カテゴリー「● 風土(天然記念物、特別名勝、世界遺産、自然と人間との共生)」の6件の記事

2012年2月 1日 (水)

マリモ(毬藻、緑藻類)の遺伝子(DNA)解析、世界のマリモは阿寒湖(釧路、北海道)を起源とする、とは(2012.2.1)

   最近、世界の北半球の約220ヵ所で生息が確認されているマリモ(毬藻)は、国の特別天然記念物の阿寒湖(北海道)のマリモを起源ととすることが、釧路市教育委員会マリモ研究室(北海道釧路市)の若菜勇学芸員(54才)らの遺伝子(DNA)解析の研究により確認されました。

阿寒湖のマリモ(公式ホームページ、マリモWeb、釧路、北海道):http://marimo-web.org/

 その原因として、渡り鳥のコハクチョウやカモ類がマリモを食べ糞に(ふん)に含まれるか、体について運ばれ、分布を広げたとみられ、阿寒湖と約8500km離れたアイスランドのミーバトン湖の球体のマリモが同じ遺伝子(DNA)を持つことが確認されました。 マリモは東アジアや欧州などの北半球の淡水湖沼に生息する緑藻類です。そこで、改めて世界のマリモについて調べてみました。

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阿寒湖のマリモ(あかんこのまりも、特別記念物、国立科学博物館ホームページ、google画像)

(解説) マリモ(毬藻)は、シオグサ目シオグサ科の糸状緑藻で球体を作るもの数種の総称です。その一種のマリモは、淡水産の緑藻です。世界の寒冷地域の湖に広く分布していますが、日本では北海道の阿寒湖に生育し特別天然記念物に指定されています。また、マリモは環境省の絶滅危惧種に指定され、保全活動の重要性が指摘されています。

 一般に放射状に配列された糸状細胞の藻体が直径2~15cmの中空で緻密(ちみつ)な球を作って水中に沈み、河川の流入や風による水の動きなどによって転(ころ)がり動くことが知られています。また、湖底の石に生育するものは芝生(しばふ)状になります。現地では湖底の1~2mの深さのところにあり、日光があたると光合成の結果、細胞間に排出した酸素がたまるため水面近くに浮上することがあります。

○ マリモの遺伝子(DNA)解析

 若菜学芸員は、オランダなどの研究者らと共同で、10年ほど前から採集した、日本をはじめ、ドイツ、フィンランド、アイスランド、サハリンなどの湖沼34ヵ所のマリモ標本の遺伝子(DNA)の18S rRNA の塩基配列の比較の分析をしました。その結果、日本列島に最も古い遺伝子タイプが集中、海外はその進化型でした。古い遺伝子は10万年前から存在しているとみられました。

マリモの学名(藻類談話室、吉田忠夫): http://www.sourui-koza.com/z_danwa/marimo/index.html. 

18SrRNA系統解析(ウイキペデイア):http://ja.wikipedia.org/wiki/16S_rRNA%E7%B3%BB%E7%B5%B1%E8%A7%A3%E6%9E%90

 13万~7万年前は、氷河期に挟まれた:「間氷期」で、気温が高く湖沼が凍結していませんでした。阿寒湖は最古の15万年前に形成されていることから、阿寒湖が起源だと断定しました。34ヵ所以外についても、湖沼の形成時期などから、阿寒湖起源は確かだという。また、祖先型のマリモが最も時間をかけて変異を重ねたものが琵琶湖(滋賀)にあることなどを理由に日本が起源と結論付けました。

 私は、1981年(昭和56年)8月、はjめての北海道の一人旅で、また1998年(平成10年)5月、家内(尊子)と二人の旅で、阿寒湖近くのホテルに宿泊したとき、ホテルの大きな水槽の底にごろごろしていた大小のマリモの姿が強く印象に残っています。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店、1991); 話題の発掘: 世界のマリモ阿寒湖が古里、遺伝子で確認、渡り鳥に運ばれ分布拡大、北陸中日新聞、2011年(平成23年)12月6日(火)、朝刊; マリモ起源 日本と確認、釧路市教委調査、遺伝子の型が最古、北陸中日新聞、2012年(平成24年)1月8日(日)、朝刊.

(参考資料) マリモのくらし微小藻の世界、国立科学博物館ホームページ、東京): http://www.kahaku.go.jp/special/past/bisyoso/ipix/mo/1/1_10.html

小川原湖のマリモマリモの基礎知識、国土交通省、東北地方整備局、高瀬川河川事務所、青森):http://www.thr.mlit.go.jp/takase/marimo/marimo_know.htm

マリモの仲間(マリモ、その愛): http://marimo.xrea.jp/seminar/party.html. マリモの近縁に、山梨県南部の山中湖のフジマリモ、青森県下北半島の左京沼のマリモなどが確認されています。 

 

2011年9月15日 (木)

埋没林(魚津、富山)、完新世(沖積世、現世とも、地球の温暖な間氷期)、スギ(杉)の原生林の跡、入善(富山)沖の海底林、全国の埋没林(化石林含む)、ホタルイカ、とは(2011.9.15)

   津(うおづ、富山)は、片貝川と早月川の2つの河川にはさまれた扇状地、古くから海上交通の要所で、江戸期には新川(にいかわ)木綿や米の集散地であり、北洋漁業の基地としても発展してきました。

○ 魚津(富山)埋没林

 1930年(昭和5年)、魚津港(富山)の修築工事が開始されると、標高0メートル以下の地中から多数の樹根(じゅこん)が出土し、日本海側の地盤沈降の証拠として注目を集めました。樹痕は樹齢(じゅれい)が数百年を数えるものが、この時の工事だけでも200~300株も出土したと記録されています。

魚津埋没林博物館(ホームページ、魚津、富山):https://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/ .

(解説) 約1500~2000年前の温暖化地球の温暖な間氷期、沖積世、完新世!)にともなう海面の上昇などが原因で、海岸近くの森が水没し、片貝川の氾濫(はんらん)など、河川による堆積作用で地中に埋もれたことが判明しています。そこはスギ(杉)の原生林の跡で、出土する大型樹痕はスギ(杉)がほとんどで、根際の直径が3m、推定樹齢が数百年に及ぶ大木もあり、ハンノキ(榛の木)、カシ(樫)、ヤナギ(柳)、サクラ(桜)、トチ(栃)などが確認されています。

 完新世(かんしんせい、沖積世、現世とも)は地質時代名で、第四紀の最後の時期(1万年前~現在)です。1万年前頃に氷期から間氷期に変わり、その後は現在とほぼ同じ気候が続いています。現在の川、湖、海、砂漠などにおいて形成された堆積物で代表される時代で、人類の文化段階では、新石器時代以降に相当します。

 埋没林は、魚津港一帯のおもに波打ち際付近から内陸部の地中に埋蔵されています。埋蔵林が根を張った地盤は現在の海面より低い高さにあり、海面が変動したことを示しています。

 約3000年前の縄文時代の後期末の土器片が樹根の間から採集されており、かっては扇状地の末端にひろがっていた大森林のなかを縄文人たちが狩猟や採集にゆったりと歩いていたと想像されます。樹根のほか、樹幹、種子、花粉、昆虫類などが出土しており、植物は70種以上、昆虫は30種以上が確認されています。

