カテゴリー「● かなざわ(金沢城、兼六園、野田山、加賀藩主前田家墓所)」の19件の記事

2016年1月11日 (月)

消防出初め式、加賀鳶(1月10日)、江戸時代、加賀藩邸お抱えの火消し人夫、梯子登り、基本は破壊消防法、とは(2016.1.11)

  金沢市の消防出初め式が昨日(1月10日)、金沢城公園で開かれ、約1300人の市消防局職員、消防団員が参加しました。県無形民俗文化財に指定される42分団の加賀鳶(とび)はしご登り、また、下帯姿の団員が一斉放水を披露し、約4200人の観客を沸か  せました。

 加賀鳶とは、江戸時代、加賀藩が本郷(江戸)の藩邸に抱えていた火消し人夫でしたが、特権意識が強く、一般町の火消しとの対立が絶えなかったと言う。火事と喧嘩(けんか)は江戸の華(はな)と言われるほど、江戸では火災が頻繁に起こっていました。

 江戸時代の消防法の基本は、破壊消防法であり、加賀鳶(かがとび)においても、鳶口(とびぐち)は火を消す道具ではなく、家を壊す道具でした。カケヤという大型の鎚(つち)も同じものでした。燃えだしたら仕方がないから、周りの家を壊して防火帯をつくるための道具でした。現在、家屋の延焼防火帯(火除土手を設けた広い街路)として、広小路の名が、日本各地に残っています。

 1869年(明治2年)、加賀藩最後の藩主(旧14代藩主)、金沢藩知事、前田慶寧(よしやす)は、加賀鳶38人を連れてきて、町方の手勢を加え、藩の定火消として常駐させました。

 加賀鳶には、梯子(はしご)登りの妙技があり、一本火の見、をはじめ、夢枕肝返り鯱鉾(しゃちほこ)逆さ大魂つぶし八艘(はっそう)飛び背亀鶯(うぐいす)の谷渡りなど、47種の技が伝えられています。

Photo_2

 加賀鳶(とび)の「梯子(はしご)登り」を披露する消防団員、 足首をはしごに固定して、地面と水平に体を伸ばす、鶯(うぐいす)の谷渡り、金沢城公園 、金沢市丸の内1-1、石川県、2016年(平成28年)1月10日(日)、(北陸中日新聞画像

(参考資料)

  金沢城の大火事にまつわる歴史実話、火元(落雷、フェーン現象、火の不始末)、火消し(加賀鳶、破壊消防法)、とは(2010.3.24): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/66.html

2015年11月28日 (土)

兼六園の雪吊り 唐崎松(からさきのまつ)(2015.11.28)

    兼六園の雪吊り 唐崎松 

2014114_3


                   兼六園の雪吊り 唐崎松(からさきのまつ)(2014.11.4撮影) 

(解説加賀13代藩主前田斉泰(1811~ 1884)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎から松の種子を取り寄せて育てた黒松で、兼六園の中で最も枝ぶりの見事な木です。

 

2015年11月 6日 (金)

金沢城探訪(10月21日)、河北門、石川門と鉛瓦、耐鉛性のヘビノネゴザ、東の丸東面石垣、玉泉院丸庭園、とは(2015.11.6)

金沢城探訪

〇 河北門金沢城の実質的な正門

 河北門は、金沢城の実質的な正門でです。高麗門の一の門、櫓門の二の門、枡形土塀で構成された枡形門で、屋根は鉛瓦です。金沢城三の丸の入口で、真向かいの石川門へと通じています。

Pa217428

Pa217432

Pa217439

〇 石川門、金沢城の搦手(裏口)門、城下町金沢のシンボル

 石川門は、金沢城の搦手門(裏口)門で、兼六園の真向かいにあり、城下町金沢のシンボルとなっています。この白い薄い雪化粧を思わせる屋根は、3代藩主前田利常の頃から鉛瓦となっています。

 金沢城三の丸への入口で、 高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓とニ層二階建ての石川櫓で構成された枡形門で、屋根は鉛瓦です。

