邦彦(監修): 小百科事典、平凡社(1973); 樋口清之(監修): 暮らしのジャーナル、三宝出版(1994); 永原慶二(監修): 日本史事典、岩波書店(1999); 生活歳時記、樋口清之: 梅干と日本刀、日本人の知恵と独創の歴史、祥伝社黄金文庫(2005).

(参考資料) 日本相撲協会(公式サイト): http://www.sumo.or.jp/

その他のカテゴリー

● Science Topology ( サイエンス、歴史散歩、金沢、石川) | ● いしかわ(名水、湧水、金城霊沢、上の清水、白山霊水、弘法池の水、杉森地蔵水、神子清水、柳原の湧水、金沢の水、末浄水場、弘法の水、満濃池) | ● いしかわ(白山、白山比咩神社、石川県樹木公園) | ● かなざわ(四季折々、犀川、桜田、金沢市、石川県) | ● かなざわ(四季折々、県民の杜、鞍月、金沢市、石川県) | ● かなざわ(石川県庁、金沢駅、加賀藩、北陸の交通路、赤門、天下の書府、北前船、河北潟、金沢港、大野お台場、野田山、大乗寺丘陵公園) | ● かなざわ(金沢城、兼六園、野田山、加賀藩主前田家墓所) | ● のと、かが(四季折々、能登半島、白山市、能美市、小松市、石川県) | ● ふるさと(四国遍路、空海(弘法大師)、四国88ヵ寺(徳島23、高知16、愛媛26、香川23)、高野山(金剛峰寺、真言宗、和歌山)、高野聖(泉鏡花)、最澄(伝教大師)、比叡山、暦寺、天台宗、京都) | ● ふるさと(阿讃山麓、和三盆糖、阿波藍、撫養塩田、阿波踊り、上板町、板野郡、徳島県) | ● 人の世(方丈記、辞世、徒然草、論語、坐禅) | ● 人物(卑弥呼、神武天皇、聖徳太子、土御門上皇、義仲、武蔵、島津斉彬、五百羅漢、法然、仁清、世阿弥、富樫、弁吉、秋声、犀星) | ● 伝統工芸(日本刀、金箔、漆器、焼物、染物、和紙)、伝統産業(揚浜塩田、和菓子) | ● 俳句、和歌、回文、洒落、漢詩 | ● 健康食品(食物、飲物、成分) | ● 名字(苗字) | ● 囲碁(起源、棋話、歴史対局、儀式、遊び、近代碁、世界棋戦) | ● 天災(地震、津波、台風、洪水、一発雷、豪雪、春一番、フェーン現象、火山、大火、黄砂、PM2.5) | ● 戦争と平和(白村江、蒙古、朝鮮征伐、明治維新、日清、日露、世界第1次、太平洋、朝鮮戦争、満州事変、アメリカ、日本、万国博覧会、人類の起源) | ● 文字(漢字、仮名文字、ローマ字の起源) | ● 料理(おにぎり、おでん、すし、うどん、餅(もち、雑煮)、坂網鴨(治部煮)、和食、中国、韓国、インド料理) | ● 暦、行事、風俗(伝統文化) | ● 民俗(衣食住、信仰、語源、遺跡、芸能) | ● 温泉、熱水(岩間噴泉塔、湯涌温泉、辰口温泉、玉造温泉、道後温泉) | ● 絵画(東洲斎写楽、長谷川等伯、山下清、囲碁の絵巻物、源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画、芸術と数学、黄金比、富嶽36景、竜安寺石庭) | ● 資源(オイル、天然ガス、ウラン、レアメタル)、エネルギー(火力、原子力)、核分裂生成物、溶媒抽出(放射性トレーサー) | ● 農林水産(穀物、野菜、果物、酪農、養殖、食品、花粉症、農地改革) | ● 造園(庭園の起源、歴史、日本三名園、中国三名園) | ● 都道府県(地名の由来、沖縄から北海道まで) | ● 金属鉱山(尾小屋、神岡、足尾、別子、生野、石見、佐渡、菱刈、土呂久)、神社仏閣(池上本門寺、吉田神社)、浄化(ヘビノネゴザ、ホンモンジゴケ、リョウブ、鉄バクテリア、藻類) | ● 風土(天然記念物、特別名勝、世界遺産、自然と人間との共生) | ウェブログ・ココログ関連 | スポーツ | 学問・資格 | 心と体 | 音楽

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