 埋没林を今日まで1500年間ほど保存させたものは、魚津港一帯の豊富で良質な湧水の地下水(河川の伏流水、立山の雪解け水!)で、標高0m以下が常時水浸しになっていたため、腐(くさ)らずに残ったものと考えられています。

 魚津埋没林は、過去における海岸線の変化や当時の植生を知るうえで、貴重であることから、その包蔵地(ほうぞうち)が、1936年(昭和11年)に国の天然記念物に、さらに1955年(昭和30年)には特別天然記念物に指定されました。また、その指定地魚津埋没林博物館の敷地となっており、同館で埋没林の実物を観察することができます。

○ 入善(富山)沖海底林

 1980年(昭和55年)、黒部川の下流の扇状地、入善町(にゅうぜんまち、富山)の吉原(よしはら)沖で、北陸スキンダイビングクラブの人たちによって、海面下20~40mの海底の谷になったところから、多くの樹根(じゅこん、ハンノキ、ヤナギ、ヤマグワ、アオハダ、カエデ、コナラなど)が発見されました。

海底林入善沖、入善町、富山):. https://www.town.nyuzen.toyama.jp/bunka/shisetsu/shizen/o-kaiterin.html

 これは、8000~1万年ほど前、後氷期の海進で水没した海底林で、海底の湧水地点を中心に残存しており、木材の保存が海の中から湧出する地下水(黒部川の伏流水、立山の雪解け水!)と深い関係があることが分かりました。また、富山湾岸の四方沖、神通川河口付近でも同じような埋没林が発見されています。

 全国の埋没林(化石林含む)

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埋没林(まいぼつりん、化石林(かせきりん)含む、全国では約40ヶ所ほど、化石林(かせきりん)は、森林などの樹木が土砂などで埋まり、珪化木となった樹木林のことです、google画像) 

三瓶小豆原埋没林(さんべあずきはらまいぼつりん、三瓶、大日市、島根)http://nature-sanbe.jp/azukihara/(約4000年前の巨大地底林、直立状態で残存する幹の規模が際だっています)

地底の森ミュージアム(ちていのもりみゅうじあむ、仙台市富沢遺跡保存館、宮城県): http://inoues.net/museum/chitei_museum.html(富沢遺跡の埋没林は約2万前のもので、埋没林と旧石器が同時に発見されています)

化石林(かせきりん、桑島、白山市、石川): http://www.google.co.jp/search?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8C%96%E7%9F%B3%E6%9E%97%E3%80%80%E6%89%8B%E5%8F%96%E5%B7%9D&um=1&ie=UTF-8&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1024&bih=584(約1億5000万年以前の手取川流域の日本最古の珪化木産地、天然記念物となっています). 手取川流域の珪化木産地(文化財選集、文化庁):http://www.weblio.jp/content/%E6%89%8B%E5%8F%96%E5%B7%9D%E6%B5%81%E5%9F%9F%E3%81%AE%E7%8F%AA%E5%8C%96%E6%9C%A8%E7%94%A3%E5%9C%B0.

松任沖海底林(まっとうおきかいていりん、白山市、石川): http://www.city.hakusan.lg.jp/kyouiku/bunkazaihogo/contents_list/bunkazaitoppu/mishiteibunkazai/mattookikaiteirin.html(約8000年前のハンノキの株根です)

化石林公園(かせきりんこうえん、美濃加茂市、岐阜):http://www.h3.dion.ne.jp/~masaken/ootabasisyoukai.htm.(木曽川太田橋周辺では、中村累層中部地層から約1900万年前の珪化木が400本以上発見され、公園となっています)

化石林(かせきりん、甲西町、滋賀): 野洲川の河川敷では、約260万年まえの古琵琶湖層群から、立ち木の化石林が発見されています。

埋没林(画像、google画像検索): http://www.google.co.jp/search?q=%E5%9F%8B%E6%B2%A1%E6%9E%97&hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&prmd=ivns&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=geltTqOCMaPumAW_-sj_Dw&ved=0CDsQsAQ&biw=1024&bih=584.

 私は、これまでに、魚津埋没林博物館を何回か訪れる機会があり、埋没林を直接目にしましたが、いつもながら巨大な埋没林の樹根には驚かされました。また、立山の雪解け水が富山湾の水中からも湧き出しており、埋没林はその湧き水に守られ腐らず埋まっていたとのこと、自然の神秘を実感しました。

 また、私は、手取川流域の珪化木産地(石川郡白峰村桑島、のち石川県白山市女原)の化石壁下の手取川の河原に、手取ダム(ロックフィル型、着工/竣工、1969~1979年)の工事中に、マイカー(ファミリア1500CC)で何度か訪れたことがあり、そこで珪化木とかシダの化石を拾ったことがあります。

 ここは、多くの生物の化石(哺乳類のハクサノドン・アルカエウスの歯の形が残った下顎の骨、ヘビに似た姿の爬虫類「カガナイアス・ハクサンエンシス」の背骨や骨盤、古代動物「モンチリクタス・クワジマエンシス」の歯など)が出土する世界的な化石産地となっています。(北陸中日新聞(冨田章午):太古へ誘う桑島の化石、白山恐竜パーク、新種紹介の企画展、2017年(平成29年)8月13日(日)より)

桑島化石壁(桑島、白峰、石川郡、のち白山市、石川): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/sizen30.html.

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典(初版)、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑(第4版)、岩波書店(1991); 富山歴史県歴史散歩研究会編(高井進 編集委員長): 富山県の歴史散歩(新版)、山川出版(1995); 魚津市教育委員会編(教育長 長島潔): 魚津の文化財、魚津教育委員会(2006).

(追加説明) ○ 埋没(まいぼつ)とは、広辞苑によれば、埋もれかくれること。埋もれて見えなくなること。

 埋没谷(まいぼつこく)は、平野の地下にある、沖積層(ちゅうせきそう)で埋めたてられた過去の谷です。もとは海面低下期に陸上で作られたもので、海面上昇により海面下に溺(おぼ)れ、その後沖積層(ちゅうせきそう)が堆積して平野となった、とあります。

 また、沖積層(ちゅうせきそう)については、①沖積世(ちゅうせきせい、完新世、沖積統とも、多くの沖積平野(ちゅうせきへいや、流水の堆積作用によって川筋に生じた平野)が形成された時代であるために、この名が生まれた。)に生成した地層、すなわち地質学上の最新の地層。 ②最後の氷河の最低温期(約2万年前)以後に、台地を刻む谷を埋めて堆積したやわらかで水を含んだ粘土、泥炭など、とあります。

○ 埋没土(まいぼつど)とは、新しい堆積物(飛砂、火山灰、氾濫(はんらん)土砂、山くずれ、地すべり堆積物、斜面堆積物、レス(黄土、おうど)、氷河堆積物、溶岩流など)に埋没した土壌です。土壌層位を完全または不完全に保存しますが、古土壌とは限りません。