Pa217486

Pa217483

Pa217450

Pa217452

 金沢城の鉛瓦の屋根は、加賀藩が、いざというときに備え、銃弾資材を、このような形で備蓄していたとか、鉛瓦の中に蓄財用の金、銀を鋳込んであった、との言い伝えがありました。また、土塀の鉄砲狭間と鉛瓦屋根の石落としで金沢城を守りました。

 現在、国の重要文化財、石川門、三十間長屋のほか、近年、再建された、河北門、二の丸の橋爪門と続き櫓、菱櫓、五十間長屋など、全て鉛瓦葺きで、今も江戸期の面影を残しています。

〇 鉛に耐性のあるシダ植物、金山草、ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)

Pa217477

Pa217473

Pa217471_2

Pa217476

 鉛瓦の白い物質は鉛白(塩基性炭酸鉛)ですが、酸性の雨水や降雪に溶けるので、鉛瓦の下の石垣には、鉛に耐性のある、金山草の異名をもつ、シダ植物、ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)が散生しています。

〇 東の丸東面石垣、金沢城最古の高石垣

Pa217640

Pa217641

Pa217642

 加賀藩初代藩主、前田利家の頃から、加賀藩お抱えの穴生(あのう、石垣専門職人)として、穴太家、後藤家、戸波、正木などがありました。

 金沢城は、石垣の博物館とも呼ばれ、主な石組みの技法は、最古の自然石積みのほか、粗加工石積み、切石積みなど、各時代の様々な技法が見られます。

〇 2代藩主利長正室、玉泉院の屋敷跡、玉泉院丸庭園

Pa217689

Pa217700

Pa217704

Pa217741_2

Pa217711

Pa217694_13

   玉泉院庭園は、3代藩主前田利常の頃、城内に引かれた辰巳用水を水源とし、池底から周囲の石垣の最上段までの距離が、高低差22mの立体的な池泉回遊式庭園となっています。

(参考資料)

〇 金沢城の石川門と屋根の鉛瓦にまつわる歴史伝承、金沢城の歴史、逸話(利常と幕府、綱紀と幕府)の関係、とは(2009.5.30):
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2009530-9dd2-1.html

〇 金沢城石川門の鉛瓦とシダ植物ヘビノネゴザ(蛇の寝御座)、土壌とヘビノネゴザ組織内の鉛の分布状態、
自然環境の鉛汚染と浄化:、とは(2009.5.30): 
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/2009530-db44-1.html

〇 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ
(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22): 

http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/102.html

〇 冬の雪を氷室に納め夏に江戸の徳川将軍に献上、金沢城(玉泉院丸の穴蔵)と兼六園(山崎山裏の凹地)の氷室、
日本最古の噴水、とは(2009.7.16):
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/fuyu.html

 

2015年10月27日 (火)

兼六園の噴水(10月21日)、日本最古(約170年前)の噴水、導水石管、上の霞ヶ池の水位と連動し、自然の水圧で吹き上がっている、とは(2015.10.27)

 兼六園には日本最古といわれている噴水があります。この噴水は、上にある霞ヶ池を水源とし、自然の水圧で吹き上がっています。水の高さは、約3.5mで、霞ヶ池の水位に連動して変化します。

Pa217543

噴水

Pa217550

霞ヶ池

 1861年(文久元年)、金沢城の二の丸の居間先に噴水が上がっている絵図があります。兼六園の噴水は、その試作で、水圧を計るために造られたと考えられ、今も時雨亭跡の前で勢いよく吹き上げています。 その高さは、霞が池の水面と同じで、金沢城の二の丸の高さに相当するものです。

Pa217465

Pa217459


 
金沢城の二の丸の櫓

Photo

逆サイフォンの原理により、兼六園から谷間の白鳥掘りを超え、二の丸まで水を上げています。  出展:『石川県土地改良史』(石川県) http://suido-ishizue.jp/nihon/03/img/01_p02.jpg

  兼六園の霞ヶ池から金沢城へは、石管((直径約30cm、長さ約1m、角柱状)を松ヤニで接着させて導水しています。 この時、逆サイホンの原理(伏越の理)を利用して、霞が池の水面と同じ高さの金沢城の二の丸まで水を木樋(のち石管)で引き入れました。これは、江戸の神田上水の技術を導入したものと考えられています。

