世界の誰もが毎晩のように見る夢(ゆめ)、この不思議な体験の正体は何なのだろうか、また、日常の生活とどういうかかわりがあるのだろうか? 20世紀のはじめ頃から、心理学と脳科学から諸説が唱えられています。
20世紀前半には、ジークムント・フロイト(ドイツ、心理学者、Sigmund Freud、1856~1939)は、1900年、心理学の精神分析より、夢は、無意識の世界に押し込められた欲望・欲求の表れだ、と唱えました。フロイトによると、無意識下の欲求は、性的な欲望など自分でも認めたくない内容を含む。そのため、夢の中では、道具や部屋などのモノや、空を飛ぶ、といった行為として象徴的にあらわされる。この対応関係を逆に読み解けば、無意識の欲求が分かるとされる。
カール・ユング(スイス、Carl Gustav Jung、心理学者、1875~1961)は、夢は、無意識からのメッセージという理論を体系化しました。この流れをくむ夢の分析は、今も精神分析や心理療法の中で、広く用いられている。
一方、20世紀後半になると、アラン・ホブソン(アメリカ、ハーバード大名誉教授、神経生理学者、J. Allan Hobson、1933~ )は、1960年代初め、脳や神経の動きを解き明かす、神経生理学の視点より、初めて夢を科学的に研究したという。その説によると、夢をよく見るレム睡眠(逆説睡眠とも)のときには、脳の一番下にある脳幹から信号が出て、視覚などにかかわる脳の領域が活発に動き始める。
睡眠中は外から情報が入らないため、脳は記憶の断片をつないでストーリーをつくる。それが夢である。脳内で注意や判断を担う領域は十分に働いていないので、つじつまの合わない物語になる。そのため、夢には読み解けるような意味はないという。
1990年代後半、マーク・ソームズ(南アフリカ、ケープタウン大教授、神経心理学者、1948~ )は、事故で脳に傷を負った患者を調べるうちに、ホブソンが夢のスイッチと考えた脳幹の一部が損傷しても、夢を見続ける患者がいることに気づいた。逆に、脳の前部にある欲求にかかわる領域が損なわれると、夢を見なくなることも発見した。
このことより、何かしたいという欲求が先にあり、それが、脳に蓄えられた情報を使って表現されたのが夢だと考えた。つまり、夢は欲求の現れで、フロイト説は誤りではない、となる。
ジョリオ・トノーニ(アメリカ、ウイスコンシン大教授、神経科学者、1951~ )によると、ホブソン説は、夢を何かの刺激に反応する知覚に近い働きととらえている。一方、ソームズ説の欲求の現れとしての夢は、目をつぶって何かを思い描くような働き、つまり想像に近いという。そして、これほど身近な意識状態である夢について、我々はまだあまりに無知、とのことです。
(参考文献) 朝日新聞: 夢に魅せられて、夢とは何か、心理学と脳科学、The Asahi Shinbun GLOBE 8/5 Sun.-8/18 Sat.(2012).
(追加説明)○ レム(REM)睡眠(逆説睡眠とも)とは、目玉の激しい動きは、急速眼球運動(Rapid Eye Movements)と呼ばれ、誰もが毎晩経験している。この時の睡眠を、頭文字をとってレム(REM)睡眠と呼ぶ。
○ 夢(ゆめ)とは、広辞苑によると、① 睡眠中にもつ非現実的な錯覚または幻覚。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚、味覚、運動感覚に関係するものもある。② はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。③ 空想的な願望。心のまよい。迷夢。④ 将来実現したい願い。理想。(新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991)より)
○ 明晰夢(めいせきむ)とは、夢を見ていると気づきながら、目覚めないで見続ける夢のことです。人間の意識を理解するうえで一つのカギになると見られています。
○ 夢という言葉は、希望や目標といった肯定的な意味で使われることもあります。しかし、寝ているときに実際に見ている夢には、楽しいことより、言葉や暴力による悲しみや怒りなど、嫌な体験に近いものが多いという。
ふだん見ている夢の大半は、父母、兄弟、親友、趣味など、身近なエピソードで作られていて、目が覚めているときの意識とつながりを持ったものだという。また、大人になってから見る夢は、同じテーマが繰り返されるのが特徴で、道が分からなくなったり、試験に遅れたりするという。
(追加説明)
ユングは、リピドー(人間の性本能の基底となるエネルギー)を生命のエネルギーとし、その進化を妨害する環境中で、多くの障害物との葛藤を解決しつつ、人格が発達し、形成される、としました。
それは、口唇期(こうしんき、生後1歳半ぐらいまでの小児性欲で、乳首を吸うなどの口唇による快感)、肛門期(小児性欲で、肛門の刺激に快感を持つ)、男根期(小児性欲で、性器で性感を覚えるが、まだ性の対象を覚えるに至らない)、潜在期(学童期、小児性欲が一時影を潜め、子供の関心は知的方向に向かう)、性器期(思春期以降、性欲が自分以外の対象に向かう)などの段階的展開を、性器的性格の成長と考えました。
アドラーは、初めはフロイト派に属したが、その性を重視する学説に反対し、優越欲求(権力意思)を人間活動の中心とし、これと無力感、劣等感との抗争の場が、自我(エゴ、人格全体を統合し、現実外界に適応した思考と行動をつかさどるもの)である、と主張しました。彼の学説は、個人心理学、と称されています。