○ 氷河時代(ひょうがじだい)とは、地球上の気候が非常に寒冷となる氷期(氷河時代の中で、地球上の気候が寒冷で、大陸の広範囲に氷床が拡大、前進する時期。最近の氷河時代である第四紀には、数十回の氷期があった)と、現在のような温暖な間氷期(氷河時代において、一時気候がやや温暖となり、氷河が高緯度地方まで後退した時期)とが何万年かの周期で繰り返される時代です。先カンブリア時代から現在までに少なくとも3度氷河時代が訪れました。最近の氷河時代は第四紀で、大陸上に氷床が急速に発達したり急速に衰退したりするのが特徴です。

○ 完新世(かんしんせい、沖積世、現世とも)は地質時代名で、第四紀の最後の時期です。洪積世の氷河が溶け去った後の時代で、現在に至っています。現在の川、湖、海、砂漠などにおいて形成された堆積物で代表される時代で、気候的条件派ほぼ現在と同様です。人類の文化段階では、新石器時代以降に相当しています。

○ ホタルイカ群遊海面(富山市水橋より魚津市にいたる海面、富山県)は、1922年(大正11年)、天然記念物に、さらに、1952年(昭和27年)3月29日、国の特別記念物に指定されました。 毎年、3月から6月上旬にかけて、産卵のために、ホタルイカのメスの親の大群が富山湾の沿岸、沖合い約1.3kmに押し寄せてきて、青色の神秘的な光を放ちます。 

 ホタルイカ(蛍烏賊)は、ホタルのように光を発するイカです。胴の長さは7cmくらい。オホーツク海および北海道、本州、朝鮮東岸の深いところにすんでいます。4~5月、産卵のために浅いところに集まってきます。富山湾の魚津と滑川付近の沖合に群集するホタルイカは有名です。発光するさまが見事なことから特別天然記念物に指定されています。市販のものは熱湯に一度通されているので、さっと湯をくぐらせるだけで調理できます。よく冷やして、カラシ酢味噌であえると非常にうまい。また、甘辛煮にすると、弁当などのおかずにピッタリ合います。吸い物にしても美味です。

 

2011年4月 4日 (月)

日本三景にまつわる歴史伝承、天橋立(丹後、京都、台風災害)、松島(陸奥、宮城、東日本大震災)、厳島(安芸、広島、台風災害)、新日本三景、富士山世界文化遺産、とは(2011.4.4)

  日本三景(にほんさんけい)は、古来、天橋立(あまのはしだて、丹後、京都)、松島(まつしま、陸奥、宮城)、厳島(いつくしま、安芸、広島)と呼ばれる三つの景勝地です。

 江戸初期の儒学者、林鵞峰(はやしがほう、春斎とも、1618~1680)が、日本国事跡考に「丹後天橋立(たんごあまのはしだて)、陸奥松島(むつまつしま)、安芸厳島(あきいつくしま)、三処を奇観と為す」と書いたのが日本三景の始まりとされています。三景はいずれも海や木々など、自然の優れた景観ですが、それを守るのも一苦労するという。2006年(平成18年)、林鵞峰の誕生日(7月21日)が、日本三景の日と制定されました。

○ 天橋立(あまのはしだて、特別名勝、丹後、京都)

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天橋立(あまのはしだて、飛龍観股のぞき、京都、google画像) ここからの眺めは、天橋立が天に舞い上がる龍のように見えるので飛龍観と呼ばれ、また、股のぞきの名所として知られています。

(解説) 京都府北部、宮津市宮津湾にある砂嘴(さし、砂州、さす、とも)、延長約3km、幅40~110m、の白砂の松林で、北は大天'橋、南は小天橋と呼ばれ、回転橋で連絡、西に阿蘇海をかかえ、北岸にある成相(なりあい)山の傘松公園からの縦一文字(6000本の松?)と、大内峠(おうちとうげ)からの横一文字の景色は有名です。天橋立(日本三景、観光ガイド、京都): http://ama.hanayade.net/30/post_10.html

 天橋立は白砂の浸食が進んだため、海底の砂を移動して地形の維持に努めています。2005年(平成17年)の台風では樹齢400年を超える名松が倒れてしまい、接ぎ木で子孫を残そうと試みられているという。宮津線天橋立駅に近い。

 私は、天橋立には、1968年(昭和43年)9月、京都大学近く、下別当町(北白川、左京区)で下宿(村井良治様)していたとき、隣部屋(2階)の下出敏幸君(経済学部、三重)にさそわれ、JR列車で訪れたことがあります。股のぞきは絶景!でした。湯川秀樹夫妻もおしのび?で来られたという。1982年(昭和57年)5月には、金沢からマイカー(ファミリア1500CC)で家族3人(高治、尊子、高行)訪れました、白砂の松林を歩いていると、岩見重太郎の仇討ちの場、試し切りの石と立て札があったのを覚えています。

 松島(まつしま、特別名勝、陸奥、宮城)

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多門山(たもんざん、松島四大観偉観、松島湾南側、七ケ浜町、宮城、google画像)

(解説) 宮城県中部、松島湾一帯の景勝地で、湾内外に散在する大小260余の島々は沈水した松島丘陵のかっての高台で、波食により奇観を呈し、白い岩肌(いわはだ)と松が調和しています。湾岸に瑞巌寺、五大堂、観瀾亭、塩竃神社があります。大鷹森、富山、多聞山、扇谷からなる眺めを松島四大観、また、雄島夕照、瑞巌寺晩鐘、霞浦帰雁、塩釜暮煙などを松島八景と呼ぶ。 松島(日本三景、観光ガイド、陸前、宮城): http://nihonsankei.jp/matsushima.html

 ところで、「松島や ああ松島や 松島や」は、かつては松尾芭蕉(まつおばしょう、1644~1694)の作とされてきましたが記録には残されておらず、近年この句は江戸時代後期、狂歌師、田原坊作ではないかと考えられています。 松島と芭蕉(芭蕉作という松島やの句、松嶋や さてまつしまや 松嶋や!、田原坊作?): http://www.bashouan.com/puBashous.htm

 松島はマツクイムシの被害で森林が消滅してしまった島もあり、薬剤注射で防御中だという。東北本線、仙石線が通じ、バス交通も発達、湾内に観光船が就航しています。

 私は、1996年(平成8年)9月、JR列車で松島を訪れ、洞窟(修行の場?)のそばを通り、瑞巌寺にお参りし、はじめて観光船に乗って松島湾内の島めぐりをしましたが、多くの小島の松林が印象に残っています。

 2011年(平成23年)3月11日、東日本大地震(M9.0)、大津波襲来したとき、松島島々対岸の松島町を守ってくれたという。松島が守ってくれた対岸の町、松島町、(読売新聞、2011年3月23日、より): http://news.goo.ne.jp/topstories/life/35/2584ca7c20a227bcbf1ca657c530faa5.html

○ 厳島(いつくしま、伊都岐島、宮島とも、世界遺産、特別名勝、安芸、広島)

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厳島神社(いつくしまじんじゃ、 大鳥居、  客社祓殿正面、宮島町、広島、google画像)

(解説) 瀬戸内海の西部、広島湾の北西部に浮かぶ小島で、面積約30平方メートル、花崗岩(かこうがん)からなり、その最高所は海抜530mの弥山(みせん)、ひとつの島が宮島町です。北岸に海上社殿の厳島神社があり、門前町(鳥居前町とも)宮島が発達、島全体が神社地として保護され、天然記念物の弥山原生林に覆われています。 宮島(みやじま、観光公式サイト): http://www.miyajima-wch.jp/

 私は、1993年(平成5年)10月、JR列車と連絡船で宮島を訪れ、厳島神社を参拝し、周辺を散策したことがあります。海中の大鳥居、客社祓殿、平家納経(へいけのうきょう)、原生林など、歴史の重みを感じました。 2004年(平成16年)、台風で国宝の能舞台が倒壊し、約8億円をかけて修復が行われましたた。

(参考文献) 下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出編: 広辞苑、岩波書店(1991); 世界の「ふしぎ雑学」研究会: 図解、日本の「三大」なんでも事典、三笠書房(2008).