Pa217620

Pa217624_3

石管

(解説) 1631年(寛永8年)、加賀の城下町で火災が起こり、金沢城の本丸も焼けてしまいました。そのため、加賀3代藩主、前田利常は、防火用水、農業用水として、また城周辺の空堀に水を満たすため(金沢城防衛)、1844年(天保15年)の頃より、犀川(8km上流)から兼六園経由で金沢城内までの辰巳用水を板屋兵四郎にに造らせたと言われています。

(参考資料)

〇 冬の雪を氷室に納め夏に江戸の徳川将軍に献上、金沢城(玉泉院丸の穴蔵)と兼六園(山崎山裏の凹地)の氷室、日本最古の噴水、とは(2009.7.16): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/fuyu.html 

〇 日本三名園、サイエンス(科学)のふるさと、兼六園内の藩校と遺跡、兼六園の歴史、東京大学の赤門のルーツ、とは(2009.6.18): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-4dbe.html

2015年8月31日 (月)

秋の兼六園  徽軫(ことじ)灯籠と虹(にじ)橋 (2015.8.31)

 

11902476_486184458223234_90390931_2

秋の兼六園  徽軫(ことじ)灯籠 と 虹(にじ)橋   金沢市兼六町(2014.11.4撮影)

2015年5月27日 (水)

大乗寺と野田山のふもと、おたまじゃくしもいる稲田を仲良く遊泳し、何か獲物をとる野生の二羽のカルガモ、とは(2015.5.27)

(Link) 動画(YouTube)  https://www.youtube.com/watch?v=kIFTNaaBF6Y

動画 (Facebook)  https://www.facebook.com/honjo1003

 昨日(5月26日)、家内の健やか検診が健生クリニック(金沢市平和町)であり、指定時刻の9時30に、マイカーで行きました。その後、少し離れた東側の勝木書店の駐車場へ、健康診断が終わるまで、2時間ほど待つことにしました。

 その間の時間つぶしに、久しぶり、北側の近く、大乗寺と野田山まで、ぶらりと散策しました。その途中、稲田(コシヒカリの育苗!)を見ると、田んぼの中には、おたまじゃくし、水すまし、また、目と鼻の先には、二羽のカルガモ(野生、雄雌で後ろ側がメス鳥!?)が仲良く遊泳し、何か獲物をとる姿(草取り?)が見られました。そこで、しばらく、カルガモの様子を観察し、その光景と動画をデジカメに収めました。

P5260375_2

P5260373_3

P5260239

P5260238

P5260243

P5260245

P5260231

P5260233

P5260347

P5260344

コシヒカリの稲田のカルガモとオタマジャクシ(大乗寺、野田山のふもと、長坂町、金沢市、2015年5月26日撮影)

○ 田植え、金沢市内の田んぼ、田植え機によりコシヒカリの育苗を植えると同時に、肥料も撒く農作業の風景、とは(2014.5.3): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/201453-c688.html

 イネ(稲)にまつわる歴史伝承、イネの起源、分類と品種、米の栄養成分、イネの生育と栽培、病虫害、収穫、米の生産と流通、とは(2011.6.17) : http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/184.html

2014年11月13日 (木)

金沢城の惣構え(そうがまえ、総構とも)、城と城下町を堀と土居で囲む城郭構造とつながりの深い、辰巳用水、鞍月用水、とは(2014.11.13)

 惣構え(そうがまえ、総構とも)は、江戸時代、城と城下町の外回りを堀や石垣、土塁などで囲む、城郭構造です。金沢城惣構は、渦郭式(かていしき)のを中心とした城下町を囲む(ほり)や、堀の城側を土で盛り上げた土居(どい)など、外敵から城を守る防御構造となっています。

 金沢城下町には、1599年(慶長4年)に内惣構、また、1610年(慶長15年)に外惣構が造られ、これらが二重に城を囲んでいます。造成時のは深いところで約5メートル、土居は堀底から最大9メートルの高さであったという。明治になると、大部分の土居は堀の埋土となり、多くの道路や小さな用水となりました。

https://www.facebook.com/honjo1003

1_4

2_4

辰巳用水(たつみようすい、兼六園の上流、土清水町近く、2005年7月11日撮影)

3_4

辰巳用水(たつみようすい、金沢市役所前近く、 2007年5月24日撮影)

4_3

鞍月用水(くらつきようすい、せせらぎ通り商店街、長町近く、SHOP LIST、 Google画像、http://seseragi-st.com/about_seseragi_st.html

5_4

Pb0401021

鞍月用水のせせらぎ(金沢駅通り、JR金沢駅東口前近く、 2014年11月4日撮影)

(解説) 現在、金沢の用水は、全部で55と数多く、市街を網の目のように流れています。その長さは、全部合わせると約150kmになり、庭園、生活、農業、工業、防火などの用水として利用されています。その代表的な用水に、金沢中心街を流れる辰巳用水(たつみようすい)や鞍月用水(くらつきようすい)があります。また、JR金沢駅東口前には、鞍月用水のせせらぎが見られます。

 ○ 辰巳用水は、犀川(上辰巳町、崖下の東岩近く)を水源(取水口)とし、1639年(寛永16年)代に造られ、小立野台地を流れ、兼六園の霞ヶ池から金沢城内外の堀の水を供給していました。現在、兼六園から流れ出た後、市役所の近くで、別の方向から流れてきた鞍月用水と合流しています。

○ 鞍月用水は、また犀川(城南2丁目、上菊橋の上流右岸近く油瀬木の堰)水源(取水口)とし、金沢の繁華街、香林坊の地区を流れ、金沢駅西の付近で大野庄用水と合流しています。水量は豊富で、防火消雪などに使われています。 

 名前由来は、鎌倉から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいてます。金沢中心街の大通りで用水は暗渠(あんきょ)となり、再び顔を出すのは武家屋敷のある長町のせせらぎ通り商店街の近くです。 また、金沢駅通りのJR金沢駅東口前には、鞍月用水のせせらぎが見られます。

(参考文献) 北陸中日新聞: 旅 用水かいわい散歩、金沢市、先人の”遺産”大切に、2014年(平成26年)10月3日(金)夕刊.

(参考資料) 〇 金沢城惣構跡そうがまえあといいねっと金沢、金沢市、石川県): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/shiteibunkazai/kinenbutsu/sougameato.html.

〇 金沢城 城郭 惣構え(Google画像): https://www.google.co.jp/search?q=%E9%87%91%E6%B2%A2%E5%9F%8E%E3%80%80%E5%9F%8E%E9%83%AD%E3%80%80%E6%83%A3%E6%A7%8B%E3%81%88&hl=ja&rlz=1T4GGNI_jaJP523JP523&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=mJhkVLymIsSumAXTzYCoDA&ved=0CB4QsAQ&biw=1366&bih=588

○ 金沢の用水(用水の保全、金沢の用水網、いいね金沢、金沢市): http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11107/keikan/yousui/yo_map.html

○ 金沢の代表的な用水(辰巳用水、鞍月用水、大野庄用水、まちなみ景観、いいねキッズ、金沢市、石川県) http://www4.city.kanazawa.lg.jp/kids/01/keikan/yousui.html

(追加説明) 〇 江戸城(東京)の惣構え(そうがまえ、総構とも)にまつわる歴史実話、渦郭式、四神相応、東照大権現、とは(2009.9.23): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/32.html

 江戸城渦郭式(かていしき、螺旋式、らせんしき、とも)の城郭は、金沢城にも見られ、西洋建築影響とも考えられています。 1599年(慶長4年)、高山右近(たかやまうこん、もと高槻城主、キリシタン大名、前田利家の客将、26年在)が、金沢城の築城に関与しています。この頃は、ヨーロッパ(ルネサンス都市、イタリア)では螺旋状のデザインが大流行していました。この手法を高山右近、1552年?(天文21年?)~1615年(慶弔20年)が金沢城に、また藤堂高虎江戸城応用した可能性があります。

 

2014年11月 7日 (金)

晩秋(11月4日)、金沢城の大手堀、正門の河北門と裏門の石川門、白鳥路傍の池の錦鯉、兼六園の紅葉と雪吊りの光景、とは(2014.11.7)