(参考資料) 天橋立(あまのはしだて、google画像検索): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%A4%A9%E6%A9%8B%E7%AB%8B&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=zAOHTci1CMP0cOX6uY4D&ved=0CFoQsAQ&biw=1004&bih=549

松島四大観(まつしましたいかん、google画像検索); http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E6%9D%BE%E5%B3%B6%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E8%A6%B3&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1004&bih=549

厳島(いつくしま、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%8E%B3%E5%B3%B6%EF%BC%88&um=1&ie=UTF-8&source=univ&sa=X&ei=LBOHTbjMFcyrcci45IkD&ved=0CFwQsAQ&biw=1004&bih=549

(追加説明) ○ 1915年(大正4年)、女性誌「婦人世界」が全国投票で選定した「新日本三景」は、大沼(おおぬま、函館、北海道)、三保の松原(みほのまつばら、静岡、中部)、耶馬溪(やばけい、大分、九州)と各地からバランスよく選ばれています。 

 大沼は、渡島駒ヶ岳の噴火で生じた三湖に浮かぶ大小126の島々、33の湾、湖畔の原始林があり、三保の松原は、駿河湾に面する白砂青松と富士山の景観、万葉集にも詠まれました。耶馬溪は、溶岩台地が浸食されてできた渓谷に数々の絶壁、奇峰、石門、紅葉も人気があります。

大沼(おおぬま、函館、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E5%A4%A7%E6%B2%BC&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1004&bih=549

三保の松原(みほのまつばら、静岡、google画像):http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E4%B8%89%E4%BF%9D%E3%81%AE%E6%9D%BE%E5%8E%9F&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1004&bih=549

耶馬溪(やばけい、大分、google画像): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E8%80%B6%E9%A6%AC%E6%BA%AA&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1004&bih=549

 私は、1981年(昭和56年)は1人で、また、1998年(平成10年)は家内と2人で、北海道旅行の途中、大沼公園を訪れ、齣ヶ岳を遠望、洞爺湖の観光船に乗り、雄大な美しい景色を目にしたのが印象に残っています。

 富士山世界文化遺産(2013年(平成25年)6月22日登録、山梨県事務局、静岡県事務局): http://www.fujisan-3776.jp/

2011年1月24日 (月)

ライチョウ(雷鳥)、立山(富山)のライチョウ生息数は日本一(留鳥)、白山の雷鳥、氷河期の生き残り(遺存種)、雷鳥の名の由来、霊山の神の使い(霊鳥)、とは(2011.1.24)

   ライチョウ(雷鳥)は、世界の極北部に広く分布し、日本が繁殖地の南限となっています。本州中部の高山地帯、日本アルプスに留鳥(りゅうちょう)として、特に立山(富山)には日本で一番多く生息しているという。ライチョウは、氷河時代の生残り(遺存種)で、高山植物の実や葉、昆虫などを食べ、特別記念物となっています。なお、北半球北部には18種のライチョウが分布していますが、日本にはライチョウ(雷鳥、本州)とエゾライチョウ(蝦夷雷鳥、北海道)の2種が生息しています。

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ライチョウ(雷鳥、初冬の立山(富山)のハイマツの影でたたずむライチョウ、google画像、So-net ブログ、みねさん備忘録) 雷鳥(四季の紹介、立山の自然保護と環境保全、立山アルペンルート、富山): http://www.alpen-route.com/point/season/season06.html

(解説) 富山県では、1961年(昭和36年)11月3日、ライチョウ(雷鳥)県鳥と制定しました。その他、長野県、岐阜県もライチョウを県鳥と指定しています。ライチョウのメス、オスともに冬羽では全体的に純白ですが、オスの夏羽は全体に黒く目の上が赤く、メスは茶褐色となります。立山のライチョウ(富山県立山センター、立山町、富山):http://www.pref.toyama.jp/branches/1732/raityou.htm 

○ ライチョウの生息地域

 現在、ライチョウ(雷鳥)の生息が確認されている地域は、富山県、岐阜県、長野県、新潟県、静岡県、山梨県などという。日本には推定数3000羽程しか生息しておらず、その生息域も中部山岳の高山地帯という限られた地域で、留鳥(りゅうちょう)と呼ばれています。富山県には、全体の3分の1にあたる約1300羽が生息し、なかでも立山は、日本の中で最もライチョウの生息数が多いところとして知られています。ライチョウ氷河期の生き残りである遺存種、留鳥で、ハイマツと共に氷河の後退に伴い高地に取り残されたと考えられています。

 富士山(静岡、山梨)には1960年(昭和35年)8月21日、北アルプスの白馬岳から7羽のライチョウが富士宮口5合目に移植されました。 一時は繁殖が続いたが、1968年(昭和43年)を最後に目撃情報が途絶え、絶滅したという。 

 石川、福井、岐阜3県にまたがる白山(2702m)において、2009年(平成21年)5月26日、この地域では昭和初期に絶滅したとされる国の天然記念物ライチョウ(雷鳥)メス1羽約70年ぶりに発見されました。

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ライチョウ(雷鳥、白山(石川)で70年ぶりに確認、2009年(平成21年)6月2日、石川県白山自然保護センター上馬康生氏撮影、冬の羽毛から夏の羽毛に生え替わったばかりのメス(雌)の成鳥、 2009年(平成21年)6月6日(土)、北陸中日新聞(朝刊)より) このライチョウは、羽根DNA分析で、富山、岐阜にまたがる北アルプスや南に続く乗鞍岳、御嶽山などに生息するグループと一致していました。 (2010年(平成22年)11月14日(日)、北陸中日新聞(朝刊)より)

(解説) 白山(石川、2702m)において、2009年(平成21年)5月26日、70年ぶりに発見されたライチョウ(雷鳥)は、最初は北アルプスの生息地から飛来したのではないかと考えられていました。が、その後、1955年、1958年の撮影写真、2008年の目撃情報から、2010年(平成22年)11月13日(土)、しいのき迎賓館(金沢市)での第11回ライチョウ会議で、石川県白山自然保護センターの上馬康生次長は、白山のライチョウは1950年代後半からほそぼそと生息していた可能性が高いと報告しました。