  先日(11月4日)午後、明るかったので、さらに、金沢駅の東口から、金沢中心街の武蔵ヶ辻、近江町市場を通り、金沢城から兼六園まで、晩秋の景色を眺めながら、気の向くままに、少し立ち止まりながら、歩き続けました。

 その途中、金沢城の大手門から黒門に至る大手堀、黒門の入口から金沢城の正門の河北門を眺め、裏門の石川門の鉄門を通り、白鳥路傍の庭園の池で泳ぐ錦鯉にくぎ付けとなり、また、紅葉と雪吊りの美しい兼六園の庭園の光景を観賞、それらの光景をデジカメに収めました。

https://www.facebook.com/honjo1003

Img_0_m2

Img_1_m1


Img_21


Img_31

Pb040315

Photo_71

金沢城の大手堀、正門の河北門と裏門の石川門、白鳥路傍の池の錦鯉、兼六園の紅葉と雪吊りの光景、2014年11月4日撮影)

(参考資料) ○ 金沢城の石川門と屋根の鉛瓦にまつわる歴史伝承、金沢城の歴史、逸話(利常と幕府、綱紀と幕府)の関係、とは(2009.5.30): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-9b02-1.html 

○ 金沢城の石垣と戸室石(戸室山、金沢)、石曳き(運搬の再現、金沢城三の丸)、野面積み(本丸北面石垣)、打込接ぎ(本丸南面石垣)、切込接ぎの石垣(石川門枅形東面石垣)、とは(2010.7.22): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/102.html

○ 冬を迎える風物詩、兼六園の雪吊り(ゆきづり)、武家屋敷の土塀の薦掛け(こもかけ)、とは(2010.12.6): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/148.html

〇 金沢城の外庭(兼六園)にまつわる歴史伝承、蓮池庭(のち兼六園、松平楽翁、洛陽名園記)、日本三名園(特別名勝)、中国三名園、とは(2010.5.15): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/76.html

 

2014年11月 1日 (土)

鬼門(きもん)、金沢城の鬼門を守る宇多須神社(もと卯辰山八幡宮)、加賀100万石 藩祖の前田利家は、遺言により野田山墓地に埋葬され、のち宇多須神社(もと卯辰山八幡宮)に合祀され、さらに金沢城の西側の新社殿、尾山神社の祭神として祀られた、とは(2014.10.31)

 

 鬼門(きもん)とは、広辞苑によると、古代中国の陰陽道(おんようどう)で、鬼が出入りし、万事に忌(い)み嫌う方角で、丑寅(うしとら、艮)すなわち東北(鬼方)です。また、鬼門除け(きもんよけ、丑寅除)は、災難を避けるため鬼門の方角に神仏を祭ること、と説明されています。

11_5

宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、MAPPLE観光ガイド、東山、金沢市、石川県、Google画像) https://www.facebook.com/honjo1003

(解説) 江戸時代、1585年(天正13年)、加賀藩祖前田利家は、金沢城築城し、加賀・能登・越中3ヵ国の中心的な城としての威容(いよう)を備えました。この鬼門北東)にあるのが卯辰山で、その麓には、金沢城鬼門守護神(毘沙門天、びしゃもんてん)を祀る、宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、東山、金沢市)があります。

  前田利家(1537~1599)が亡くなると、遺言通り卯辰山の南となり、野田山の頂上近く、兄の前田利久(?~1587)のすぐ下の地に葬むられました。その後、加賀2代藩主前田利長(1562~1614)は、金沢城鬼門にあたる卯辰山八幡宮に父、利家合祀(ごうし)し、鬼門封じ鬼門鎮守)としました。

Img_5d99d3d5c0_01


Photo_2

加賀藩祖 前田利家公の墓(野田山墓地、標高175m野田山の頂上近く、野田町、金沢市、石川県、2014年9月30日撮影)

(解説) 江戸時代、前田利家はじめ一族は、土饅頭(どまんじゅう)の墳墓として埋葬されていました。前田家の祭祀が神式に改められたのは1874年明治7年)です。1877年(明治10年)5月には、「野田山ノ廟所ナル廟堂ヲ取除け、更ニ碑石及ビ鳥居ヲ建ラレ」となり、藩主の墓の入口には鳥居、その奥にはを築き、その前に石柱墓標が立てられました。

 明治時代、1873年(明治6年)、このを金沢城の西側、金谷出丸跡に新社殿を造営して遷宮、社名を藩祖前田利家を祀る尾山神社(おやまじんじゃ)としました。また、本殿の右手には、金谷神社(摂社)を造り、歴代藩主を祀っています。

(参考文献)  新村出編: 広辞苑(第四版)、岩波書店(1991); 下中邦彦編小百科事典(初版)、平凡社(1973); 東四柳史明、宇佐美孝、本康宏史、出越茂和編 図説 金沢の歴史、北国新聞社(2013).

(参考資料) ○ 宇多須神社(うたすじんじゃ、もと卯辰山八幡宮、石川県の観光と歴史的建築物、東山、金沢市、石川県): http://isitabi.aikotoba.jp/kanazawa/utasu.html; 宇多須神社(まっぷる、MAPPLE観光ガイド): http://www.mapple.net/spots/G01701059601.htm

○ 加賀100万石藩祖前田利家が眠る野田山墓地、菩提寺の宝円寺、神として祀る尾山神社、とは(2009.7.29): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kaga-4.html

○ 野田山墓地参道、史跡・加賀藩主前田家墓所、野田山墓地の墓守寺・高徳山東雲寺(野田町)、金沢大学附属幼稚園、小学校・中学校・高等学校(平和町)、公務員宿舎(57号棟)、県営住宅(平和町)の景観(2013.5.10): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-abb9.html

(追加説明) ○ 家相(かそう)は、家の地勢、方位、間取りなどが吉凶を支配すという考えです。古代、中国に起こり、陰陽五行説から割り出された一定の法則を持っていました。

 日本では、奈良中期から信じられるようになり、平安京四神相応(しじんそうおう、東に蒼竜、せいりゅう、西に白虎、びゃっこ、南に朱雀、しゅじゃく、北に玄武、げんぶ)の地として選ばれ、丑寅(うしとら)の方角(北東)を鬼門(きもん)として、そのしずめに延暦寺を建てたという。江戸城寛永寺の関係も同様です。

 民間でも鬼門むほか、金神(こんじん)、荒神(こうじん)、熊王神(くまうじ)などの信仰と習合して、川の流れに直角に屋根が向かうことや、三角の敷地を忌んだりしました。(小百科事典より)

〇 鬼門(きもん、北東)の丑寅(うしとら、艮とも)の反対は、裏鬼門(うらきもん、南西)で未申(ひつじさる、坤とも)と言い、この方角も鬼が出入りするといって忌み嫌われていました。ということで、金沢城裏鬼門として、忍者寺のある寺町台寺院群を配置したという。

2013年5月11日 (土)

野田山墓地参道、史跡・加賀藩主前田家墓所、野田山墓地の墓守寺・高徳山東雲寺(野田町)、金沢大学附属幼稚園、小学校・中学校・高等学校(平和町)、公務員宿舎(57号棟)、県営住宅(平和町)の景観(2013.5.10)

2003914_001_3

P5100001

P5100003

P5100011

P5100016

P5100026

P5100027

2003914_005

2003913_042_2

7_2

2003914_006_2

2003914_013

2003913_034_2

2003914_010

5_2

P5100064

P5100076

P5100081

P5100092

P5100094

P5100104




P5100105

P5100110

P5100112

P5100118_2

野田山墓地参道、史跡・加賀藩主前田家墓所、野田山墓地の墓守寺・高徳山東雲寺(野田町)、金沢大学付属幼稚園、小学校・中学校・高等学校(平和町)、公務員宿舎(57号棟)、県営住宅(平和町)の景観、2013.5.10撮影)

(参考資料) 加賀100万石藩祖前田利家が眠る野田山墓地、菩提寺の宝円寺、神として祀る尾山神社、とは(本浄高治編): http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kaga-4.html

 江戸時代前田利家はじめ一族は、仏式土饅頭(どまんじゅう)の墳墓として埋葬されていました。前田家祭祀神式に改められたのは1874年(明治7年)です。

 1877年(明治10年)5月には、「野田山ノ廟所ナル廟堂ヲ取除け、更ニ碑石及ビ鳥居ヲ建ラレ」となり、藩主入口には鳥居、そのにはを築き、その石柱墓標が立てられました。