○ ライチョウの名(雷鳥)の由来、霊山の神の使い(霊鳥)として崇拝

 ライチョウ(雷鳥)の字が冠せられて理由は定かではありませんが、夕立で雷が鳴った時など、天候が悪くなった時に姿を現すためであるという説が一般的です。一般に、ライチョウは、昼間は主としてハイマツやぶに潜(ひそ)み、朝、夕、あるいは霧の深い時などに草原に出ます。それは、天候のよい時は、ワシやタカに襲われる危険が多いからです。ということで、ライチョウが出ると雷が鳴ることがある、などの言い伝えがあります。

 また、昔、ライチョウ(雷鳥)霊山に住む神の使いとして崇拝されていました。江戸時代、1643年(寛永20年)に建造された尾崎神社(金沢)の本殿の蛙股(かえるまた)には、火難、雷難除けのお守りとして、雷鳥の姿が描かれています。また、白山山麓の石徹白文書(いしとしろぶんしょ)には、医者の見放した病人が雷鳥の羽のまじないで治り、雷鳥の羽を家に安置すると雷難を逃れる旨が記述されています。

 近縁エゾライチョウ(蝦夷雷鳥、北海道)は、翼長が16.5cm、欧亜大陸中部に分布し、日本では北海道の林にのみ生息しています。そして、冬も白くならないようです。

 は、1984年(昭和59年)8月18日~19日、家内とマイカーで日本アルプス地方、平湯、上高地、乗鞍岳を訪れた時、乗鞍岳で、はじめは分かりにくかったのですが、夏の保護色の雷鳥の姿をハイマツの影で見つけ、しばらく追い求めたことがあります。 乗鞍岳の雷鳥(YouTube、2009年10月11日、google画像): http://il.youtube.com/watch?v=DlR6oKCBzEw&feature=related

 ところで、JR北陸本線には、特急の雷鳥、また超特急のスーパー雷鳥(のちサンダーバード、英語名thunder bird)が富山と大阪の間で走っています。が、2010年(平成22年)12月17日、JR西日本金沢支社は、車両老朽化のため来春のダイヤ改正で、雷鳥は新型車輛化されたサンダーバードに一本化すると発表しました。ということで、1964年(昭和39年)に登場した雷鳥という半世紀近い歴史を持つ列車名が消えることになり、時代の流れを痛感しました。

(参考文献)下中邦彦編: 小百科事典、平凡社(1973); 新村出: 広辞苑、岩波書店(1991); 石川化学教育研究会編: 科学風土記ー加賀・能登のサイエンス-、p.132~133、三宅幹夫、雷鳥、裳華房(1997).

(参考資料) ライチョウ(雷鳥、google画像検索): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=e7EMTc2OO8W5cfbejL0K&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=2&ved=0CDsQ.sAQwAQ&biw=1004&bih=581

エゾライチョウ(蝦夷雷鳥、google画像検索): http://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4GGIH_jaJP278JP279&q=%E3%82%A8%E3%82%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6&um=1&ie=UTF-8&source=univ&ei=CaoOTYfeFsWycLWCwY8K&sa=X&oi=image_result_group&ct=title&resnum=2&ved=0CDUQsAQwAQ&biw=1004&bih=581

(追加説明) ○ 雷鳥(らいちょう、別称雷の鳥、らいのとり、霊の鳥とも)は、学名は Lagopus mutus、全長約37cm(翼長が18cm)、キジ目、ライチョウ科の鳥です。夏羽褐色、詳しくは、背面と喉(のど)、胸は黒く、黄褐色、暗褐色、白などの斑(はん)が多い。風切羽、腹面は白く、尾羽は大体黒色で、眼の上部に朱色の肉冠があります。冬羽全体が純白で、尾羽の外側と雄の眼先は黒い。脚は趾(あと)まで羽毛を被っています。

 ユーラシア大陸北部と北米大陸北部に分布し、日本では本州中部の高山地帯のみに生息するが、分布は局地的で、環境省のレッドデータブックでは絶滅となっています。氷河期の生き残りである遺存種で、氷河の後退に伴い高地に取り残されたと考えられています。富山、岐阜、長野各県の県鳥に指定されています。

○ ライチョウ(雷鳥)の名の由来(語源由来事典): http://gogen-allguide.com/ra/raityou.html

(追加説明、話題)

〇 雷鳥の保護増殖事業 石川動物園で始まる!

 国の特別天然記念物、絶滅危惧種のニホンライチョウの保護増殖事業が、いしかわ動物園(石川県能美市)でも始まる。6月22日に東京・上野動物園から受精卵2個を受け取り、順調なら6月27日ごろには、人工ふ化する見込み。ひなは非公開の専用ケージで育て、飼育技術の確立を目指す。

 環境省などによると、飼育は、上野や富山市ファミリーパーク、長野県の大町山岳博物館に次いで四施設目。2017年度から始めた各地の人工繁殖が順調で、上野で想定していた6~8羽のひなを超える可能性があり、いしかわ動物園の分散が決まった。

 同園は2010年11月から近縁亜種のスパールバルライチョウの飼育を始め、自然繁殖に成功、飼育環境も整っている。これは、ライチョウの感染症リスクもあり、新たな分散先を見つける必要がある、との認識で一致していた。(北陸中日新聞(福岡博行): ライチョウ飼育 石川でも、きょう受精卵2個受け入れ、人工繁殖、国内4施設目、2017年(平成29年)6月22日(木)より)

2010年8月23日 (月)

自然と人間との共生、にほんの里100選、町野町金蔵(能登、石川)、糺の森(鎮守の森、京都)、自然界での植物群落遷移、石川の自然環境、里山の再生、自然農法、世界農業遺産国際会議、とは(2010.8.23)

   日本人が育んできた里山の価値を見直す機運が、高まってきています。 2010年(平成22年)10月、名古屋市で開かれる、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、議長国となる日本政府は、「自然共生社会のモデル」として、里山の伝統と知恵を国内外にアピールしていく方針です。同条約の目的の1つは、「生物多様性の持続可能な利用」で、自然を破壊し尽くすことなく、その恵みをいかに末永く利用していくか、という。

○ 里山

 里山は、人間の手の入っていない森林を徐々に人が利用しやすい形に変えていった自然で、人里に接した山です。一般に、里山は、奥山(原生林地域、極相林地域)と人里(二次林地域、人間の居住地域)の中間にあり、農業、林業など集落の営みと、周辺の自然が一帯となっている地域のことです。

 里山は、薪(まき)などの燃料として樹木が伐採され、森に光が差し込み、草原は牧草地や茅場(かやば)として利用されることで、その姿を維持してきました。そして、稲作と畑作、果樹、薪と炭焼き(燃料)、シイタケ栽培、タケノコ狩り、草原(牧草と牧畜、茅場)など、自然の中での人の営みが行われ、また、その自然環境に適応できる多くの昆虫や動植物も共存していました。 

 日本の国土の約4割、石川県の約6割、能登のほぼ全域が里山に位置していますが、現在では、過疎化、高齢化による限界集落も多くなっています。 そして、里山の担い手が少なくなり、放置されると、自然は人の住めない奥山(極相)に向かって変化し、そこにいた生物は生きていけなくなり、変わりゆく自然環境に適応できる生物へと変化していきます。

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にほんの里100選マップ(懐かしい風景、誇るべき暮らしの文化など残している地域、google画像)  にほんの里100選(朝日新聞社、森林文化協会、東京): http://www.sato100.com/?page_id=414

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町野町金蔵(日本の里100選(33番)、能登の山村の隠れ里、ゆるやかに棚田が広がる約160人の集落に五つの寺がある。寺での喫茶店、ブランド米や酒づくりなど住民の地域おこしも盛ん。輪島、能登、石川、google画像)

(解説) 現在、里山の再生をめざす取り組みが各地で動き出しています。地域住民に加え、市民団体や企業が連係し、荒れた森や耕作放棄地の整備などに乗り出しているところもあります。「日本の里100選」に選ばれた里には、その先進地も少なくないようです。(日本の里100選(朝日新聞朝刊130周年、森林文化協会創立30周年記念): http://www.sato100.com/news/100/index4.html.)