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

● Science Topology ( サイエンス、歴史散歩、金沢、石川) | ● いしかわ(名水、湧水、金城霊沢、上の清水、白山霊水、弘法池の水、杉森地蔵水、神子清水、柳原の湧水、金沢の水、末浄水場、弘法の水、満濃池) | ● いしかわ(白山、白山比咩神社、石川県樹木公園) | ● かなざわ(四季折々、犀川、桜田、金沢市、石川県) | ● かなざわ(四季折々、県民の杜、鞍月、金沢市、石川県) | ● かなざわ(石川県庁、金沢駅、加賀藩、北陸の交通路、赤門、天下の書府、北前船、河北潟、金沢港、大野お台場、野田山、大乗寺丘陵公園) | ● かなざわ(金沢城、兼六園、野田山、加賀藩主前田家墓所) | ● のと、かが(四季折々、能登半島、白山市、能美市、小松市、石川県) | ● ふるさと(四国遍路、空海(弘法大師)、四国88ヵ寺(徳島23、高知16、愛媛26、香川23)、高野山(金剛峰寺、真言宗、和歌山)、高野聖(泉鏡花)、最澄(伝教大師)、比叡山、暦寺、天台宗、京都) | ● ふるさと(阿讃山麓、和三盆糖、阿波藍、撫養塩田、阿波踊り、上板町、板野郡、徳島県) | ● 人の世(方丈記、辞世、徒然草、論語、坐禅) | ● 人物(卑弥呼、神武天皇、聖徳太子、土御門上皇、義仲、武蔵、島津斉彬、五百羅漢、法然、仁清、世阿弥、富樫、弁吉、秋声、犀星) | ● 伝統工芸(日本刀、金箔、漆器、焼物、染物、和紙)、伝統産業(揚浜塩田、和菓子) | ● 俳句、和歌、回文、洒落、漢詩 | ● 健康食品(食物、飲物、成分) | ● 名字(苗字) | ● 囲碁(起源、棋話、歴史対局、儀式、遊び、近代碁、世界棋戦) | ● 天災(地震、津波、台風、洪水、一発雷、豪雪、春一番、フェーン現象、火山、大火、黄砂、PM2.5) | ● 戦争と平和(白村江、蒙古、朝鮮征伐、明治維新、日清、日露、世界第1次、太平洋、朝鮮戦争、満州事変、アメリカ、日本、万国博覧会、人類の起源) | ● 文字(漢字、仮名文字、ローマ字の起源) | ● 料理(おにぎり、おでん、すし、うどん、餅(もち、雑煮)、坂網鴨(治部煮)、和食、中国、韓国、インド料理) | ● 暦、行事、風俗(伝統文化) | ● 民俗(衣食住、信仰、語源、遺跡、芸能) | ● 温泉、熱水(岩間噴泉塔、湯涌温泉、辰口温泉、玉造温泉、道後温泉) | ● 絵画(東洲斎写楽、長谷川等伯、山下清、囲碁の絵巻物、源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画、芸術と数学、黄金比、富嶽36景、竜安寺石庭) | ● 資源(オイル、天然ガス、ウラン、レアメタル)、エネルギー(火力、原子力)、核分裂生成物、溶媒抽出(放射性トレーサー) | ● 農林水産(穀物、野菜、果物、酪農、養殖、食品、花粉症、農地改革) | ● 造園(庭園の起源、歴史、日本三名園、中国三名園) | ● 都道府県(地名の由来、沖縄から北海道まで) | ● 金属鉱山(尾小屋、神岡、足尾、別子、生野、石見、佐渡、菱刈、土呂久)、神社仏閣(池上本門寺、吉田神社)、浄化(ヘビノネゴザ、ホンモンジゴケ、リョウブ、鉄バクテリア、藻類) | ● 風土(天然記念物、特別名勝、世界遺産、自然と人間との共生) | ウェブログ・ココログ関連 | スポーツ | 学問・資格 | 心と体 | 音楽

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カテゴリー

フォト

アクセス解析

無料ブログはココログ