 ところで、環境が破壊された地域では、例えば、「人間が住まない」と、その地域(原発事故のチェルノブイリ、水爆実験のビキニ環礁、足尾銅山の鉱毒を埋めた渡良瀬遊水池など)は、信じがたいほど多種多様な生物の住処(すみか)となり、本物の自然の状態となり、以前よりはるかに生物の多様性が見られ、豊かになっている、という。(高橋敬一(1956~ ): 「自然との共生」というウソ、祥伝社新書(2009)、より)

○ 鎮守の森

 鎮守の森は、自然と人間の共生の場でもあります。博物学者の南方熊樟(1867~1741、生物学、民俗学)が強調しているように、鎮守の森は、住民共同体の自治の場で、神の水を共に味わって心を同じくする「一味同心」の集合の場でした。また、貴重な動植物が生きている景勝の地であり、歴史と伝統が息づく聖域でした。

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糺の森(ただすのもり、下鴨神社、左京区、京都、google画像) (関西一円の観光地案内より)

(解説) 上述のような思想を受け継ぎ、鎮守の森の保全と活用は21世紀の重要な課題ということで、2002年(平成14年)5月26日(日)に、学際の「社叢学会(しゃそうがっかい)」が京都の賀茂御祖(下鴨)神社の糺すの森(ただすのもり)研修道場で上田正昭氏(1927~ 、京都大学名誉教授、歴史学、小幡神社宮司)が初代理事長となって設立されました。社叢は神々の森、すなわち鎮守の森のことで、神社には必ず社叢があり、少なくともその名残の樹林が見られます。(社叢学会(NPO法人、ホームページ): http://shasou.org/糺の森(関西一円の観光案内): http://www.my-experience.net/2007/03/post_16.php.)

 この糺の森の下鴨神社には、これまでに数回訪れたことがあります。鎌倉時代、その摂社、河合神社の神官の子に生まれ、禰宜(ねぎ)を務めた父の死後、不遇のうちに出家したのが、方丈記で有名な鴨長明(1155?~1216)です。南の端の境内には、鴨長明が隠遁生活を送ったと言われる小屋、方丈(1丈4方、約5畳半)が復元、展示されています。(鴨長明と河合神社: http://www.hi-ho.ne.jp/kyoto/kawai.html.)

 昔から日本の人々は新しい集落には必ず「土地本来のふるさとの木による、ふるさとの森」をつくってきた、という。おろか者に破壊させないために、神社や寺をつくり、この森を切ったら罰があたる、というふうに守ってきた。それらの森は、地震、台風、火事などの災害の時には逃げ場所になった。ふるさとの木は自然が管理するが、そうでない木は管理に大きな労力と経費を要する、という。(1993年、4月30日、朝日新聞、天声人語、国際生態学センター研究所長、宮脇昭氏(1928~ )、都市の植生のゆくえ、より) 

○ 自然界での植物遷移(サクセション、ブナ林、極相)

 FE.クレメンツ(1874~1945、アメリカ)は、野外調査を重視し、農耕地、草原や森林が常に同じ状態ではなく、長い年月の間に、植生自身の内部的要因によって次第に変化し、最後には、その土地の気候に最も適合したタイプの植生になって安定化するという植物遷移説(Succession theory、サクセション説)を提唱しました。

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自然界での植物遷移(サクセション、植物群落の遷移図、浜島書店、より)

(解説) 一般的な植物群落の遷移においては、まず栄養の乏しい土地には、先駆植物として地衣類(チズゴケ、ハナゴケなど)やコケ植物(スナゴケなど)が一面に繁茂し、枯死により土地が肥えると、シダ植物などの時代に移ります。さらに土地が肥えると、光を好む一年生の草(イタドリ、ススキ、ヨモギ、クズなど)や多年生の草(ササなど)のソデ群落に移ります。

 さらに土地が肥えると、低木類の陽樹(リョウブ、ウツギ、アカマツなど)のマント群落に移ります。その日陰に高木の陰樹(アラカシ、モミ、ブナなど)が生え、陰樹が生長して陽樹を追いやり、それぞれの段階で数十年から数百年を経て遷移が進み、最後に植物相が安定した極相林(きょくそうりん、クライマックス)となります。

ブナ林白山釈迦岳中腹、2008年6月21日、kimura氏撮影、google画像) (白山自然態系ー白山の写真と話題: http://hakusan.2702.jp/archives/2008/06/post_217.html. )

(解説) ブナは、天を仰ぐように枝を広げ、すべての葉と枝で雨水を受け止め、幹に伝えて根元に集め、地表の堆積物と土壌に広く深く浸透させて貯留し、その結果、ブナ林は天然のダムとなります。そして、命の水を湧き出させ、豊穣な森の恵みを与えてくれますし、また、鉄砲水や地滑りも防いでくれます。

 ブナの森の床を歩くと、フカフカしたスポンジのようです。そのスポンジは、雪や雨の水をたっぷりと抱え込む「緑のダム」です。ブナの森の土壌は、分厚いろ過装置となって、透明無垢(とうめいむく)な水を生み出します。ブナの寿命は約300年と言われています。

○ 石川県の植生(石川の自然環境)

 石川県の降水のもとになる積雪は、白山山系の豪雪地域から日本海の能登地域に向かって減少しています。この雪はやがて清らかな水に変わり、郷土の豊かな自然を生み出す源(みなもと)になります。また、その気候が、石川県の植生と分布を大きく特徴づけ、白山山系を中心とした大規模なブナ林を発達させています(極相林)。

 県民の大部分が生活している地域は、ふるさとの木(タブノキ、スダジイ、ウラジロガシ、ヤブツバキなど)のように、葉の表面にクチクラが発達し、光沢のある葉を持つ常緑広葉樹の照葉樹林帯です。が、人間活動の影響を受けて変化し、また変化させられて、二次林のコナラ、スギ、アカマツなどの植林地域、田畑の耕作地域、市街地域からなる人里となっています。

(参考文献) 浜島書店編集部: 増補最新図表生物、浜島書店(1995); 自然人編(代表、矢島孝昭): 自然人、橋本確文堂、No.4、Autumn(1998年、10月1日); 高橋敬一: 「自然との共生」というウソ、祥伝社新書(2009).

(追加説明) ○ 里山の再生

 典型的な里山には、集落の周りに農地(田畑、棚田)やため池、二次林(コナラ、クヌギ)、草原(牧草、カヤ、ススキ、ササ)などが混在しています。弥生時代、農耕の始まりと共に、3千年もの間、人間が手を加えながら維持してきました。こうした里山は、国土の4割を占めますが、多くは荒廃し復元は難しいとされています。

 里山は、農林業の舞台のほか、祭りや文化を育んできました。動植物の宝庫でもあります。が、戦後の燃料革命(石炭、石油、ガスなど)で、雑木林を伐採して得た山の資源(薪、木炭)が使われなくなり、大きくなった木々で林は暗くなり、ササは伸び放題となり、また、高齢化や減反により、荒れた休耕田(耕作放棄)が増えました。

 これには、1970年代の土地改良、農薬、化学肥料の普及、木材、食料、石油の輸入など、農林業、生活スタイルの変化が大きな要因となっています。

 ということで、里山でしか生きられないコウノトリやトキ、ツシマヤマネコの希少種を里山再生のシンボルにする地域が多いです。例えば、農薬、化学肥料を使わず、冬も水を張っておき、フナやドジョウが息づき、コウノトリなど野鳥がエサを求めて羽根を休める田んぼを少しずつ増やす、「コウノトリを呼び戻す農法」は、豊岡市(コウノトリの郷公園、兵庫)、越前市(白山、坂口地区の丘陵地、福井)で見られます。里山再生は、環境教育にも活用され、また特産品作り(有機米)や町おこし(コウノトリの郷)にもつながっています。

 が、都市民を呼ぶシンボルもなく、過疎地が深刻な中山間地域では、里山再生は困難です。今年の3月に策定した生物多様性国家戦略では「すべて維持は現実的でない」とし、残すべき地域を選び、あとは地域特有の自然にゆだねた林に戻す(自然界の植物遷移にまかす!)方策の検討を指摘しました。

 環境省の里地里山保全・活用検討会議委員の進士五十八(しんじいそや、1944~ )東京農業大名誉教授は「里山の問題は、国土のデザインの問題。日本の農林業をどうしたいのか、国を挙げて取り組む姿勢が必要だ」と話しています。(2010年(平成22年)8月23日(月)、朝日新聞朝刊、いきもの地球号、里山の再生、より

  帰化植物の害  郊外電車の線路脇、空地、荒地などにわがもの顔に生い茂っている雑草のうち、9割程度は外来種の植物だと言われています。北米原産のブタクサ、セイタカアワダチソウ、オオブタクサなどの花粉は、やっかいな花粉病を起こします。また、田畑をおびやかす帰化植物もあります。オオイヌノフグリ、ハルジョオン、ムラサキカタバミなどで、田畑に進入して雑草となり、除草が難しくなります。家畜が食べると中毒を起す雑草もあります。ドクニンジン、ドクゼリモドキなどです。その他、田のあぜなどに見かける植物、タンポポのほとんどは外来種で、日本種はごくまれにしか見られないという。(樋口清之(監修): 生活歳時記、p.519、帰化植物の害、三宝出版(1994)より)

  棚田(たなだ)ネットワーク(ホームページ、棚田オーナー制度含む、NPO法人): http://www.tanada.or.jp/. 農林水産省の2009年(平成21年)度の資料によると、全国の棚田は計約16万ヘクタールで、全国の水田の6%ほど、国が棚田農家を助成する制度で耕作放棄はある程度食い止められているが、後継者不足は深刻という。(朝日新聞、いきものとくらし、治水・命の宝庫・安らぎ、棚田の包容力守り続けたい、2010年(平成22年)10月27日(水)、朝刊、より)

 季節の味覚として、魚類野菜には、いわゆる(しゅん)という、食べ頃の時期があるという。野菜では、温室栽培、水耕栽培などが盛んになり、キューリ、トマト、ナス、ピーマン、カボチャ、イチゴなど、また、魚類では、養殖業が盛んとなり、カキ、ホタテガイ、ブリ、マダイ、フグ、ワカメ、ノリ(海水)、アユ、エビ、ウナギ(淡水)などが季節に関係なく食べられるとなると、そのものの本来の味が失われるという。

○ 自然農法

 里山の再生、保全を目的とした自然農法(化学肥料、農薬、除草剤などを使わず、 マメ科植物、ミミズ、天敵などを使って栽培する)に関しては、里山自然農法協会(一般社団法人、大坂):http://satoyama-shizen.or.jp/ 、トキのふるさと里山自然農法(輪島、石川): http://www.mannmaru.jp/index.html.のほか、日本各地で多くの就農者がおられるようです。

 自然農法家、福岡正信氏(1913~2008)には、 世界各国の言語(英語、韓国語、タイ語など)で翻訳された「自然農法・わら一本の革命」の著書があります。伊予市(愛媛)の故郷で、20代より、田畑とミカン山(5反、50アール、50×100ヘイホーメートル)で、自然の力にゆだねる、土を耕さず、無肥料、無農薬、無除草で米や野菜、果樹などを作る、「自然農法」を提唱し、実践しました。

 その手法として、田植えをせず、種籾(たねもみ)をじかに地面にまいて米を作り、刈り取る前に麦をまく「不耕起直撒(ちょくはん)」の米麦連続栽培を考案しました。また、下草刈りの手間を省くために、緑肥となるクローバーをまきました。ミカン山では、木の根元に下草を生やして栽培しました。

 また、地球規模の環境破壊に危機感を抱き、樹木や果樹などの約100種の植物の種子を粘土で固めた特製の「粘土団子」を使って、アジアやアフリカの砂漠緑化にもかかわり、それらの成果が評価され、1988年(昭和63年)に「アジアのノーベル賞」と言われるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞しました。

 2008年8月16日、老衰で亡くなられました。享年95歳。「一生、自然を追い求めて、死を意識しながら死んでいった。自分の人生を貫いたような気がする」。長男の雅人さん(65)は語った。(2008年(平成20年)10月19日(土)、朝日新聞朝刊、自然農法家、福岡正信さん、自然の力 生涯追い求め、より)

 福岡正信の自然農法と茅茫庵(西山敬三氏、体験談): http://www.netwave.or.jp/~n-keizo/fukuoka1.htm.

 私は、福岡正信氏の自然農法に関する著書を数冊読み、実状が知りたくて、1987年(昭和62年)8月14日、1999年(平成11年)8月16日、弟(最初は悟、光男と3人で、のち悟と2人で)とマイカーで福岡氏の田畑と山の果樹園(伊予、愛媛)を見学に訪れたことがあります。福岡氏はご不在のようで、農地と果樹園は推測ですが、放耕地でよく見られるセイタカアワダチソウ(耕作地を水浸しにすれば発芽しないという?)のような背丈の大きな草はなく、いろんな小さな草が繁茂していたのを覚えています。私の郷里のセイタカアワダチソウが繁茂している自宅の畑(引野、上板、德島)は、水浸しにもできず、抜き取るしかないように思いました。

○ かかし案山子)は、竹や藁(わら)などで人の形を造り、田畑にたてて、鳥獣がよるのをおどしふせぐもの。とりおどし。(広辞苑より)

○ 世界農業遺産国際会議(開催結果、2013年(平成25年)5月29日~6月1日、石川県七尾市):  http://www.pref.ishikawa.jp/satoyama/noto-giahs/forum.html

 

2010年1月23日 (土)

白山(石川)の麓の巨樹、御仏供杉にまつわる歴史伝承、巨樹(巨木)、祇陀寺(鶴林寺、金沢)、大智禅師(肥後、熊本)、とは(2010.1.23)

  白山、吉野谷村(白山市、石川)の工芸の里近くに、1938年(昭和13年)8月8日に国指定天然記念物に指定された巨樹(きょじゅ)、御仏供杉(おぼけすぎ)、があります。

 巨樹とは、大きな立木、巨木のことで、地上から約1m30cmの位置での幹周(囲)が3m以上の樹木。なお、地上から約1m30cmの位置において幹が複数に分かれている場合には、個々の幹の幹周の合計が3m以上であり、そのうちの主幹の幹周が2m以上のものとする、と定義されています。

 悠久の時によって育まれた巨樹・巨木林は、わが国の森林・樹木の象徴的存在であり、良好な景観の形成や野生動物の生息環境、地域のシンボルとして人々の心のよりどころとなるなど、保全すべき自然として重要である。(自然環境保全基礎調査、緑の国勢調査、環境省より)

 はしなやかですが、はしっかりしています。これは、草も木も細胞壁(さいぼうへき)を持ち、その成分はセルロースという細い繊維質とヘミセルロースやリグニンという無定形の物質(マトリックス)とからできていますが、には特にリグニンが多く、木質部(もくしつぶ、細胞壁を固化して年輪を形成、二酸化炭素の固定)ができるからです。

 鉄筋コンクリートの建物でいえば、セルロースは鉄筋、ヘミセルロースは鉄筋を結びつける針金、リグニンはコンクリートにあたります。従って、鉄筋にあたるセルロースの並ぶ方向は、鉄筋コンクリートの性質を持っているので、二重三重に丈夫であり、高層建築、すなわち、巨樹になると言えます。

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御仏供杉(おぼけすぎ、吉野谷村、白山市、石川)

(解説) 御仏供杉は、樹齢約700年、樹高18.7m、目廻り7.6mの大樹で、その樹形が仏様にお供えする、おぼくさま、のよう(仏飯を盛ったような形)に見えることから、御仏供杉と呼ばれるようになりました。この杉は、別名、倒さ杉(さかさすぎ)、とも呼ばれ、この辺りは、14世紀の中頃(鎌倉末期から南北朝初期)、元(中国)から帰国した祖継大智(そけいだいち)が、地頭結城(ゆうき)一族に支えられて建てた祇陀寺(ぎだじ、禅寺、曹洞宗)と言われています。

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大智禅師(絹本著色、長谷川信春筆、石川県): http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kaiga/k-10.html

 大智禅師は、1290年(正応3年)、肥後国(熊本)に生まれられ、幼い時(7才)に仏門に入り、1324年(正中元年)、中国(当時は元の国)での11年間の修行を終えて帰朝、翌年ここ吉野の山中(河内荘、吉野郷、加賀)にて、祇陀寺(ぎだじ、禅寺、曹洞宗)を開山されました。

 また、大智禅師は、1330年(元徳2年)に菊池武重(きくちたけしげ、菊池氏第13代当主、肥後)の願いを入れ、肥後に向かうにあたり、山ん寺から杖にしてこられた杉の小枝をさかさにさして、この木が根づいて繁盛すれば、仏法盛んになるべし、と言われて、村人に別れを告げられ、以後村人は仏の木として大事にお守りし、今の大樹になったと伝えられています。また、この木は、梢(こずえ)が四方に根が張ったように見え、どの枝も下に垂れたように下り、又上を向いています。これが倒さ杉と言う名の起こりです。

 その後、祇陀寺は、開創後100年で火災にあい、久しく絶えていたが、藩政期に入って越中守山(高岡、富山)で再興、まもなく金沢城下、八坂(やさか)の地に移り、大安寺と改め、さらに鶴林寺(東兼六町、金沢)と改称しました。この寺には、宋元画風に描かれた室町時代中期の作品、大智禅師画像が伝わっています。また、大智禅師祇陀寺にいた頃に選んだという、吉野十勝(十景)は、白山信仰とつながりを持つ修行場であり、白山信仰を基に定着させた曹洞禅の一つの姿を伝える名残と言われています。

 現在、この地の周辺は、吉野工芸の里ですが、すぐ近く、手取峡谷の黄門橋を渡り右に歩くと、1985年(昭和60年)、日本の名水百選に選ばれた弘法池の水が湧き出しています。

(参考文献) 石川県の歴史研究会編(編集代表、奥村哲): 石川県の歴史散歩、山川出版社(1993); 熊本県高等学校社会科研究会編、熊本県の歴史散歩、山川出版会(2000).

(参考資料) 自然環境保全基礎調査(緑の国勢調査): http://www.biodic.go.jp/kiso/13/13_kyoju.html

大智禅師: http://www.kumashoko.or.jp/shiranui/local/kankou/taichi.html

吉野工芸の里(吉野、白山市、石川): http://hakusan-no-megumi.jp/nature/nature_detail.php?P=42

(追加説明) ○ 大智禅師は、1338年(延元3年、暦応元年)、菊池武重より宏大な所領の寄進を受け、聖護寺(しょうごじ、曹洞宗、菊池、熊本)を創建、ここで禅師は20年間修行し、その教えは菊池一門の心の支えとなりました。1942年(昭和17年)頃から大智の遺徳を慕う村上素道により、もとの所に現在の聖護寺が再興されています。

○ 足利尊氏が建武の新政から離脱し、反旗を翻すと、菊池武重(きくちたけしげ)は後醍醐天皇の近くに仕え、日本各地を転戦しました。

 菊池氏は、太宰府府官の出身ですが、菊池 武重、1307年(徳治2年)?~1338年(延元3年、暦応元年)?は、鎌倉時代末期から南北朝時代頃の武将、菊池氏第13代当主(第12代当主、菊池武時の嫡男)です。1333年(元弘3年)、父の武時と共に挙兵し、鎌倉幕府の鎮西探題、北条英時を攻めたが、逆に英時や少弐貞経、大友貞宗らの反撃を受け父は討死、武重は命からがら本国に逃げ帰りました。後醍醐天皇による建武の新政が始まると、亡父の功績を賞されて肥後(熊本)一国を与えられました。

 1335年(建武2年)、足利尊氏後醍醐天皇反逆、鎌倉より軍を率いて侵攻すると、弟の菊池武吉と共に新田義貞に加わって足利軍と戦ったが、敗れて京都に逃げ帰りました。その後、九州に落ちた尊氏が再挙して攻め上ってくると、武重は兵庫など各地で足利軍と戦ったが、敗れて足利軍に捕えられました。しかし一命は助けられて、肥後に送り返されています。

 1337年(延元2年、建武4年)2月、九州における南朝勢力を結集して北朝勢力と戦ったが、1338年(延元3年、暦応元年)に死去。後を弟の菊池武士が継ぎました。

 

 

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